その生き物、ないし死に物・・・を最初に見つけたのは私ではない。

一石二鳥 -One Fossil and Two Birds-

 爽やかな秋晴れの下、私はブライアント・パークのベンチに腰掛け、iPhoneでFMラジオを聞きながら、午後からの仕事に使う資料を確認しつつ、片手間にキューバ風サンドイッチ――近場のフードトラックで売られている、中にローストポークとチーズそしてピクルスを挟んでプレスしたグリルサンド――を食べるという、マルチタスク人間を夢見て失敗した痛々しいワナビー・ニューヨーカーの如き行為に手を染めていた。だから自分以外のことなど意識していなかったし、そもそも周囲の状況に構っているほどの余裕もなかったのである。
 ニューヨークのみならず米国のどの都市においても、常に周りに気を配らないというのは中々に危険な行為ではある。むろん財布等の貴重品が入った手荷物は、しっかりと膝の上に抱えていたし、公園の中でも人通りの絶えることがなく、警備員も立っているような場所を選んで座ってはいた。が、二切れあるサンドイッチのうちまだ手付かずのほうを、ベンチの座面に何気なく置いたままにしていたのは事実だ。それがいけなかった。
 ラジオから流れる女性歌手の新譜がフェードアウトしたタイミングで、私はふと資料から顔を上げた。そして気がついた。向かいの芝生で思い思いの昼下がりを過ごしていたはずの人々が、幾人も立ち上がったり身を乗り出したりして、私の座るベンチを見ているのを。こちらを指差して何事か叫ぶ子供もいる。慌ててイヤホンを外し、まず自分の身体に、続いて荷物に視線を走らせたところで――それが目に入った。

「ねえ、あれなあに? ハロウィンのおもちゃ?」
 遠くから幼気な問いかけが耳に飛び込んでくる。そう思うのも無理はない、なにしろ見た目からしてそれは骨だったからだ。私の目の前には一揃いの、ちょうど博物館に展示されている骨格標本のようなものが、しかし静止しているのではなく明らかに動いていた。全長はおよそ50cmぐらいだろうか、ほっそりとして長い逆関節の脚と、同じく細長い腕には三本の指。鉤爪もある。地面と水平に保たれた尾骨。ミニチュアの恐竜か何かのようだ――いや、これぐらい小さい恐竜も太古の昔には存在したのだっけ? すらりとした首はベンチの座面に屈み込み、その先にある尖った形の頭蓋骨は、今正に私の、置きっぱなしだったサンドイッチを暴いて、中のローストポークを突き回していた。ちょうどカラスがゴミ袋から人の食べ残しを失敬するときのように。
 私は呆然としてそれを見つめた。ねえ君、それは私の昼食なんだけど? 君は肉食なの? 君からはとうに内蔵の類が失われているように見えるんだけれども、それでも肉を食べられる? いや、真夜中の屋上でゴーストを餌付けした経験に鑑みて、たぶん実体がなくとも物を「食べる」ことは可能なのだろう。このハトにしては尾が長く、恐竜にしてはコンパクトな存在がアンデッドの類なら、だが。
 色々考えていると、不意にその鳥(推定)が頭をもたげてこちらを向いた。空っぽの頭蓋骨で何を考えているのだろうか。彼(彼女かもしれないが、私に骨格だけで鳥類の雄雌を識別する技能はない)は小さな、ぎざぎざの歯がびっしり生えた顎をぱかりと開いて、驚くべきことに一声鳴いた――ケケッ、とでも表記できそうな、やや濁った高い音で。

 次の瞬間、それは肉をつつくのを止め、ベンチの背もたれにぴょんと跳び上がった。続いて、すぐ傍にある街灯にジャンプして張り付き、トカゲじみてするすると天辺近くまで登っていった。一体何がしたいのだろう? 盗み食いがばれたものだから、気まずくなってそそくさと逃げ去るつもりなのだろうか?
 答えは否だった。私を含む周囲の人々が見上げる前で、頂上に辿り着いた一体の骸骨は、やにわに両手を広げてそこから飛び降りたのだ――猛禽が翼を広げて岩山から飛び立ち、地上にいる獲物めがけて滑空してゆくように。そしてこの場合、獲物というのは言うまでもなく、私が未だ回収できずにいた残りのサンドイッチだった。
 あたかも本物の羽毛を纏っているかの如く、骨だけの怪鳥は一直線に降下し、私のすぐ横を通り過ぎて目標に到達した。ラフに解体されかかったサンドイッチを咥え、再び空中へ。腕の動きは鳥が羽ばたくときのそれに間違いない。目にも留まらぬ早業、というほどでもないが素早いのは事実だ。少なくとも、ロングアイランドで観光客からスナックをかっぱらうカモメ程度には上手くやっている。
 私はどうするべきだろうか? サンドイッチ半切れを鳥に奪われるというのは、まあお世辞にも愉快な出来事とは言い難いが、自分が油断していただけだと諦めることもできよう。が、今回はただの鳥ではない。鳥の骨だ。その鳥の骨は攫ったサンドイッチを咥えたまま、近場にある噴水の傍に着地して、ドリンクバーつきのゆったりとした食事を始めようかという具合、人々に直接危害を加える様子はないが、さて――

 そこで私の脳裏に霊感がひらめいた。――というのは大げさかもしれないが、とにかく良い案が浮かんだのだ。私はズボンのポケットからiPhoneを取り出し、プラグからイヤホンを引き抜くと、世界魔術師協会ニューヨーク支部の緊急通話番号を呼び出した。 『はい、こちら世界魔術師協会ニューヨーク支部、エマージェンシーですが』
「もしもし、声からしてシスター・ジル? こちらはブライアント・パーク、ウィザードのアイザック・ペンドルトンだけど」
『ブラザー・アイザック?』
 まだ若いオペレーター、シスター・ジリアン・リンゼイの声がスピーカーから響く。緊張と、些かの怪訝さが感じられる調子だ。
『あの、今はパトロール中ではありませんでしたよね?』
「もちろん勤務中じゃない。偶然の遭遇だ――詳細不明の生物、いや生物でない可能性もあるけれど、とにかく不明種が一体。市民の持ち物を奪って逃走した。全長50cm程度、飛行可能、外見を端的に言えば鳥のスケルトンってところか」
『それは自然発生した鳥類のアンデッド、ということではなく?』
「アンデッドかどうか解らないんだ、というのは魂の所在が確認できていないから。死霊術が関わっているかもしれないし、魂抜きに骨格を魔法で、例えば『浮遊』や『使い魔操作』の類で操っているだけかもしれない」
 私は持ち物を全て鞄に押し込みながら、つらつらと述べた。それから最も言いたかったこと、つまり先程頭に浮かんだとっておきのアイデアを口に出すことにした。相手に深く考える暇を与えずに。
「そういうわけだから、私はこれを追跡する必要ありと判断し――箒を使用しての飛行許可を申請したい、と言ったら監察局はどう答える?」
 一拍置いて、きっぱりとした返事が寄越された。 『そうした場合の許可は要らないはずです。すぐ渡します』

 嘘はついていない。私はれっきとしたニューヨーク市民だし、私が買ったサンドイッチは市民の持ち物に間違いない。魂の所在が確認できないのも事実である。付け加えるなら私は市民の安全のため、箒を用いて街の治安を守るスイーパー部隊の一員だ。
『ブラザー・アイザック、備品室から箒の持ち出し準備完了とのコールがありました。チーム・ウォルターの他メンバーにも連絡しましょうか』
「いや、それは要らない、応援が必要になったらまた呼ぶことにするから」
『了解しました、以後は通信待機状態に入ります。お気をつけて』
 通話終了。これで私は、大手を振ってニューヨーク上空を遊覧飛行する権利を手に入れたわけだ。どのみちあの鳥(らしきもの)は捕まえなければならないし、ならば他人に迷惑を掛けない範囲で過程を楽しむのが魔術師のやり方だ。私が鞄を肩に掛けなおし、ゆっくり噴水へと近付いてゆくと、動く骨格標本は口に肉を咥えたままでこちらを向いた。空っぽの眼窩が私の目と合う。数秒の間。
 果たして彼は飛翔を選んだ。より安全にランチを味わえる場所を目指し、両腕を、否、翼を大きく打ち振りながら助走をつけ、そのまま空へと舞い上がったのだ。私は行き先を一瞥し、手元に残されたほうのサンドイッチを口に押し込む。それをミネラルウォーターで胃に流し入れ、続いて右手を正面、何もない空間に突き出して唱えた。 「デューロ、来たれ!
 陽光降り注ぐ公園の風景が、その瞬間にぐにゃりと歪んだのを誰しもが見ただろう。今や芝生に集う人々の視線は、私というただ一点に注がれているのだから。次元と次元の継ぎ目を通じて、私は愛用の箒レイヴンズウッド1914を「召喚」し、騒然とする群衆の前でシラカバの柄に跨った。
ペータ・ストン・ウラーノー、翼よ甦れ!
 本当は呪文など唱えなくとも、この手の日用魔法は問題なく行使できるのだが(というより、箒乗りとしては無詠唱発動ぐらい習得していて然るべきである)、市民に対するアピールもたまには必要だ。「飛行」の魔術はたちまちのうちに箒を宙に浮かせ、横手に見える公立図書館の屋根ほどまで引っ張り上げた。
「パパ、やっぱりおもちゃじゃないよ!」 子供らしい驚嘆の声が遠ざかる。 「本物の魔法使いだ!」
 そうとも、私は本物の魔法使いだ。子供の夢を壊すようでなんだが、本物の魔法使いは程度の差こそあれ、自らの愉悦のために小狡い手をあれこれ考えるものである。

  * * *

 聖パトリック大聖堂の優美なバラ窓をかすめ、地上を遥かに400フィート、我々は北向きの風を背に受けていた。もちろん、穏やかに降り注ぐ秋の日差しも受けていた。小憎らしいぐらい好天だ。こんな日に空を飛ぶなと言うほうがどうかしている。
 眼下に伸びるマディソン街は、今日も今日とて路駐の車と黄色いタクシー、サイクリストその他あらゆる目的を持った人々で賑わっている。しかし、今の私にとって注目すべきは人類ではない。前方右手に視線を移せば、骨組みだけの鳥が見えない翼を広げて(なんだかよくあるポップスの歌詞みたいだ)、旋回を始めていた。
 この鳥の飛び方は、例えばカラスやハトの類とは大分と違っている。ほとんど滑空なのだ。勿論翼を上下に動かしもするが、どちらかといえばこうして「羽ばたく」ことは苦手なようで、小回りこそ利くものの、速度はそれほど出はしない。一方、私が乗るシラカバの箒は「高速飛行用」と銘打たれており、時速60マイルぐらいは軽々と叩き出すことができる。つまり捕獲自体は極めて容易である。にも関わらず私が手を出さずにいるのは、単に飛行時間を引き伸ばしたいからだ。鳥のアンデッド(推定)と真っ昼間から編隊飛行できる機会が、果たして人生に何度あるだろうか?
「なあ、君!」 私はほんの少し箒の速度を上げ、嘴ではなく尖った歯を持つ頭と横並びになる。
「今更それを返せなんて言わないから、せめてどこで食べる気かだけは教えてくれない? 贔屓のランチテラスはある?」
 高層ビルの谷間を吹き上げる気流に乗って、彼は時折高度を稼ぎはするが、聳え立つ摩天楼を飛び越えるだけの力はないらしかった。私だってエンパイア・ステート・ビルとまでは行かずとも、メットライフビルぐらいは見下ろす高さを飛びたいのは山々だ。今は彼に合わせるしかない。なにしろこの種を追跡し、正体を見極めた上で保護するのが当座の大義名分なのだから。
 正体に関して――これが合衆国で一般に見られる妖精の類でないことは確言できる。逆に言えば、私の持つ知識だけではそれぐらいしか確言できない。霊魂らしきものを感じなくはないけれど、死霊術が関わっているかどうかは、専門の係官に見てもらうしかないだろう。何らかの強制力が加わってはいなさそうだが、巧妙にカモフラージュしている可能性もある。……なんだか刑事もののシットコムによくある「対象を全く絞りきれていない下手なプロファイリング」みたいになってきた。やめよう。

 その時、鳥が尾の向きをさっと変え、北西へと進路を取った。行く手にはそろそろセントラルパークが見え始める頃合、追い風は先程よりもやや弱まってきている。
「セントラルパーク、鳥」 私は口に出してみた。 「確かにまあ、動物園はあるんだけれども」
 だが、セントラルパーク動物園の上を飛び越え、メトロポリタン美術館の屋根を見下ろすにいたって、別の予感が脳裏を過ぎった。この広大な公園には他にも様々な施設が備わっており、敷地を挟んで西側にもまた別の観光名所がある――
「まさか、アメリカ自然史博物館だなんて言わないだろうね」 そうだとしたらとんでもない話だ。
「『ナイト・ミュージアム』じゃあるまいし。ちょっと君、博物館会員でもない限り、成人は入場料として23ドルも取られるんだぞ――たぶん成も!」
 注意を向けてやったものの、彼は素知らぬ顔で返事もしなかった。人語を解すとは限らないし、仮に解したとしてもサンドイッチで口が塞がっているのだから、返事など期待するほうが間違いだ。溜息をつくと同時に妙な疑問が浮かぶ。所蔵されている標本が他の展示を観覧したい場合、会員の身分でフリーパスを許されるんだろうか?
 幸か不幸か、骨格標本めいた鳥の行き先は博物館ではなかった。細い尾の骨をしならせて再度方向転換。再びブライアント・パークのあるミッドタウンへUターンする様子だ。もしかすると彼も私と同様、少しでも長く飛んでいたいだけなのかもしれない。あるいは私の言葉を理解して、自分の同類を眺めて回るのに23ドルを支払うことはできないと判断し、屋根だけ見学して帰ることに決めたのかもしれない。マンハッタンにやってきた旅行客たちが、この大都市の恐るべき物価に慄き、有名カフェや娯楽施設の門前で静かに踵を返すように。

 悠々のフライトはそれから数分続いた。ハロウィンの飾り物めいた鳥はビルの谷間を滑らかにすり抜けて、真下にブライアント・パークを臨みながら降下しようとしていた。
 次の瞬間、私の耳に届いたのは別の鳥類の鳴き声だった。カァカァと短く連続した響きは間違いなくカラスのものだ。ただし、都市部でよく見るcrowの声とは違う――これはravenだ。そして、ワタリガラスはマンハッタンの街で自活してはいないはずである。
「もしかして」
 と言う間にも喚声は近付き、やがて箒の両側から私を追い抜くようにして、二羽の大きなワタリガラスが飛び出し、我々の前に躍り出た。黒く艶やかな、よく手入れされた翼が午後の日差しを照り返す。彼らは明らかに私と、私が追跡している(ことになっている)鳥に目を据えていた。
「もしかして」 私は繰り返した。 「フレディとジェイソン?」
 言うまでもなくホラー映画の殺人鬼から取られた名を呼ぶと、二羽はめいめい高く鳴き交わした。
 この「返事」が肯定だとすると、彼らはただのカラスではなく、ニューヨーク支部生物管理部長の使い魔である。なるほど、市内に正体不明の生物ありとなれば、偵察を寄越すのも当然のことだろう。どうやら楽しい空の旅もここまでのようだ。まあ、普段どおりの昼休みを過ごすよりは、ずっと充実したひと時だったから良かったか、と私が思いかけたときだ。
 背後にもう一つ、何かが接近する気配を私は悟った。カラスたちの鳴き声が大きくなる。傍らに目をやれば、骨の頭がこちらを向いており、軽く首を傾げるような仕草を見せた。私だって首を傾げたいぐらいだが、実際にそうして考え込むほどの時間はなかった。
「ペンドルトン!」
 後ろから呼ぶのは人の声だった。それも覚えのある声だ。私は急旋回してそちらを向いた。 「ブラザー・バートラム?」
 そして予想通りのものを見た。菩提樹リンデンの柄を持つ箒を操り、我々より10フィートほど高い位置から降下してくるのは、灰緑色のオーバーコートを纏った魔術師だ――紛うことなき生物管理部長殿ことブラザー・バートラム・ワイデンライクだった。

戻ってこい、今すぐに! お遊びの――時間は――終わりだ!
 向かい風に決して劣らぬ声をブラザー・バートラムは張り上げた。強い語勢だったが、それが私に向けられたものでないことは明白だった――ドイツ語だからだ。この三十路そこらと見える魔術師の口から英語でない言葉が飛び出すことに、誰も疑問など抱くまい。何しろ彼は頭のてっぺんから爪先まで使って、生粋のドイツ人であることを全力で主張しているからである。それも、鷲と柏葉の記章を冠した官帽を被り、オーバーコートには白い縁取りの肩章を縫い付け、足元は脹脛にぴったり沿う形をした黒革のブーツ――要するに、まるっきり第二次世界大戦期のドイツ陸軍将校という格好でもって。
 80年ほど時代を間違えた人物の呼び掛けに、応えたのは彼の使い魔であるワタリガラスだけではなかった。驚いたことには、特にドイツと縁深くなさそうな骨鳥までもが、張りのある声に引き寄せられるように首を持ち上げたのだ。
「ペンドルトン、手間を取らせたな!」
 此度は明確に私への言葉だ。もちろん英語に切り替わっているが、強烈なドイツ訛りは残っていた。彼は加速を付けて私とすれ違ったと思えば、捻りを入れて宙返りし、私の箒と隣り合う。三羽の鳥たちもそれに従った。
「魔法生物管理課の床にショゴスをこぼした馬鹿者が居てな、迎えに出るのが遅くなった」
「冗談ですよね?」 私は訊いた。箒の柄を握る手が滑りそうになった。
「冗談だ、本当のところはブラック・プディングだ。吾輩の折り畳み式自転車一台が犠牲になったので、憎悪の念を込めて火葬にしてきた」
 強酸性の体液を持ち、ほとんどの金属を瞬く間に溶かしてしまえる上に、炎より他に有効な駆除手段もないという凶悪なスライム種の名を挙げながらも、ブラザーは言葉に反して笑顔のままだった。彼はこの手の「無表情ではないポーカーフェイス」に長けているのだ(もはや怒りのあまり笑うしかないだけかもしれないが)。私はといえば、折り畳み式自転車でミッドタウンへ通勤してくるドイツ軍人の姿を頭に思い描いてしまい、真顔を保つのに苦心しなければならなかった。
「その職員のお財布もついでに火葬されたこととは思いますけど、それはそれとして増援はありがとうございます。この通りもう戻るところでしたが」
「ああ、けいの追跡能力については大いに評価しているのでな、そこを心配はしていなかったとも。さりとて自身の持ち物に対して責任を負わない訳にはいかん」
「持ち物ですって?」
 箒の進路を「ザ・マンション」こと支部本館へ向けたところで、引っかかる単語を耳にした。
「このサンドイッチが、」
 空飛ぶ陸軍士官は傍らの鳥に手を伸ばし、尖った口が咥えていた包みを取り上げた。発声の自由を取り戻した骨の頭が、抗議するかのようにケッケッと鳴いた。
「市民の持ち物と見なされるのであれば、この鳥だってオレの持ち物ということになろう。つまり、正当な労力を支払って所有権を獲得したわけだ」
「ブラザー・バートラムが? 鳥であればアンデッドも使い魔のうちなんですか?」
「使い魔ではない。かといって別にハロウィンの飾りでもないぞ。年中を通して吾のものだ。――ハロウィン! そうだな、もうすぐハロウィンではないか、忌々しいことに!」
 急にブラザーの語気が荒くなった。 「吾輩があれほど口酸っぱくして言い置いたものを!」
「何かあったんですか、ブラザ――」
「言いか、吾輩は誰になんと頼み込まれてもナチ・ゾンビの仮装はやらんぞ! 今年のコミコンで新作FPSがどれだけ好評を博したとしてもだ!」
「ブラザー?」
「アーネンエルベのオカルト将軍も、『ありとあらゆるよくわからん理由で帰ってきたあの人』も却下だ! そのような無神経なネタで吾輩を、まして吾が兄弟を嘲弄するような奴は滅び去ればいい!」
「ブラザー……」
「なお吾の個人的観点から述べると、『ヘルボーイ』のクロエネンなら懇願次第でやってやらんこともない!」
「あの、ブラザー・バートラム?」
 非常に根の深い歴史問題が、突然あらぬ方向に着地した気がして、私は重ねて訊き返さなければならなかった。生物管理部が毎年のハロウィンに、職員・管理動物を問わず仮装してパレードを行うのは良く知られた事実だが、舞台裏がそんな訳の解らないことになっていたとは初耳だ。ブラザー・バートラムは箒に跨ったまま、「認めるのは癪だが映画のアレは純粋に格好良かったからな……問題はガスマスクだな……」等とぶつぶつ言っている。私は生憎とその映画を見たことはないので、該当する登場人物も知らないのだが、察するにドイツの軍服を着てガスマスクを被ったヴィランなのだろう。ブラザーが言うなら本当に格好良かったに違いない。

「――…そしてその暁には隠密裏に、あれらの下品な輩が有するコート類へ特定のフェロモンを染み込ませてやるからな。フィールドワークの先々で不快害虫にたかられてウエッという感じになるが良いわ!」
「ブラザー・バートラム、ちょっと」
「そもそも生物管理部の人間でありながら、ヤスデやカマドウマに恐れを成すとはなんという――待てよ、何の話だ?」
「報復の妥当性はともかく、方向性はだいぶ間違えている感があるという話ですかね。それよりもブラザー、結局どういった経緯でそれはあなたの持ち物に?」
 気がつけば支部はもう目前に迫っている。着陸するなら生物管理部の領地である屋上庭園だ。私は箒の柄を引き起こし、上昇の準備をしたが、ブラザーは考え事に夢中で前方不注意の様子だった。まさか壁面に衝突しやしないだろうかと一瞬ひやりとした。
 結論から言えば杞憂であった。歴戦の元軍人とその箒は共に十分な危機回避能力を持っていた。彼がガラス張りの壁すれすれで、片手で握った菩提樹の枝を上向けるや、箒はたちまち窓ガラスを舐めるように急上昇した――あの機動力には恐れ入る。我々は無事に揃って屋上のフェンスを飛び越え、石のタイルが敷き詰められたあたりに着地した。

「経緯と言われてもな、吾輩がこれを発見し、そして発掘したので、問題なく吾がものとなったとしか説明のしようがない」
 至ってシンプルな答えを返し、ブラザーは問題の鳥を顎でしゃくる。 「そら、来たまえコム・ショーン!」
 給水タンクの上に止まっていた彼の「持ち物」が、再び風を切って降下し、軍帽の上に軟着陸するのを私は見た。意思疎通は問題なくできているようだ。それよりも気になるのは「発掘」という語である。
「いま、『発掘』と仰いましたか? それはつまりこの骨を?」
「いかにも、紛れもないドイツ産だぞ。試しに嗅いでみるがいい、ゾルンホーフェンの石灰岩とアルトミュール川の匂いがするはずだ」
「残念ですが私はあなたほど恵まれていませんでね、骨の匂いを嗅いで産地が解るような鼻は持っていないんですよ。……つまり、ただの骨ではなくて化石なんですね、この鳥は」
 言いながら、私はありとあらゆるドイツに縁がありそうな鳥、例えばワシやコウノトリといったものの姿を次々に思い浮かべたが、どれ一つとして眼前の骨格と合致しなかった。
「厳密に言えば鳥ではないがね。鳥の親戚と言うべきだろうか」
 愉快そうに鼻を鳴らしてブラザーが答える。私は思わず顔を上げ、彼の頭上で翼を休めるその「鳥の親戚」をまじまじと見つめてしまった。確かに初対面から、どうも鳥にしては色々と妙なところがあると――「ミニチュアの恐竜のよう」だとさえ感じていたが、本当にそうだったのだ。
「もしかしなくても、あれですか、あれ……」
 咄嗟に種名が出てこなかったため、幾らか言いよどむことになった。 「始祖鳥?」
「大当たりだ、ペンドルトン。現在までに発見されている始祖鳥の化石は、その全てがドイツのゾルンホーフェン産出だ。テストには出ないが覚えておくといい」
「よくそんなもの発掘しましたね、――いや、それよりも、よくそんな貴重な標本を、マンハッタン上空へ解き放つ気になりましたね?」
「吾が解き放ったとは一言も口にしていないぞ。まあ解き放ったんだが。化石もたまには運動させてやらんとな、欲求不満で化けて出たりとかするんだぞ」
 ブラザー・バートラムの目は真剣である。生物管理部というのは思っていた以上に奇矯な部署らしい。「たまには運動させてやらないと化けて出る」ときた。彼の理屈からいうと、全世界に十数個しか存在しないという始祖鳥の化石たちは、方々の博物館で欲求不満に陥っていることになるのだろうか。宿直室で仮眠中の警備員の枕元に立ったりしているだろうか。
「言っておくが、これらの運動によって恩恵を受けるのは鳥だけではないぞ。文字通りの一石二鳥というやつだ。ほら、そうは思わないかね、ペンドルトン?」
 考え込む私の顔を、左右でほんの僅かに色合いの違う目が覗き込んだ。正しく私が恩恵を受けただろうと言わんばかりに。

「……そうですね、ブラザー・バートラム。とても良い運動になりました」
 頷いて、私は自分の相棒を、続いて彼が握っている菩提樹の箒を見た。シュロス・イッターの1995年モデル。オーストリアの老舗箒メーカーが生み出した傑作だ。私のレイヴンズウッドも20世紀屈指の名器だとか、当時の戦闘機に喩えて「箒界のスパッドS.XIII」だとか言われているが、彼が手にした優美な枝との間には流石に太刀打ちし難い性能差がある。第一次世界大戦と第二次世界大戦ぐらいには差がある。レイヴンズウッドがスパッドならシュロス・イッターはメッサーシュミットBf109なのである。我らがチーフことブラザー・ウェンセスラスが渇望するのも無理はない。
「そうだろうとも。魔術師だって研究室に篭りきりではいかん。定期的に身体を動かさねば健全とはいえない。かく言う吾輩が自ら回収に赴いたのも、もっぱら鬱憤晴らしが主目的だったのだが」
「解りますよ。嫌なことがあったときには空を飛ぶに限ります」
 私は頭上を振り仰いだ。清々しい秋の空。 「サンドイッチ半切れでこれだけ飛べれば儲けものだ」
「何?」 視線を戻すと、ブラザーが目を見張っている。 「サンドイッチ?」
 言って、彼は手近なベンチに置いた私の昼食(もう大分と原型を留めていないが)を凝視した。頭の上では始祖鳥がぴょこぴょこと飛び跳ねている。重たくないのだろうか。
「あれは卿のものだったのか、ペンドルトン! というよりも、卿は昼食にキューバン・サンドイッチなど食べる人間だったのか!」
「ええ、未確認飛行物体に昼食をさらわれるような、不運な合衆国市民でしたよ」
 肩を竦めて私は答える。 「いけませんか、キューバン・サンドイッチは」
「いかんとは言わんさ、意外だっただけだ。とにかく、吾輩は始末書作成の責務を免れたわけだな」
「いやあ、始末書は免れないかと思いますけれど、私の持ち物だったことは少なくとも幸運でしたよ。下手すりゃ訴訟沙汰ですからね、ブラザー」
「今まで見知らぬ他人のものに手を出したことはないのだ。その辺りは化石なりにきちんと弁えているらしい。むしろ卿の持ち物だったからこそつまみ食いする気になったのかもしれん」
「私が始祖鳥に舐められていると仰るんですか、ブラザー?」
 別にそれぐらいでプライドを傷つけられたりはしないのだが、一応形ばかりは不服そうにしておきたかったので、私は彼の顔をじろりと見上げた。
「親しみを持たれているのだ。そう思っておいたほうが、肉体のみならず精神の健康も保てるぞ。……とはいえ吾の所有物によって、卿の持ち物が害を被ったのに違いはない。何らかの形で埋め合わせをしなければなるまいな。例えば――」
「埋め合わせと言いますか、ねえ、ブラザー」 私は普段より低めの作り声で言った。
「既にお察し頂けているかとは思いますが、こちとら目下、昼食をサンドイッチ半切れこっきりしか口にしていませんでね」

 それを聞いて、ブラザー・バートラムは唇を片側だけ器用に釣り上げ、くっくっと喉に篭った声を漏らす。琥珀色の目が細くなり、どこか得意げな顔つきの演出に一役買っていた。
「ロウアー・イーストサイドの外れに一軒、吾輩が贔屓にしているカフェハウスがある。マンハッタンで一番ジューシーな豚肉の炙り焼きシュヴァイネブラーテンサンドイッチを出すのだが」

 そこまで言って、彼は箒の柄を軽やかに握り直し、澄まし顔をずいと私に近付けると、大変に愉快そうな声で囁きかけた。古代の鳥類が灰緑色をした軍帽から飛び退いて、手すりの上に音もなく止まる。今にもそこから滑空を始めそうな体勢だ。何処へ? もちろん素晴らしい午餐にありつける場所へ。
「どうだね、エアレースを一試合。そら、我々は何故か都合よくまだ獲物を確保していないしな」
「スパッドでメッサーシュミット相手に戦えと仰るんですか?」
「だがメッサーシュミットの搭乗員は飛行時間の足りない陸軍士官だ。翻ってそちらのスパッドにはリヒトホーフェンが乗っている」
 世界に名高き撃墜王の名をブラザーは挙げたが、少しの間を置いてすぐに頭を振った。
「いや、流石にリヒトホーフェンは過ぎた名前だな。ぜんたい国も機体も違うではないか。まあエドワード・リッケンバッカーあたりにしておくのが妥当だろう」
「失敬な。ヴァルハラで英霊にどやされても知りませんよ、ベルトラム・ヴァイデンライヒ少佐」
 私は当てつけがましく彼の名をドイツ語の発音で呼んだ。コートの肩章から推定される最終階級も添えてだ。二羽のカラスとその主人の笑い声が、青空に高々と響き渡り――我々はどちらからともなく愛機・・に飛び乗った。

go page top

inserted by FC2 system