ああ、春が来た。金色の花が燃えている。

煙火三月 -Fire in the Gorse-

 長い棘に覆われた枝先に、丸く愛らしい花弁がいくつも群れて開く、それはハリエニシダの低い茂みである。北米大陸が復活祭イースターの準備でてんやわんやし始める頃、この甘い香りの花々は満開を迎える。カンザスの広大な牧草地に、カリフォルニアの緑あふれる野山に、そしてここニューヨークの海辺にも、そのココナッツに似た噎せ返るような匂いが漂い、鮮やかな金色が人々の目を楽しませ――そして時に、大問題となる。
 時に、というよりもう随分と前から、ハリエニシダの恐るべき繁殖力は世界中で大問題となっていた。不名誉なる「世界の侵略的外来種ワースト100」に選定されたのは2000年のこと。ヨーロッパから持ち込まれたこの花は、牧草地ではその棘で家畜たちを傷つけ、野山では原生の貴重な植物たちを追いやり、かといって棘のせいで手作業での駆除は困難、除草剤を撒いても根さえ生きていれば何度でも復活する、実にしぶとく手強い敵なのだった。
 だが、ハリエニシダは強敵であっても無敵ではなかった。昔からヨーロッパでは知られていることだが、この低木の樹皮にはどうやら油分が多く含まれているらしいのだ。
 つまり、よく燃えるのである。

「ハリエニシダを焼くころになると」 まだ冷たい潮風に煽られながら、私は口を開く。
「春が来たな、って気分になるのはアメリカ人に共通のものなんだろうか」
「それはどうかね。だが、俺にはよく解る」
 長丈の黒いダウンジャケットを羽織ったブラザー・ウェンセスラスが、白い息を吐きながら答えた。辺りは花本来の強い香りと、有機物が不完全燃焼する臭いとが混ざり合い、喘息持ちなら三秒と留まっていたくない空気に覆われている。
 駆除のためには火入れがいい、と判ったところで問題は残っていた。燃えやすいということは、軽率に火を放つと更なる被害を招きかねないということだ。事実、彼らは幾度となく山火事の原因となってきたし、一般人が焼却を行おうとして、手のつけられない事態になるケースも数え切れない。やはり炎は危険なもの。扱いはプロに任せるべきである。そんなわけでお呼びが掛かるのが、――何故かこの世界魔術師協会ニューヨーク支部に所属する、我々のような魔法使いなのである。
 何故か。要するに、魔法で点した炎なら術者がコントロールできるから、計画的・効率的に、何より安全に焼却を行うことが可能だという、熱い期待がそこにあるのだ。実際、「火炎」の呪文を習いたての見習いには絶対にさせられない仕事だが、それなりに経験を積んだ一人前のソーサラーなら、火勢を調節しながら野焼きを行うことぐらい、特別に困難なことではない。慢心は禁物とはいえ、きちんと注意深さをもって仕事にあたれば、合衆国林野局のご厄介になることもなく、任務は無事に遂行できる。そしてお給金を受け取ることができる。
 これは全ての社会人魔術師にとって切実な問題である。魔術師協会は世界最大の研究機関の一つであり、魔術師同士の互助会でもあるが、所属しているだけでは何も生み出さない。むしろ、会費やら免許の更新費やら何やらが発生するために、金銭的には損をする。このご時世、魔法で食っていきたいと思うなら、どうにかして契約をもぎ取ってこなければならないのだ。

「火炎放射器が欲しくなってくるってもんだ、これだけあると」
 ブラザーが肩を竦めながら言った。魔術師の台詞ではないという向きもあるかもしれないが、私も心からそう思う。いくら「発火」が初歩中の初歩の呪文だからといって、この海辺の斜面を埋め尽くす金色を、根こそぎ焼き尽くさなければならないとなると、魔力の消費だって馬鹿にならない。
「ニューヨーク州の火器規制を考えると、都市部近隣での雑草駆除に駆り出すのは難しいでしょうね」
 いつも通りに愛らしい声でシスター・クララが言い、深緑色のコートの裾を揺らしながら、淡々と金色の花に火を放ってゆく。執行にあたって周囲一帯は一時的な立入禁止となっているため、我々のほかに通りすがる者はない。
「誰かの許可もなく何かを燃やせる、中西部の連中が羨ましいね。それ以外の点では特に何も羨ましくねェが」
 あの辺りには多分、何かを燃やす以外に大した娯楽も無いだろうしな。――ボストンの都市部出身であるブラザーが、公的な場で口にしたが最後SNSが大炎上しそうなことを言った。他人がいなくてよかったと私は思った。そして、「燃やすだけに大炎上か」と一瞬でも考えた自分自身を恥じた。
 それにしても火、火こそは我々人類(および、人類に類似する種)を社会文化的な存在たらしめる大きな要素の一つだと、改めて実感する次第だ。人類に火を与えたのはギリシアの巨人神プロメテウスか、それともアステカの翼ある蛇ケツァルコアトルか――私は啓蒙時代の人間として、火は落雷や山火事によって偶然に齎されたのだという、民俗学的には面白くもなんともない説を支持しているが、とにかく火は便利だ。暗闇を照らし、食料を増やし、凍えた身体を暖めてくれる。様々の器を焼き、金属を精錬し、巨大なエンジンを動かす。原始的な障害の大体も、これで片を付けることができる。紙ごみや生ごみを燃やすことができる。厄介なハリエニシダの茂みを燃やすことができる。あるいは、妖精も燃やすことができる。

 そう、ハリエニシダの害はその繁殖力と鋭い棘だけに限られない。こいつは昔から、妖精の棲家として大人気なのだ。とりわけアイルランドとスコットランド、そして勿論アメリカ合衆国でも。
「これさえ無ければなあ」
 自然と愚痴も漏れるというものだ。棘だらけの茂みは妖精たちの一大村落でもあり、無数のカゲロウめいた花の精たちは、枝に火が燃え移るたび群れなして一斉に飛び立ち、早春の空に霞のごとく渦を巻く。虫嫌いが見たら卒倒するかもしれない。妖精が一般人の目に見えなくて幸いだった。
「花の精は嫌いか、ちび助」
「嫌いじゃないですけど、こうもうじゃうじゃ居られるとね、……ほら例えば、蝶だって一匹花に止まってるだけなら綺麗なものだけど、あれが中南米のオオカバマダラみたいに、数百数千のレベルで木にびっしり付いてたら、はっきり言って気持ち悪いでしょう」
 ブラザー・ウェンセスラスの問いに、私はなるべく平易な例を挙げて答えたつもりだった。が、彼の反応はあまり私に同情的ではなく、せいぜい軽く眉を上げたぐらいで、
「俺は別に、集合体恐怖症トライポフォビアのケは無いんでね」
 とだけ言って、鼻歌交じりに別の木立へと去っていってしまった。だが私にだって別にその手の恐怖症はないし、蓮コラ画像には大分と耐性ができているほうだ。それとこれとは別の問題だろう。溜息をつきながら、私はちらりとシスター・クララの方を見てみた。が、炎に照らされた彼女の白い顔は、平然として無機質で、まるでお伽噺に出てくる美しくも邪悪な魔女のたぐいに見え、却って自分の立場が危うくなる幻想しか呼び起こさなかった。

 花だけでなく妖精まで燃やさなければならないのは、無論我々が邪悪な魔法使いだからではない。ハリエニシダが侵略的外来種として悪名高いのと同時に、ハリエニシダの妖精もまた然りだからである。何かにつけ歴史が浅いだの、伝説といえば殺人鬼の出てくる都市伝説しかないだの言われる合衆国だが、土着の精霊のたぐいが居ないかといえば勿論ノーだ。外来種が既存の生態系を破壊し、在来種が脅かされ、その数を減らすことがあるのなら、保護に動くのが環境主義篤い現代先進国の方針。世界魔術師協会も、いかにも自然派の集団ですという顔をして(別に嘘ではないが)、政府の試みに積極的に協力している次第なのだった。
「ブラザー・アイザック、少し風向きが」
 前髪を片手で軽く抑えながら、シスター・クララが私のほうを振り返って言った。
「ああ、ちょっと火を弱めたほうがいいかな、一時的なものだろうし」
 最終的に燃え尽きてくれればいいのだから、臨機応変に火力を調整するのも大事なことだ。「常に強火で」とか書いてある料理のレシピとは事情が違う。魔術的な炎だって、万が一にも飛び火しないとは限らない。
イーゴーテラー、衰えよ!
 指をぱちんとひと鳴らし。吹き上がる橙色の炎が、不意にその手を緩めた。杖なしの詠唱だって、ウィザードにはお手の物だ。今日は相棒を持ってきていない。ハンノキは妖精の王の樹である。250年の付き合いで築き上げた信頼があるとはいえ、土壇場で杖に謀反を起こされでもしたら困る。

 花の妖精が燃えると、きらきらと輝く不思議な煙を上げる。そして微かなココナツの香りと、きつい煙草みたいな臭いを同時に残してゆく。この事実を初めて知ったのは、果たしていつのことだったか、少なくとも魔術師になって随分経った頃だった。年が明けて春が訪れるころ、金色の花が次々に開くのを眺めながら、私はいつも思いを馳せる。
「ちび助、クララ、一息入れろよ」
 自分の持ち場をあらかた火の海に沈めたころ、一周して戻ってきたブラザー・ウェンセスラスが、売店で買ったらしきコーヒーの缶をこちらに投げて寄越してくれた。熱い金属をロングパスするのはいかがなものかと思ったが、まあ全員が分厚い手袋を嵌めているのだし、彼のコントロールは抜群だったから、大事はなくてよかったと思うことにした。シスター・クララもホットココアを受け取って、早速ふうふうと息を吹きかけつつ、その熱と甘みにあずかっている。
「今年は早めに終わりそうだ。毎年の成果だな」
「逆に、それでも毎年やらなきゃならないのが恐ろしいところなんですがね」
「全くだ」
 自然でない自然との終わりなき戦い。それは不毛な行いかもしれないが、放っておいてもそれはそれで不毛なことになる。ここに至って末端の我々は思い悩むことを止め、ただひたすらに契約を果たすだけの魔術師に徹するわけだ。ニューヨーク市から「もっと気合を入れろ」と怒られないぐらい、徹底的に焼き払い、その後で土を掘り返して種まで駆逐し、然る後に元通り整地を行う。市民ボランティアによる新たな花の植え付けが、その後に行われる予定だ。焼けた木の灰は良い肥料にもなってくれるだろう。
「当然の務めだとは思っていますが」
 シスター・クララが言い、近くにあったごみ箱に空き缶を捨てた。
「妖精たちにとってみれば、我々こそが侵略者だということになるのでしょうね、よくある話で」
「解らんよ、妖精界だって広いんだ。人間の美少女に眉一つ動かさず村を焼かれたいとかいう、ちょっと特殊な嗜好をお持ちの妖精だって一定数居るかもしれん」
 それに対してブラザー・ウェンセスラスは、私では絶対に思いつかないような頓痴気なことを口に出し始めた。花の妖精がそんなことを考えながら生きているのはなんだか嫌だ。妖精の類に幻想的で耽美なイメージを押し付けてはいけないのは当然のことだし、そうしたイメージを払拭する一例こそ、正にこのハリエニシダの焼却駆除なのだが、それを置いても流石に幻滅だ。
「なるほど、つまりそうした一部の世界では、わたしの行為はご褒美みたいなものだと」
「そういうこった」
「……せんぱいがたには、そういった嗜好がおありなのですか?」
 しかもシスター・クララはシスター・クララで、輪をかけて衝撃的なことを尋ねてきている。どうして我々は三月の空の下、ポーランド系の美少女に村を焼かれる嗜好の有無を問いただされているのだろうか。
「ああ、俺はそういうのは堪忍だよ。村を焼かれたこたァ無いが、基地を焼かれた経験はあるんでね」
 平然と答えるブラザー・ウェンセスラスもどうかしている。彼は一次大戦に義勇軍で参加していたらしいから、洒落にならないものがあると言えよう。そして私も、幸い故郷の村を焼かれたことこそないが、開拓時代の殺伐とした集落暮らしを知っているため、とてもじゃないがその手の嗜好には目覚められない。
「そうですか、……どうせなら、せめて一部の特殊な嗜好をお持ちの妖精たちのため、より非情な悪役らしさに力を入れて焼き払うべきでしょうか」
「シスター・クララ、戻ってきて」
 愛らしい声で辛辣なことばかり言うはいつものことだが、意識的に邪悪な魔女になって頂く必要はない。私は空になったコーヒーの缶をごみ箱にロングシュートし、残りの作業へと同僚たちを追い立てた。ブラザー・ウェンセスラスは最後まで、「突如現れた謎の魔術師が村を焼く理由は、『美しくないから』と『通り道で邪魔だったから』のどちらの設定がより心に刺さるか」という話をしていた。

  * * *

 薄霞の立つ空高くに太陽が昇り、そして天辺を過ぎ去るころ、我々の仕事はようやく片付いた。随分さっぱりとした海辺の景色に、漂うものは焦げ臭さと煙の残滓のみ。遠くからフェリーの鳴らす汽笛が聞こえてくる。
「お疲れさまでした、ブラザー・ウェンセスラス、ブラザー・アイザック」
 公園管理局に終了の届け出を済ませてきたシスター・クララが、私たち二人に向かって小さくお辞儀をした。
「おう、お疲れさん。飯行くか、何処でもいいから」
「ブラザー・ジョンは呼ばなくても構いませんよね?」
「あいつはどうせまたケータリングのスシでも頼んでんだろ。働かざる者食うべからずだ。おい、何にする、俺は折角だから最後まで何かを焼きたい」
 具体的にはシーフードかな、とブラザー・ウェンセスラスは呑気なことを言う。私はといえば、この立ち込める臭いのせいで少々頭がぼうっとしていた。今は食べ物より、冷たくてさっぱりした飲み物を流し込みたい気分だ。それに、ハリエニシダを焼き払う仕事は終わったが、この低木をめぐる苦労が全て断ち切れたわけではない。
「きっとまた、妖精愛護団体がやかましく言ってくるんだろうなあ」
 それもまた毎年のことだけれど、と私はぼやき、空を仰いだ。
「何を今更、と返してやりたいもんだ。こちとら良い大人だから言わねェがよ」
 ブラザーが短く息を吐き、鼻で笑う。彼はポケットに手を突っ込むと、大分と型落ちしたiPhoneを取り出して、何事か調べ始めた。きっと近隣のシーフードレストランでも探しているのだろう。そして、その片手間の雑談に過ぎない、といったふうにこんなことを言った。
「俺たちはアメリカ人だぜ。合衆国成立の昔から、根深い問題の根を燃やして解決してきた」

 ――そのたった数フレーズが、私の脳裏に数多の具体例を蘇らせた。私たちの歴史はそのように作られてきたのだ。私は人生をかけてその過程を見てきた。そして今、最先端の幻想的な焼き場に立ち会っている。毎年の面倒な行事をこなすようにして。
 邪悪な魔術師は絶えずどこかで必要とされている。私もその一名として派遣され、今日も数多の妖精たちから恨みを買ったことだろう。ココナツと煙草の混ざった臭いが纏わり付くように。けれど、臭いの染み付いた上着をクリーニングに出してしまうように、そして来年の春までクローゼットの奥に仕舞い込むように、恨みつらみの渦はどこかでさっと切り替えられてしまうものなのだ。「憎しみの連鎖を断ち切る」とでも言っておけば響きは良いか。
「なあ、ここから十五分ばかし歩くんだが、海老とサーモンのガーリック・グリルがうまい店があるんだとよ。今からなら多少は空いてるだろ、そこならどうだ」
 ブラザー・ウェンセスラスがスマートフォン片手に呼ぶ。「それで良いと思うよ」と私は答え、消火がきちんとできていることをもう一度だけ確認してから、彼らの元へと早足で向かった。呪わば呪え、金色の花に棲まう妖精たちよ。邪悪な魔術師は邪悪な食事に興じることとする。非情な言い方ではあるが、歴史は常に勝者のためのものだ。嗚呼そして、いみじくもハリエニシダの花言葉は「屈従」という。

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