「ねえねえ、見た? シスター・エミリーのさ、プレゼント!」

誕生日には薔薇を -Rose to the Occasion-

 肌寒い月曜の朝のことである。J.Jすなわちブラザー・ジョン・ジェロームは、オフィスに顔を出して私たちを見るなり、開口一番そう尋ねた。見た? などと言われても何のことやらてんで見当がつかない。ニューヨーク支部だけで「シスター・エミリー」が何人いると思っているのか。
「ごめんJ.J、もう少し情報量の多い質問にしてくれると助かるんだけど」
「あっ、ええとね、シスター・エミリー・マクドールのことだよ、生物管理部の。今日が誕生日だったらしいんだけど、出勤したら机の上に誰かからのプレゼントが置いてあったんだって。それで大喜びしてたんだ、なんてったって――」
「なんてったって?」
 本物の生きたフェアリー・リーフドラゴンでも居たのだろうかと、私は件のエミリーについて思い返しながら考えた。「ホーンテッド・マンション」の幽霊みたいな格好をするのが趣味の、ハイティーンと大人の境に位置する彼女は、ニューヨーク支部でも屈指の竜族研究家である。生物管理部の厩舎で既に多種多様のドラゴンを飼っているが、彼女が求めてやまないのは幻想種の中でも極めて希少なフェアリー・ドラゴンたちなのだ。
「なんてったって、バラだよバラ! それも百本のバラの花束さ!」
「ああ、なんだ」
 ところが、J.Jの口から聞かれた事実は予想よりずっと現実的なものだったので、私は思わず失礼なことを口走っていた。百本のバラだって十分にロマンチックな、そう見かけることのない贈り物には違いない。少なくとも私は貰ったことがないし、今後誰かに贈ることもないだろう。
「いや、確かに随分なプレゼントだ。彼女が喜ぶのも解るよ。――私と一日違いだったのか、誕生日」
「そうだね、11月20日。今年は月曜日だから憂鬱だって言ってたらしいけど、あんなの貰ったらブルー・マンデーだって吹き飛ぶよね」
 昨日のパーティーで私に万年筆セットをくれた彼は、うんうんと頷きながらコーヒーを啜っている。まあ、持って帰る手間や置き場所や、ドライフラワーにするにしても多すぎるという使いみちの問題などを考えなくもないが、インパクトによる勝利は見込めそうなプレゼントではある。
「で、それは一体誰からだったの?」
「うーん、そこまでは聞かなかったけど、でも贈り主に抱きついてキスしそうな勢いで喜んでた。今日一日は生物管理部のオフィスに飾ってあるんじゃないかな、あれ」
 後でアイザックも見に行ってきなよと彼は言い、通勤中に購ったのだろうサンドイッチをぱくつき始めた。正直なところ、他人の貰ったプレゼントなど(たとえユニークなものであっても)わざわざ見に行きたいとは思わないのだが、運がいいのか悪いのか、私には生物管理部に行く用事があった。午前中の業務をつつがなく終えた私は、昼休みが始まると同時に支部の別館へ行き、シスター・エミリーがいるはずの部屋に顔を出した。

 果たしてそこに豪奢なバラの花束は無く、シスター・エミリーの上機嫌な顔も無かった。蜘蛛の巣のようなレースがたっぷり付いた、古風なワンピース姿のシスターは、「怒髪天を衝くhit the ceiling」という慣用句の見本にしたいほどの、正しく憤怒の表情を浮かべていたのだ。
 黙りこくったまま虚空を凝視している彼女にとても声など掛けられず、私は一人戸口で立ち尽くす。と、この部署の長であるブラザー・バートラムが、私の姿を見つけて奥から近付いてきた。全身すっかり前大戦のドイツ陸軍将校を模した(模したも何も彼は本物なのだが)魔術師の昼食は、手にした紙パックとその中身を見る限り「フリードマンズ・レストラン」のラム肉バーガーらしい。
「ペンドルトン、ペンドルトンではないか。そういえば貴卿、昨日が誕生日だったそうだな、おめでとう」
「おかげさまで一年息災に過ごせましたよ。平穏だったとは言いませんが。……誕生日といえばですね、ブラザー」
 言いながら、私は険呑な空気が支配するデスクのほうをちらと見る。ブラザー・バートラムのほうもすぐに察しがついたらしく、声を潜めて私の耳元に顔を寄せた。
「誕生日、そうだな。いまマクドールの傍に寄るなよペンドルトン。薔薇の花束で撲殺されるのは貴卿も御免だろう」
「正にその手でシスター・クララに撲殺された吸血鬼を見ていますから、嫌さもひとしおですよブラザー・バートラム。一体何があったんです?」
 私が訊けば、ブラザーの猛禽めいた目が愉快そうな色を帯びる。他人の不機嫌を面白がっているのではなく、単に真相をすぐ教えてしまってはつまらない、とでも思っているようだった。
「原因は実にその薔薇にあるのだがな。いや、それゆえ薔薇に罪ありき、とは言わんが。どうだねペンドルトン、ひとつ解いてみる気はないか。朝方あれほど狂喜していたマクドールが、今になって「怒りで緑や青になっているsich grun und blau argernのは何故かと、吾輩が謎をかけてやろう」
「今のところ皆目見当がつかないんですけれども」
 16歳までは女だったとはいえ、女心が解っているとはとても自己申告できない身の私は、正直に探偵役としては力不足である旨を述べる。
「なに、そう難しい理由でもない。聞けばなんだそんなことかと言うだろうよ。昼休みのちょっとした暇潰しにでもしたまえ。正解したら、そうだな、吾から貴卿に誕生日プレゼントをやろう」
「そういうものは正誤に関わらずくれても良いんじゃないですかね、ブラザー」
 と言ってはみたが、誕生日をダシにして誰彼かまわず金品をたかってやろうという魂胆はないので、これは冗談以外の意味をもたない台詞である。ブラザー・バートラムも、はっはと高く笑い飛ばしたきり、「では健闘を祈る」と私に手を振って、自分の持ち場へ戻ってしまった。
 ともあれ、この謎は私一人の手には余る――真面目に解く必要もないとは思うが、追加で何かしらのプレゼントが貰えるのなら悪くない。私は与えられた課題を持ち帰ることに決め、我々チーム・ウォルターのオフィスへ引き返した。もともとの用事を思い出したのは、自分の席に座ってからだった。

  * * *

「嘘でしょ?」
 帰ってきた私の陳述に、一番驚いていたのはやはりJ.Jであった。
「一ヶ月早いクリスマスかってぐらい嬉しそうだったのに! 何がそんなにいけなかったのかなあ」
「さあね。それが解ったら、ブラザー・バートラムがプレゼントをくれるんだとさ」
 昼食にと近所のデリで買っておいた、スモークターキー・サラダのパックを開封しながら、私は不思議そうな声の主に視線を遣る。
「なんでだろ、受け取った時点では喜んでたわけだから、バラの花が嫌いだったからとかは違うし。後になってから怒る理由が出てきた、ってことかな。実はそれを置いていったのが嫌いな人だった、とか?」
「贈り主ぐらい真っ先に確認すると思うけれどね私は……おっと」
 よそ見をしていたのは失策で、クランベリードレッシングの袋を開けそこねて手が汚れた。一ヶ月遅いハロウィンの特殊メイク、とでも言いたくなるような赤黒さだ。うっかり漏れそうになる舌打ちを堪えて、指に絡んだ液体を舐め取る。シスター・クララが静かに、「せんぱい、お行儀が悪いですよ」と指摘してきた。目敏い。
「でも、誰がくれたか解らない謎のプレゼント、ってのはありそうな話じゃないかな」
「そうだとすると逆に、君が言うほど大喜びできないんじゃあないか。だって不気味だろう、21世紀のニューヨークでは余計にね」
「差出人不明の郵便物は不用意に受け取らない。現代における自衛の鉄則です」
 淡々とした口ぶりでシスターは述べ、合間にチョコレート入りのクロワッサンを齧った。傍にはマシュマロ入りのホットココアが、熱く芳しい湯気を立てている。華奢で小柄な体格からは想像し難い、貫禄の甘党ぶりである。
「それとも、やっぱり魔法使い同士のことだし、何か悪い魔法でもかかってた……いや、それだったら生物管理部がそんな呑気にしてないか」
「監察局にも取り立てて動きがないあたり、そう問題になるような事態じゃないんだろう。事件性なし、個人の受け取り方、というやつ」
 後輩たちの食事を横目で見つつ、こちらもサラダを口に運ぶ。ターキーはお世辞にもしっとりしているとは言えないが、デリのパック惣菜としてはこんなものだろう。安くてそれなりの味がするなら越したことはない。

「J.J、君は現物を見てるんだよな。その百本のバラは何色だった」
「んー? 全部赤いやつだったけど、なんで?」
 物理的実害のある方向は考えないことにして、とりあえず思い浮かんだ可能性から潰してゆくことにする。この場で唯一、朝の時点での様子を知るJ.Jが頼みの情報源だ。
「バラには色ごとに違った意味があるだろう。花言葉ってやつ」
「ああ、赤が愛情で……なんとかいうやつ?」
「白が尊敬、ピンクは感謝、黄色になると嫉妬の象徴だからね。だからもし黄色なら、『シスターが後から意味を知って怒った』ってこともあるかと思ったんだけれど、全て赤色じゃ仕方がないか」
 その昔に読んだ草花のシンボル論――ソーサラーへの昇級試験で出題範囲だった――を思い出しながら、私は一通りの推察を述べた。が、話を聞く限りでは外れのようだ。
「色でないなら本数か品種……いえ、しかし色以上にネガディブさを見出し辛いですね」
「バラの品種なんて大半地名か人名だからなあ。歴史上の偉人や特定の場所にトラウマでもあれば別かもしれないが」
「そうだとしても調べきれないよねえ、数百とか数千あるでしょ品種って」
 J.Jが溜息をつき、私もお手上げ感を隠しきれないまま頷いた。我々の中では一番バラに詳しいであろうシスター・クララも、平静な表情は変えぬまま首をひねるばかりだ。

 そこで私はふと、今まで一言も口をきいていないチーム最後の一人を思い出し、彼からも何かしらの知見が得られないかと考えた。が、見遣った先でその人物、ブラザー・ウェンセスラス・ウォルターは、世のありとあらゆる事柄に対して興味を失ってしまったかのような、淀んだ黒褐色の目で虚空を眺めていた。話しかけてはいけないやつだ。
「あとはもう、花屋さんがうっかりトゲを切り忘れてて指に刺さった、ぐらいしか思いつかないよ僕。それぐらいで怒るのもどうかと思うけどさあ」
「指に薔薇の棘が刺さっただけで激怒するのは、流石に器が小さすぎるというものではないでしょうか。贈り主の責任でもありませんし」
「まあ、多少イラッとはするかもしれないけれど、あれだけ機嫌を悪くはできないな、私は」
 そもそも花束なのだから、包装されているものをわざわざ取り出そうとしない限り、棘の被害を受けることはないだろう。家に持って帰って花瓶に活け直すとき、というなら解るが、生物管理部のオフィスでいきなり束を解くとも思えない。
「他に花屋さんの不手際っていうと、バラに虫がついてるのを見つけたから怒った……ってのも多分ないよね、この感じ」
「生物管理部の職員が、花に虫がいたぐらいでごちゃごちゃ言うかな。いや、植物担当なら害虫に恨みぐらいあるかもしれないけれど、エミリー・マクドールの専門はドラゴンだろう」
 言って、私はシスター・クララの出方を窺う。地元ブルックリン区の町民ボランティアでバラを育てている彼女は、思慮深げな眉を僅かに顰め、
「確かに、手塩にかけた花々に害のある虫を見つければ、心穏やかでいられるとは限りません。ですが、だからといって虫がいること自体に罪があるわけでもなし、それに対して怒りを覚えるのは間違っていると思います」
 と静かに口にした。
「間違っているかどうかは別だけれどね、結局はシスター・エミリーの感じ方次第という話だから。周りの人間がどれほど不思議に思っても、理不尽に怒る人はいる」
「『太陽が眩しかったから』と人を殺すものがいるように、ですね」
「そういうこと。……ただ、今までさんざん推理してきてから言うのもなんだけど、私が思うに彼女は贈り物の種類や質云々で腹を立てる人ではないんだ。人間関係に問題を抱えているとも聞いたことがないし」
「プレゼント絡みのトラブルを起こしそうにない方ですか……わたしはシスター・エミリーとほとんど面識がありませんので、なんとも申し上げられませんが」
 表情自体は冷静そのものながら、困惑の色を滲ませながらシスター・クララは言う。
「ねえアイザック、他に何かアイデアないの? ほら、この中で最年長ってことは、一番誕生日プレゼントを貰う機会が多かったわけだよね?」
 J.Jに至ってはすっかり困り果ててしまったようで、私に向かって明らかな無茶振りをしてきた。私の考えでは、どれほど多くの誕生日を迎えてきたとしても、その年ごとの景気や世界情勢、友人の数等によって、祝われる機会などいくらでも変動すると思うのだが。
「そんなこと言われても困るぞ、J.J。寧ろ君たちこそシスター・エミリーと同年代なのだから、若い彼女の考え方をより推察しやすいんじゃあないのか」
 若干投げ遣りになってきた私が(そもそもブラザー・バートラムが勝手に言い出した謎なのであって、別に本気で解く必要など無いのだが)、無茶振りを投げ返したときである。

 我々の議論に加わることを放棄していたはずの、虚ろな目をしたブラザー・ウェンセスラスが、出し抜けに顔をこちらに向けてきた。J.Jがあからさまに肩を震わせた。ちょっと怖かったのだろう。
「ジョニー・ボーイやクララと同年代はねェよ。お前、あいつァああ見えて――」
 低く掠れたような声が、そこではたと止む。何か重要なことに気がついたとばかり目が据わる。と同時に私も思い至った。シスター・エミリーがバラの花束に怒った理由に。
「……え、何、チーフ?」
 戸惑ったように首を傾げるJ.Jの傍ら、私とブラザー・ウェンセスラスは無言で見つめ合う羽目になった。互いに得たであろう同じ答えに思いを馳せ、確認するように頷く。
「さて、行くかちび助」
「行くって何処にです。私なら生物管理部に行かなきゃあなりませんがね、別にブラザーが来たところで何もないと思いますよ? ブラザー・バートラムはあくまで『私が』謎を解いたら、『私に』プレゼントをくれると仰ったので」
「あァ? 良いじゃねェかよ『俺も』解けたンだから。報酬を手にする権利はある筈だ。まあ山分けとは言わんが、せめて三割――」
 我らがチームのリーダーは、いかにも物欲しそうな顔で図々しいことを言う。完全に無視を決め込まれたJ.Jとシスター・クララはまだ困惑している。
「答えがお分かりになったということですか、せんぱいがた?」
「うん、まあ多分、これじゃあないかっていう物は。あくまで推測だけれどね」
「シスター・エミリーが立腹した理由、……その、せんぱいも同じような立場に置かれたとしたら、やはり怒るのでしょうか?」
「いや? 私だったら嬉しいし、素直に喜ぶと思うよ。とはいえシスターの気持ちが理解できないわけでもない。まさに人によって捉え方が違う、ってやつだ」
 首を傾げて尋ねる後輩に、多少の言い訳つきで私は答えた。その背後では、ブラザー・ウェンセスラスが既にオフィスを出て行きかけている。
「ええー、何だいアイザック、僕らにも教えてよ! なに年長者二人で勝手に理解して完結しようとしてるのさ!」
「後で教えるよ、今はブラザーが色々掻っ攫っていきそうだからそっちを優先するけど。ああ。それか私と一緒に生物管理部まで来て、シスター・エミリーに直接聞いてみるとか」
「そんなカジュアルな形で死ねみたいなこと言わないでくれないかい!?」
 悲痛な声を上げるのが妙に似合うJ.Jを、軽くかわして私も上官の後を追う。昼休みも残り少なになってきた。急がなければ、満腹になったブラザー・バートラムが昼寝ついでに約束を忘却しかねない。

  * * *

 大変座り心地の良さそうな、そして高価そうなオフィスチェアに腰掛けて、出題者は我々回答者を待ち受けていた。ボリューム満点のハンバーガーは姿を消し、今はカップ一杯のホットチョコレートとチュロスで憩っているようだ。
「降参しに来たというわけではなさそうだな、ペンドルトン。実に結構、吾輩も上機嫌だ。上機嫌なので、隣に何やら欲深そうなおまけが付いていることにも目を瞑ろう」
「誰が欲深そうなおまけだ。箒乗り部隊いち清貧な俺を前になンたる言い草かね」
 琥珀色の瞳がちらと視線をずらした先で、四十路がらみの自称撃墜王は怠そうな立ち姿のまま鼻を鳴らした。
「すまんが吾はアメリカンジョークとやらに耐性がなくてな、ヴァルター。君の言わんとするところや笑いどころがさっぱり分からん。ともあれペンドルトン、改めて問うが、貴卿は答えが解ったのだな」
「ええ、恐らくは。……シスター・エミリーはどうしてます? 彼女の怒りのほどに納得はしましたが、その後が心配でしてね」
「紆余曲折を経て和解は叶った、と言っておこう。生物管理部の長として、マクドールの怒りも尊重せねばならんが、いつまでも問題を始末せずにおくわけにも行かんのでな。相手にも悪気は無かったと知れて、ひとまず手打ちだ」
「そりゃァ重畳だ。支部上空での飛行訓練で、怯えたワイバーンやドラゴネットと鉢合わせなくて済む」
 ブラザー・ウェンセスラスが珍しくチーフらしいことを言い、『それはいいからさっさと報酬をよこせ』と目で訴えた。細長いドーナツを温かなチョコレートにたっぷりと浸しながら、生物管理部長殿は軽く顎をしゃくって我々を指す。
「種族の別を問わず生物を愛護するのが我々の使命だ。さて御両人、話を長引かせるのもなんだから簡潔に答えてくれ。君たちは一体どのようにして、マクドールの憤怒を理解したものか?」
「理解といいますか、まあ、何となしに察しただけですがね。だって誕生日祝いとしては些かセンシティブなメッセージでしょう、」
 示し合わせたわけでもないのに、肝心要の部分でぴったりと声が揃う。 「百本のバラの花束に、『年の数だけバラを贈ります』だなんて」

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