おっと、驚くんじゃあない。俺様はただのしがない悪魔だ。

運命の輪を廻す -Like A Rolling...-

 そうは思えないって? そりゃあ当然だ。お前たち人間の想像する悪魔ってのは、全身毛むくじゃらで、大抵は真っ赤か真っ黒で、頭に二本の角が生えてるやつだろう? 足には蹄があったり、口なんか裂けて尖った牙が生えてたり、手には二叉の槍を持ってたりする。
 良いか、人間だってアダムとイヴの昔から同じ格好をしてるわけじゃあないだろう。俺様が初めて地上に出たときの人間は、頭に金縁の三角帽子を被ったり、身体じゅうを飾り紐だのコルセットだので締め上げたりしてたぜ。あの頃と比べたらお前の格好なんか寝間着みたいなもんだ。だが、現代はそれが立派に外出着になる。俺様だって同じさ。つまり、これが21世紀文明社会における悪魔のトレンドって訳だな。

 さて、早速だが本題に入ろう。俺様は悪魔として――何?
 どうして自分なんかのところに現れたのか、と来た。なるほど、良い質問だな。そう、俺様たち悪魔ってのは、善良な人間を堕落させるのが仕事だ。さっきのアダムとイヴに戻れば、イヴのほうを誘惑して知恵の実を食べさせる、とかだな。悪人どもは進んで俺様たちに魂を売ったりするもんだが、自ら謹んで清らかに生きようとする人間、そういう連中を地獄に引きずり込むことほどの楽しみはない。
 翻って、お前はなんというか――普通の人間だ。少なくとも心の澄み切った善人とは言えないぜ。お世辞が大得意な俺様たち悪魔でも、ちょっと真人間とは言いかねる。だが、一生の相棒にできるような大罪人って訳でもない。ま、この国の大部分を占めるただの人、取り立てて悪魔の気を引いたりしないタイプだな。
 ところが、そんな普通の人間にこそできる仕事があるんだよ。なにしろ清らかな善人にしろ鬼畜外道にしろ、俺様たち悪魔の話を基本的に聞きゃしねえ。だからこそやり甲斐があるってもんだが、こっちから頼み事をするとなればもっと楽な相手がいる。それが――そう、お前みたいな「普通の人間」だ。俺様みたいな悪魔を前にしても、とっさに十字架をかざして祈りだしたりしない。逆に、そっちから魂の賭けを持ち出したりもしない。きちんと俺様の言い分に耳を傾けてくれる。そうさ、普通ってことは悪いことじゃないんだ。お前だって小さい頃から「人の話はちゃんと聞きましょう」って教わってきたクチだろう? お前の親御さんは間違っちゃいなかった。話し合いは大事だ。相手が悪魔でもな。
 話を戻すぞ。要するに俺様は、お前に頼みがあってここに来たんだ。エデンの園や悪魔崇拝者のアジトじゃなく、ニューヨーク市ブルックリン区にあるただのアパートの一室に。

 良いか、よく聞けよ。お前に頼みたい仕事というのは――何?
 悪魔の頼みってぐらいだから悪行じゃないのか、だって! そうだな、悪魔ってのはそういうものだよな。悪人のことをそのまんま「悪魔」って呼んだりするぐらいだ。けれども悪魔が悪事しか働かない、ってのは勘違いだぞ。
 考えてみな。お前たち人間が、ほかに悪魔の名で呼ぶものは何だ? スパイスで味付けした卵のオードブルを「悪魔風ゆで卵デビルド・エッグ」って名付けたりしたよな。ダークチョコレートとバターをふんだんに使った、濃厚でリッチなケーキは好きか? あれだって「悪魔の餌デビルズ・フードケーキ」だろう。アメリカだけの話じゃないぜ。辛口の鶏肉ローストを「鶏肉の悪魔風ポーロ・アッラ・ディアボラ」と呼んだのはイタリア人だ。なんで食べ物ばっかりなんだろうな。悪魔が地上に料理人を遣わしたせいか。
 とにかく、悪魔だってたまには善行をなすのさ。人間の短くみじめな生涯に、ちょっとした彩りや快楽を与えてやったのが悪魔だ。その点、神はやれ断食しろだの試練だと思って耐えろだの、良かれと思ってか知らないが、ろくなことを言いつけやしねえ。人間にもそういうのはいるけどな。
 じゃあ、そろそろ具体的な話に移ろうか。頼みたいのは悪行じゃない。間違いなく世のため人のためになる要件だ。この俺様を、邪悪な魔術師から解き放ってほしいんだよ。

 その邪悪な魔術師の居場所だが――何?
 そもそも現代に邪悪な魔術師なんているのか、とはまた呑気なこったな。さてはお前、マスコミ嫌いなタイプだろ。新聞もテレビのニュース番組も見やしねえ、気になるジャンルの記事だけネットで流し読みして、それも数日ぐらいで忘れちまうようなやつだ。いや、別に良いんだぜ、俺様たち悪魔としては。長大なる地獄の歴史に比べりゃ、マスメディアの年季なんぞ赤子みたいなもんだからな。
 それはともかく、21世紀にも邪悪な魔術師はいるんだ。もっとも、21世紀生まれのデジタルネイティブが、いちから邪悪な魔術師を志すことはめったにない。大抵はもっと前の時代から生きてたやつが、術を極めていよいよ野望の達成に打って出た、って感じだな。俺様を捕らえている魔術師もそういうタイプだ。あれは確か――そう、1766年のことだった。想像つくか? 「アメリカ合衆国」なんて国がまだ存在しない時代だぜ。
 魔術師は俺様と契約した。これはお前にもイメージの湧きやすい契約だと思うぞ。そう、「三つの願いを叶えてやるから、死後にお前の魂をよこせ」ってやつだ。すぐに一つめの願いがやって来た。確か、「女をやめたい」だったかな。

 ところが問題はここからだ。二つめ以降の願いが――何?
 どうして三つだけなんだ、普通は「なんでも好きなだけ叶えてやる」じゃないのか、だと? ええい、そんなことでいちいち話を遮るなよ。さっきも言ったろ、「人の話はちゃんと聞きましょう」だ。ちゃんと聞くっていうのは、話の途中であれこれ口を挟まないってことだぞ。
 俺様たち悪魔にも力の差ってのはある。大親分のサタン閣下や地獄の大君主様たちはともかく、俺様はそこまで格の高い悪魔じゃあないんだよ。無限の富とか不老不死とか、そういう大それたことは無理なんだ。もちろん、ちょっとした願いを延々叶え続けることもできない。特にあの頃の俺様は、地獄から出てきたばっかりだったしな。
 とはいえ、人間の性別を少々いじるぐらいは問題なかったから、一つめの願いは叶えてやったんだ。そうしたら、それっきり魔術師のやつは俺様なんか放ったらかし。「悪魔と契約した」っていう事実だけを箔付けに使って、自分の好き勝手に生き始めやがったんだよ!
 お前、ハイスクールの歴史の授業は得意だったか? ――そうか、落第寸前だったか。まあ、合衆国史の成績がC-でも、ゴールドラッシュぐらいは知ってるだろ。そう、カリフォルニアの川で砂金が見つかったんで、人間が大挙して西部に押し寄せたあれだ。その頃、邪悪な魔術師は生まれ故郷のペンシルバニアじゃなく、北のマサチューセッツあたりに住んでたんだが、一報を聞いて自分も西へ向かうことを決意した。といっても、自分が金を掘りにいくわけじゃないぜ。あんな生っ白いちび助に鉱山労働なんて不可能だからな。俺様は気を利かせて、北米大陸横断のために空飛ぶ幌馬車を用意してやろうかと申し出たんだが、「別にそこまでして西部に行きたいわけでもない」とか言いやがる。だったらずっとボストンにいりゃ良いじゃねえかよ。邪悪な魔術師の考えることは解らんもんだ。

 ともあれ、困難な旅路を経て魔術師はカリフォルニアに到着し――何?
 鉱山労働をやらないなら、何のために魔術師が西部へ渡ったのかって? そう、それなんだよ。やつは何だったかいう鉱山街に腰を据えると、仕立て屋を始めたんだ。もちろん魔術師のやることだから、ただの仕立て屋じゃあないぜ。服に魔法をかけるんだ。いわゆる付呪ってやつだな。
 言うまでもないことだが、鉱山労働には作業着が必要だ。毎日朝から晩まで坑道で働いてりゃ、ズボンや靴はあっという間に擦り切れちまう。そこで、やつは布地を保護する魔法を使い、「普通の麻ズボンより数倍長持ちする」という触れ込みで、特製の下履きを売り出したってわけさ。実際こいつは大当たりだった。正に悪魔的な売れ行きだったな。
 もっとも、一人の仕立て屋ないし魔法使いが一日に作り出せる衣類の量は限られてる。素材も労力も魔力も有限だしな。結局このビジネスは、大量生産されたリーバイスのズボンの前に敗れ去った。俺様はまたも気を利かせて、リーバイ・ストラウスを誘惑して業務提携させてやろうかと持ちかけたんだが、返事は「どうせ数年したらよそへ行くんだし、会社なんて持っても仕方がない」だ。何のために西部に来たんだよ。
 ああ、お察しの通りやつは一所に留まりたがらないんだ。長くても15年ぐらいを節目に、今いる土地や職を捨てて、ふらっと別の州へおさらば。結局カリフォルニアにいたのは3年かそこらで、何を思ったか急にテキサスのほうへ出て行っちまった。かと思えば東へ取って返してシカゴに住んでみたり、魔法で食えなくなってきたから鉄道の改札員になってみたり、ニューヨークで一旗挙げかけた途端、戦争が始まって全部無かったことになったりした。「転がる石は苔をつけない」って言葉を知らないんだろうな、やつは。なんたって邪悪な魔術師だからな。

 やつの長大すぎる遍歴の中でも、際立って邪悪なのは――何?
 今までの話を聞く限り、どこが邪悪なのか全く解らない? なんてこった……人間ってのはもうちょっと想像力のたくましい生き物じゃなかったのか。ダンテが馬鹿でかい武器を担いで地獄に殴り込むゲームなんかを、嬉々として企画した挙句に大ヒットさせるような存在だろ、お前たちは? ダンテだぞ? なんだってイタリア出身のただの詩人が、エレキギターでケルベロスをぶちのめしたりできるんだよ。いくらなんでもおかしいだろう。悪魔としては受け入れられないぞ。
 ――その説明は二つのゲームを混同してる? エレキギターでケルベロスをぶちのめすほうのダンテは、名前がダンテなだけで詩人じゃない? いや、もう良い。俺様は邪悪な魔術師について話したいんだ。そして、俺様の話をきちんと理解するために、お前は想像力を働かせなきゃならない。良いな、そのことを念頭に置いてしっかり聞けよ。
 俺様が今置かれている立場を、人間に喩えて想像してもらうとしよう。お前はつい最近になって生まれ故郷を離れ、見知らぬ土地に一人きり赴任してきた新米だ。新しい上司の付き人として、そいつの行く所どこへでも従うのがお前の役目。上司から出される三つのプロジェクトをクリアすれば、お前は晴れて故郷へ帰ることができる。
 ところが、その肝心の上司ときたらどうだ? 最初の簡単な課題を出したきり、残り二つのプロジェクトを口にも出しやしねえ。機会はいくらでも転がってるのに、だぞ。そいつは「今はまだその時じゃない」だの、「お前の手に負えるかわからない」だのとあれこれ言い訳しながら、一人前の仕事を任せてくれる気配が一切ないんだ。そのくせ、「常に自分についてあちこち移動しろ」って命令だけは一日たりとも忘れない。
 仕方なくお前は、やれマイアミの労働者街だの、カンザスの大平原だの、大恐慌真っ只中のマンハッタンだの、ヴァージニアの空軍基地だのに連れ回されて、ろくな生活手当ても貰えないまま、汲々とした日々を送らなきゃならん。新しく思いついた企画をプレゼンしてみたり、最新の流行に気を配ってみたり、なんとか上司のご機嫌を取ろうとしても無駄。空気を殴ってたほうがまだいくらか楽しいぜ。

 どうだ、これでいかに邪悪な魔術師かが少しは理解できたか――何?
 自分も最近わりと同じ目に遭っている? 人間も悪魔もまずい上司に捕まると大変だな? ああ……なんというか、すまんな。少し喩えがまずかったか。いや、そこまで同情を買おうって気はなかったんだ。ローリング・ストーンズが歌にしてくれただけで十分さ。
 まあ、そんな訳で俺様はかれこれ2世紀半、邪悪な魔術師のもと現世に縛られ続けているってわけだ。だが、魔術師の契約だって完全無欠のものじゃあない。なんとかして逃れる術はあるんだ。といっても俺様一人じゃ無理な話でな、だからお前の助けが要る。もし引き受けてくれたら、本来やつのために叶えるはずだった残り二つの願いを、お前のために使ってやろう。さっきも言ったとおり、何でも思いのままってわけには行かないが、そうだな、「邪悪な上司から解放されたい」ぐらいなら朝飯前だぜ?
 俺様は――もちろん、お前の願いを叶え終わったら、まっすぐに地獄へとんぼ返りするさ。もう地上なんてこりごりだ。ケルベロスの餌係に転職したっていい。今の環境よりは絶対にマシだからな。たとえお前のいう、詩人でないほうのダンテが殴り込みにくるとしても。

 よし、話はまとまったな。お前は俺様を解放する。俺様はお前の――何?
 悪魔を解放するにしても、具体的に何をするのか教えてくれなきゃ困ると。まあまあ、そう焦るな。順を追ってちゃんと話すから。お前がまず最初にやるべきことは、目の前にいる俺様――正確に言えば俺様の「器」と、その中身を切り離すことだ。俺様は魔術によってこの身体に縛られてる。いや、確かに身体を選んだのは俺様なんだが、そこから出て行けないようにされちまってるんだな。だから、先にその術を解かなきゃならないんだ。
 こいつにはちょっと複雑な手段が必要なんだが、お前ならきっと――何?
 さっきからオレンジ色のランプが点滅してるんだが、だって? 馬鹿な、嘘だろ!? やつの塒からここまで30分もかからなかったはずだ! どうしてこんなに早く――外が寒いもんだから電池が消耗しやすいんだって、そういうものなのか? そんな、車じゃねえんだから。いや、確かに車も俺様の身体もバッテリー駆動する機械ではあるが……
 いや、違う、そうじゃない。こうなったからには時間切れまでになんとか説明するしかない。一度しか言わないぞ。まず、表の通りを500メートルぐらい直進したところにある「ドゥルゲ・ダーニエ」って店に行け。ポーランド料理屋だ。18時ちょっと前になったら、茶色い髪に青緑の目で、左の頬に大きな傷跡のある、男だか女だかわからんような顔のやつが来るはずだ。お前はそいつに《バッテリー残量が足りません。充電してください》おい、待てよ話はまだ――

  * * *

 iPhoneから短い通知音。休眠状態から復帰した画面には、ここニューヨークはブルックリン区グリーンポイントの周辺地図が表示されている。
 その北西、我が家がある通りから数百メートルの地点で、赤いアイコンが明滅していた。単身者用のアパートが何軒か建っているあたりだ。やれやれ、寒さのせいか上り坂のせいか、普段よりバッテリーの減りが早くて助かった。私は伸びをしてソファから立ち上がり、外出のための身支度を始めた。

 アメリカ人はすべからく開拓者精神を持つべきである、等とは間違っても思わない私だが、どうも私の周辺にはこうした気質を有する者が多く集まるらしい。先だってからも友人のひとりが、新たにスタートアップをやるのだと息巻いており、私にも試作品のテスターを頼んできた。
 その品というのが紛失防止タグなのである。世には携帯電話やら財布やら空調のリモコンやら、「移動させないわけにはいかないが、どこかに置き忘れると非常に困る」品を何かと失くしがちな人がいるものだ。今日びスマートフォンはGPSによる捜索機能が標準搭載されているから良いとして、そこまでハイテクならざる身の回り品をいかに置き忘れないか、あるいは置き忘れてもすぐに探し出せるかは、現代社会における一大命題なのである、と彼は熱く語った。濃いラムコークを5杯も干した後だったので、大分ろれつが回っていなかった。
 酩酊時に大言壮語しがちだという彼の悪習は差し引くにしても、この問題は少なからず現代人の心を掴んだらしい。既にクラウドファンディングによる資金集めも始めているが、なかなかに好調だということが後に確認できた。こうなれば乗りかかった船、もちろんプロジェクトに責任を負うつもりは一切ないものの、まあ試用ぐらいには付き合ってやるかと引き受けた次第である。

 問題は、受け取った試作品を一体何に取り付けて使用するかだった。むろん私にも、「移動させないわけにはいかないが、どこかに置き忘れると非常に困る」ものはある。けれども魔法の杖に電子チップを外付けするのはあまりに不格好だし、任務用の箒もまた然り。というより魔術的な物品というのは、それらが有する魔力をたどって探知したほうが簡単かつ確実だ。わざわざ最新のガジェットに頼るまでもない。
 魔道具を除いたとしても、普段私が身につけて持ち歩くものには、往々にして私の魔力が移り香のごとく染み付いている。愛用の鞄などは非常に忠実で、いつぞやフラットアイアン界隈でひったくりに遭いかけたときは、咄嗟に肩紐を窃盗犯の首へと伸ばし、猛烈に締め上げて見事に落とした。まあ、後で私が市警の巡査からいろいろとお叱りを受けることになったので、持ち主への恩返しも程々にしてほしくはあるが。
 考えた末に私が思いついたのは、自宅で使っている日本製のお掃除ロボットだった。あの円盤型で、ゴミを検知するセンサーが付いており、自動でフローリングをきれいにしてくれる掃除機である。私が使っているのは出始めの頃の製品なので、段差には弱いし最長駆動時間も短いのだが、こいつが実に曲者なのだ。なんと脱走するのである――否、たまたまドアや窓が開けっ放しだったとかいう、一般のご家庭でも起こり得る現象ではない。自らの意志でアパートを抜け出してしまうのだ。それもこれも全ては悪魔の仕業である。

 そう、私が所有するロボット掃除機には悪魔が憑いていて、定期的に主人へと反旗を翻す。かつてエニシダの箒を根城としていたそいつは、時代の移り変わりと共に電気掃除機へ、さらに現在のハイテクガジェットへと機種変しながら今に至るのだ。どうしても清掃用品でなければならない理由はなさそうだが、さりとて全く別の物品へ鞍替えする気もなさそうで、ここ10年ほどはずっと今の身体に甘んじている。実際、私としても普段はそのほうが有難いのだ。そこらを這い回らせているだけで、部屋の埃がさっぱりするのだから。
 しかし、これがふとした機会に根城を離れ、己の魔力を巧みに隠蔽しつつ、ご近所さんを邪悪な電子音声でそそのかすとなれば話は別だ。動力源が乾電池ならまだしも、それなりに複雑な白物家電から毎度バッテリーを抜き取るわけにもいかず(ロボット掃除機の利点を投げ捨てているも同然である)、迂闊に解体しようものなら悪魔本体が解き放たれる可能性もある。さりとて、既に魂を1/3ほど質入れしている以上、安易に祓ってしまうわけにもいかない。悪魔と契約するというのは、かように難儀なものなのだ。250年前に性別適合手術なるものが存在していれば、いくら若い頃の私だって魂を売らなかったはずである。
 とにかく、21世紀文明社会の産物たるお掃除ロボットを、私は都度出向いて回収する必要があった。といっても、バッテリーの持続が1時間足らず、最大速度も説明書によれば「秒速50cm」(つまり時速にして約1.1マイル)という古い代物なので、悪魔がどれだけ頑張ってもブルックリンを脱するどころか、アパートが面する通りを端まで行くのがせいぜいで、そこまで労を要するものでもない。ただ、理解あるご近所さんたちを一軒ずつ訪ねて回るのが面倒くさいだけだ。その点GPSさえあれば、かなり正確に具体的な現在地が解ることになる。これを利用しない手はない。
 そんな訳で私は早速、親指に乗るほどのサイズしかないタグを円盤の上部に据え付けた。専用アプリへの同期等は、件の友人がやってくれた。これでタグ本体の電池が切れるまでは、24/7で悪魔の動向を監視できるというわけだ。そして実際に役立った。

『もちろん今までだって紛失防止タグはあった。沢山あった。だが小生の"アンソニー"が凄いのは、圧倒的な小型化と手厚いサービス・プラン。公共交通機関と提携して、タグのついた忘れ物を自動通知するシステムも考えているんだぞ。そして何より、遊び心も忘れちゃいない』
 私からの活用報告を受けた製作元は、電話口で得意げにそう語った。「アンソニー」なる製品名は聖アントニオが遺失物の守護聖人であることに由来するそうだが、信仰心のない私にはどうでもいい話だった。
「まあ、確かにね」
 スピーカーの向こうで缶のプルトップが開く音を、溜息つきながら私は聞いた。早速の成果事例に祝杯の一つも挙げる気なのだろう。
「タグをつけた品物の数フィート圏内まで近付くと、指定したメロディで知らせてくれる、は良いよ。そのメロディはmp3ファイル等で自由に設定可能、も結構だよ」
『うむ』
「ただ、一体誰の持ち物であるかを考えてセットアップしてくれればなお良かったね。ミセス・ソフロニー宅の小洒落た庭先で、ダース・ベイダーのテーマをバックに玄関まで歩いて行かなきゃならなかったじゃないか。君は私の近所付き合いを何だと思っているんだ」
『ああ、あれな、傑作だったろう! いや、小生もいくらか考えたんだ。ジェイソンが接近してくるときの効果音と最後まで迷ってたんだがね』
「2世紀半に渡って職を転々としてはきたけれど、殺人を生業にしたことは一度もないよ」
『ジェイソンだって別に殺人が生業ってわけじゃあるまい。まあ、友人からの小粋なジョークだと思ってくれ給え、アイザックくん。君だってネガティブな感情から悪魔と契約した魔術師なんだし、言ってみればフォースの暗黒面に魅入られてるようなもんだろう』
 アメリカ人なら誰にでも「スター・ウォーズ」のネタが通じると思うな、とだけ伝えて私は電話を切った。シスの暗黒卿ならざる身の私は、ちょいと手をかざすだけで電撃を放ったり、赤い光の刃を出し入れ可能な便利グッズを振り回したり、黒いマントを翻しながら公道を歩いたりはできないのだ。長さ30cmの杖すら緊急時以外は持ち出し許可が降りないのである。危険物の携行に関するニューヨークの州法はアメリカいち厳しい。魔術師は映画のヴィランほどには強大でも絶対でもない。

 企画・製作担当者が映画オタクであるという、功罪相半ばする点はさて置いて(設定は後で変えておいた)、失せ物探しという面では非常に便利なタグだった。精度は良いしアプリの操作は簡単だし、電波感度もなかなかだ。過去に辿った経路も表示できるので、悪魔のやつがいかに迷走しどこで立ち往生を食ったか一目瞭然である(先日などは空き地の側を通りがかったきり、Youtubeのペット動画じみて野良猫のおもちゃにされていた――魔術師の情けで撮影はしないでやった)。例えばあと30分ほどで予約していたレストランに行かなければならないが、室内のどこを探してもお掃除ロボットが見当たらない、等といった時にも大活躍だ。数分歩いてちょっと寄って回収するだけで済む。
 そう、正に今――しばらく行けずにいたお気に入りのポーランド料理店で、件の友人と顔付き合わせて協議すべく、私は家を出ようとしていたところだったのだ。しかし、「アンソニーが手元から離れました」という通知がiPhoneに送ってよこされたので、なるほど悪魔が脱走したのだ、こう寒い中ご苦労なことだ、さっさと位置を特定しよう、と再び腰を落ち着けた次第だ。
 こうして今日も悪魔の命運は尽きる。お邪魔した先の住人は学生さんだろうか、それとも会社員だろうか。何だって構わないのだが、うっかり悪魔に同情を寄せていないことを願うばかりである。だって茶番がすぎるだろう。契約による労働力の搾取について、喋る機械と意気投合していたら、死神のごとき回収人が表のドアを叩くんだぞ――「ターミネーター」のテーマを流しながら。

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