初対面で避けるべき話題には大別して四つある:政治、宗教、野球、バーベキュー。

緑の捜査網 -Go Green On Me-

 アメリカ人は夏になるとバーベキューをするものだ、というのは最早全世界で共有されつつある認識の一つだと思うが、そのバーベキューでもやはり州ごとの対立というものはあるものだ。ましてやここはニューヨーク、全米から人々の集まる街だけあって、同じオフィスで働く人々の、その一人ひとりに違ったバーベキュー観が存在する。ここでそれぞれが我を通すと、それはすなわち内戦の再来ということになろう。平和な時代には無用な争いだ。
 よって、世界魔術師協会ニューヨーク支部の箒乗りスイーパー部隊の間では、厳正なる協議と譲歩の結果、十数年前から焼き手を務めるブラザー・ウェンセスラス・ウォルターの流儀、すなわちノースカロライナ式の豚肉バーベキューが、夏の懇親会の公式種目と決定されている。彼はノースカロライナではなくマサチューセッツ州ボストンの出身だが、そのへんは好みの問題なのだろう。異論は多々噴出したが、魔術師同士の不毛な争いで精鋭部隊を分裂させるわけにはいかない、という点で決着を見たわけだ。

「毎年思うんだけど、チーフのそのバーベキュー慣れがすごく不思議なんだ僕。別に昔料理人だったりとかしないんでしょ?」
 赤味がかった茶髪にバンダナを巻いたJ.J、もといブラザー・ジョン・ジェロームが、買い込んだ瓶ビール入りのクーラーボックスを芝生に下ろして言う。見渡す限り無機物しか存在しないように思えるニューヨークの街にも、公園というものはちゃんとあり、今年の会場はクイーンズ橋たもとのブリッジ・パーク。その一角にアウトドア用のテーブルやら、チャコールグリルと燻製器やらを並べて、我々箒乗り部隊は準備の真っ最中である。
「オールドスクールって奴だよ、ジョニー・ボーイ。昔はバーベキューができなきゃアメリカの男じゃあなかったンだ。お前は二十一世紀人で幸運だったな」
 そのチーフこと懇親会の元締め、ブラザー・ウェンセスラスは灰色のシャツの腕をまくり、器具のセッティングをあまりにも手際よく終え、今は生野菜の下ごしらえを手伝っていた。痩せぎすの手首がペティナイフを器用に操れば、ナスやらズッキーニやらの皮がつるつると剥けてゆく。この健康問題の時代、魔術師協会にもベジタリアンは多々いるもので、肉ばっかり焼いているわけにもいかないのである。
「なるほどお、つまりチーフはあと、庭つきの持ち家と自家用車と銃と嫁さんがいれば、一人前のアメリカの男になれるわけだね!」
「……ああ、生憎と神様にはそのへんを授からなかったんでね、お前を生贄に捧げて手に入れるのが一番の近道かもしれんな」
 ナイフの切っ先が初夏の日差しにきらりと光り、ひえっと声を上げて青年魔術師が縮こまる。どこまでも平和な光景だ。婚期を百年ほど逃してしまった我らがブラザーは、しかし今のところ野郎同士の華のないハウスシェアリングをそれなりに楽しんでいるようだし、結果として料理の腕も一流なので、きっと幸せなのだろう。そんな彼らを横目にしながら、私が取り組む相手といえば大ぶりのピーマンだった。
「不思議と言ったら俺は、ちび助、お前のその手際の著しい悪さにはいつも首を傾げるんだがね」
 私の手元を見ながら、ブラザー・ウェンセスラスが呆れたように言う。肉詰め用にヘタを種ごとくり抜く作業は、今ようやく最後の一つが終わろうとしているところだ。手際が悪いのは十分理解しているから、いちいち指摘しないで頂きたい。それから「ちび助」呼ばわりはこの上なく不本意だ。そりゃあ私の背丈は5フィート4インチしかないけれども、それは悪魔に魂を売るのがちょっと早すぎただけで、魔術師としての活動に何ら支障を来たしてはいないじゃないか。
「料理なんてちょっと時間がかかっても、味さえ美味しければそれで良いでしょう」
 負け惜しみじみて私が言うと、我らがブラザーは「まあな」とだけ応え、下ごしらえをすっかり済ませた野菜たちをザルに放り込んだ。肉のほうは昨夜のうちに漬け込みが済んでいて、あとは焼くだけだ。もちろん、主食としてのパンやトルティーヤの準備も万端。食器類のセッティングもシスター・クララが進めてくれている。風は心地よく太陽は眩しく、これぞ絶好のバーベキュー日和。イースト川の水面にきらめく日差しに目を細め、今年もこの日を迎えられたことに満足しながら、私は改めてさっきヘタを取ったピーマンの群れに向き直り、
「……あれっ」
 違和感に思わず声を漏らす。木のボウルに盛られたそれを指さし確認し、私は気付いた。
「一つ足りない」

 私の呟きは会場の喧騒に紛れるかと思われたが、傍で調理器具を片付けていたJ.Jはちゃんと聞いていたようだった。
「足りないって? ……まさかいちいち数えてたのかい、ピーマン?」
「そりゃ数えるとも、食べ物は大事だから」
 伊達に大恐慌時代を生き抜いてはいないのだと私は反論する。グリルの傍で芋を焼き始めていたブラザー・ウェンセスラスも、顔を上げてこちらを向いた。
「今何つった? ピーマンが?」
「足りないんですよ、ブラザー・ウェンセスラス。袋には九個入ってたはずなのに、八つしかない」
「誰かつまみ食いしたんじゃない?」 とJ.J。
「生のピーマンを丸齧りするのがお好きな奴がいたとは思えんがね。ここにいる連中の八割がたは文字通りの肉食系だぞ。ちび助、どれくらい目を離してた?」
「ほんの一瞬」
「鳥だってリスだってピーマン丸ごとを掻っ攫っては行かねェわな。おいジョニー・ボーイ、ちび助とピーマンを探してこい」
 ジャガイモ片手にブラザー・ウェンセスラスは命じ、J.Jがぎょっとした顔をした。たかがピーマン一個にどうしてそこまで、と言いたげな顔だ。ところが我々19世紀人の見解は違うのである。いかなる食べ物も得難い財産であり、ひとたび不当に失われれば万難を排して奪還しなければならない、という指令が魂に染み付いているのだ。よって拒否権はない。
「行こうJ.J、多分まだピーマンは遠くまで行ってない」
「普通ピーマンは自力でどこにも行かないと思うんだけどね! きっとどっかそのへんに落ちてるだけか、本当に誰かが生で丸齧りしちゃったんだって――」
 なんとか逃れようとするナイロンジャケットの首根っこを私は引っ掴み、当てもないピーマン探索に赴いた。――が、手はすぐに離した。身長差が単純に辛かったのである。J.Jは上背ばかりはでかくて6フィートあるのだ。

  * * *

「でも実際消えたピーマンなんかどうやって探すんだい、そりゃ特別大きい公園じゃないけどそんな」
「ちょっと黙ってて、J.J」
 芝生の上で目を閉じ、深呼吸する。杖の持ち出し許可は下りなかったが(ただのバーベキューなんだから当然だ)、無くても魔力の追跡ぐらいはできるものだ。ピーマンのヘタ取り程度で残留する魔力など微々たるものだが、自分のものなら感知の精度は上がる。木々のざわめきと遠いおしゃべりの声の中へ、自分自身をほどいて長く伸ばしてゆく感覚。
「――あっちだ、私の感じる限りでは」
「ただの花壇しかないよ、アイザック」
「だったら花壇のどこかに植わってるかもしれないだろ」
 ピーマンが? ピーマンが。今のはさすがに口から出任せだったが、ともあれ私の魔力の一片が、確かにそこで音を鳴らしたのだから仕方がない。おろしたてのデッキシューズで芝生をずんずんと進み、数十メートル先に美しく整えられた花壇まで我々はたどり着く。色とりどりの花を咲かせたゼラニウムの茂み。膝をついて目をこらせば、ヘタと種をくり抜かれたピーマンが――そこらに植わっているわけは勿論なかったが、しかし魔力の反応は相変わらずこの中だ。思案する。
「アイザック、まさかと思うけど、ピーマン探すのに魔法を使ったりなんて――」
アポカリプトー、現れよ!
 原因は様々に考えられるが、手っ取り早いのはこの方法だ。後輩を視線で黙らせ、私は「暴露」の呪文を唱える。伸ばした人差し指をさっと一振り、花々の根本に向けてぱちんと鳴らすと、白い光がほとばしり出て辺りを照らす。
 とたんに光の中で、何かの影が顔を覆うような仕草と共に浮かび上がった。ごくごく小さい、恐らく私の手のひらぐらいしかない、人の形をしたそれは、やがて光が収まると共に正体を露わにする。
「レプラコーンだ!」
 叫んだのは私ではなくJ.Jのほうだ。果たしてその通りだった。銀ボタンの留められたジャケットに緑色の帽子、しわくちゃの顔に顎髭を生やしたそいつは、アイルランドの伝承にある小人に相違なかった。そして、そいつは確かに、ピーマンを持っていた。  レプラコーンは私たちの姿を見るなり、ぴょんと飛び上がって茂みの中に駆け込もうとした。もちろんピーマンを抱えてだ。しかし遅い。こちとら自慢ではないが箒乗り部隊のエースの一人である。動体視力と反射神経には自信がある。
ステレオーネ、留まれ!
 私の「静止」の呪文は見事に成功し、ピーマンを頭上に担ぎ上げたユーモラスな、あるいはシュールな態勢のまま、緑色の小人はぴたりと止まって、花壇の飾り付けのごとくなる。
「さあ、逃げても無駄だ。このままニューヨークの新名所になるか、そのピーマンを返してくれるか、どちらか選びなさい」
「それか、黄金のありかを教えてくれるんでも良いよ!」 横から青年魔術師が口を挟む。
「欲をかくんじゃない、J.J。またブラザー・ウェンセスラスに朝食を奢る羽目になるぞ。……サンザシの垣根の下に住むひとよ、靴屋の親方、勤勉な小人よ。まさか人間の食べ物を奪わなければならないほど飢えてはいないのだろう。私だっていつも妖精相手に裁判ばっかりやってない。自由になりたければ、事情を聞かしてピーマンを返しなさい」
 つい先日、蜘蛛とスプライトを相手にでたらめな裁きを下した身としては、あんまり偉そうなことも言えないのだが。ともあれ私の言葉に、レプラコーンはふるふると震えたかと思うと、やがてぽつりぽつり語り始めた。

 ……否、始めたかと思ったら語りはすぐに終わった。
「このピーマンがあまりに見事な緑色で、今夜のテントにぴったりに思えた」
 この一文に尽きるのだ。小人の感性というものは私には解らない。私だったらこんな青臭い寝床は選ばないが、レプラコーン的には魅力的に映ったようだった。……アイルランドではピーマンは珍しいのだろうか。確かに原産国は中南米だが。
「えっ、これどうするのさ、アイザック?」
 J.Jが反応に困って私の顔を見た。こういう時ばっかり私に判断を丸投げしているから、いつまで経ってもウィザードに昇進できないのだ。
「洗えば食べられるからピーマンは回収する。で、レプラコーンには何かしら代わりの……あれだ、持ってきたペーパータオルがちょうど緑色だったから、それを一枚やればいいよ」
「食べるのかいそれ!?」
「火を通せば大丈夫」
 二十世紀末生まれには著しいカルチャーショックだったようだが、元より野菜なんて土から生まれたものなのだし、綺麗な花壇にちょっと置かれてたぐらいどうってことない。これで話はまとまった。私はレプラコーンの手からピーマンをもぎ取ると、あくまで友好的に対話した。
「このピーマンは我々の大事な食料だから、渡すわけにはいかない。けれど、代わりに丈夫で暖かな紙のナフキンをあげよう。向こう数日は雨も降らないし、それできっとあなたのテントはうまく出来上がる。それでいいね?」
 私の申し出にレプラコーンも納得したようだった。私は「静止」の呪文を解いてやり、それからレプラコーンにこう続ける。
「私たちの宴会に、少しだけ顔を出してはくれないか。こちらにも親方というものがいて、事情を話さないことにはきっと困ってしまうだろうから。――生憎ギネスは用意してないんだが、ポークリブのビネガーソースは多分気に入るよ」
 そう言いながらも決して目は逸らさない。レプラコーンというやつは極めてすばしっこく、ほんの少しでも油断をしようものなら、たちまちどこかへ消えてしまうことで有名なのだ。「これで本当に良かったんだろうか」という顔のJ.Jを尻目に、私は片手にピーマン、片手にレプラコーンを持ち上げ、小さな捜査網にピリオドを打ったのだった。

  * * *

 ああ、無論のことバーベキューは大成功で、ブラザー・ウェンセスラスが腕によりをかけた特製ソースは毎年ながら大好評、香ばしく焼き目のついた肉をほぐし、野菜と一緒にバンズに挟めばそれだけで大ごちそう。ピーマンにはつつがなく詰め物がされ、グリルでじっくりローストされて、メンバー全員の皿に行き渡った。ビールの栓を抜き、瓶同士を打ち合わせ、初夏の休日は賑やかに過ぎる。これこそがアメリカの夏、心の夏。ニューヨークは今日も局地的に平和だ。

 ――なお、未だ火に炙られたままの焼き網に、
「良いですか、いかに幸運を齎す妖精とあだ名されていようと、貴重な緑黄色野菜に手をかけた挙句、胃袋に納めるのでなく地べたに置いてテントにするというその発想は我々に対する宣戦布告も同様です。今回はブラザー・ウェンセスラスとブラザー・アイザックの顔を立てて無罪放免としますが、二度とはないと思うことです」
 と、じたばたするレプラコーンをぶら下げながら脅迫するシスター・クララの姿があった気もするが、そういうものは見なかったことにするのも、またアメリカの夏のいち側面である。

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