<「愛とは決して後悔しないこと」>

「ぼく、おとなになったらきみのおむこさんになってあげる」
 そんな告白のときが彼にもあったのだ。年端もいかぬ日々の中、稚気じみた恋を育んだときが。

 翻って、大人になった彼はどうだ。
「何だいライニ、私は彼女に愛を囁くので忙しいのだけど」
「人としての幸福な恋愛を投げ打つにはまだ早いぞ、マンフレート。良いかね、」
「まだ早いだって?」 夕焼け色の蛇を前に、鼻を鳴らす音。 「言うのがだいぶ遅いよ」

(お題:早いプロポーズ 必須要素:200字以内)


<ヴォラレファイルへの蜘蛛糸>

――ある種の蜘蛛は番を得るために、雄が雌の前で踊るのだ。
「気に入られれば雄は雌の胎を満たす。気に入られなければ惨劇だ。雌が雄で腹を満たす」
 長椅子に若い紳士が二人、卓を挟んで向かい合っている。片や米国式の黒いスーツに身を包み、片や欧州の貴族めかしたフロックを纏って。
「紳士淑女の閨事もこれぐらい野蛮ならな! 命を懸けて踊るからこそ、対価に最も大きな愛を得るのだ。外面を繕うのに精一杯な、何処ぞの似非貴族とは訳が違う」
 くすんだ金髪を片手で弄びつつ、スーツの紳士が挑発的な眼で言った。
「君が野蛮であることは否定しないさ」 鼻にかかった声でフロックの青年は応える。
「なんなら此処でお得意のダンスを披露したまえ。もし気に食わなかったら、君を生きたまま喰ってやる」
「キミに御賞味頂けるとは光栄だな、マンディ。私に毒は無いぜ」
「おや光栄なのかい、ブラザー・ヴィルヘルム。私は蜘蛛じゃあないよ」

(お題:愛と死の踊り 必須要素:400字以内)


<蟒蛇の争い>

 彼らが到着したとき、現場は既に騒然としていた。

「ライプツィヒ市爬虫類センターです」
 東独時代の面影を色濃く残す団地の一棟、その玄関ホールの規制線前で、トビアス・"ブルー"・ブルーメンタールは自らの身分証明書をさっと掲げた。警察官がそれを一瞥し、彼を内側へと案内する。その後ろからもう一人の青年が、あたかも同じ爬虫類センターの一員であるかのように続こうとしたが、良識ある警官はすぐにその前へと回り込んで止めた。青年の容姿はどこからどう見ても爬虫類の飼育員、ないし爬虫類学者ではなかったからだ。

「世界魔術師協会ライプツィヒ支部の生物管理部だ」
 黒いテールコートに青緑色のアスコットタイ、襟のボタンホールには薄紫のケシの花を挿した、あたかも19世紀ヨーロッパの貴族ないし結婚披露宴のゲストの如き青年の会員証は、多分に胡散臭い眼で見られこそしたが、一応なりに受け入れられた。二人の若者は揃って廊下を進み、その途中で足を止めた。向かいから救急隊員が担架を運んでくる。上には三十代半ばと思しき男性が載せられている――眼の周りには大きな青痣、口の端からは血を流していた。
「ブルー」 貴族めかした青年が小首を傾げた。
「私が思うに、あれはヘビによる怪我ではないね」
「明らかにヘビじゃないすね。その、おれが受けた電話によれば、団地の廊下で男性がボールパイソンに襲われたって話なんすけど」
「そして君は私に連絡を寄越し、こうして現着した訳だけれども、ボールパイソンが人間を攻撃することがあるとして、普通は噛み付くか締め付けるかのどちらかだと思うよ。あれは――恐らくだが、人間によるものなんじゃあないのかな」
「ですよね?」
「そうとも」

 彼らは暫し不思議そうに顔を見合わせていたが、程なくして事情が判明した。男性「が」ボールパイソン「に」襲われたわけではなかったのだ。
「つまり、前提として男性は、午前から今が盛りのマイボックを呑んで酔っ払っていた。前後不覚で言動も怪しいまま、団地の廊下で住民の女性とすれ違う。女性はペットのボールパイソンを連れていた。男性は彼女に挨拶し、続いてヘビに触らせてみてもいいかと提案した――」
 女性は承諾し、彼女のバッグから大型のヘビが鎌首をもたげた。次の瞬間、悲劇が起こった。
「結果として男性『が』、ボールパイソン『を』襲ったのだ! ヘビが人間に噛み付いたのではなく、人間がヘビに噛み付いたのだよ。激怒した飼い主の女性が救出のために奮闘し、男性は見事にノックアウトされたというわけさ」
「なんというか、もう少しゆっくり来たほうがよかったかもしれないすね、おれたち」
 ブルーが低く呟いた。 「そうすりゃ、もう少しがつんとイケてたかもしれないのに」
「そう言うものではないよ。ヘビの保護と治療だって必要なのだから、早いに越したことはない。もっとも、どのみち我々のやることは無くなってしまったけれど。……この後はすぐセンターに戻るのかい?」
「昼飯がまだなんで、軽く済ませてから。アルノーさんは?」
「今日は非番だよ。なんだったらあの男性みたいに、どこかで一杯引っ掛けるのも自由さ」
「あの人は一杯なんてレベルじゃなかったと思いますけどね」
 若い爬虫類学者は溜息をつき、青年の横顔をちらりと見遣った。

「しかし――なんでも日本には大蛇を酔い潰して退治する話があるそうだけれど、退治する側が酔い潰れているというのはあまり美しくないね。否、ヘビに酒を飲ませるのも宜しくはないが」
「牛や豚なんかと違って、餌にビール混ぜて育てたからって旨くもならないでしょうしね」
「おや、なんということを言うのだい、ブルー! ……少し興味深いな。ヘビを食用にする文化圏の人に尋ねてみたいものだ。美味しい食用ヘビを育てるためには、どのようなビールが一番向きますか、と。あるいは、ヘビが最も好むビールは何でしょうか。そういうことを考えながらマイボックを頂くのも、5月の昼下がりに違った趣が出て良いかもしれないな……」

(お題:早すぎた団地 必須要素:ビール)


<薔薇色にはほど遠く>

「つまり、バラには棘がある。人の指を刺す鋭い棘がね」
 我が友マンフレートは小さな鉢植えを凝視しながら、ごくごく微かな声で呟いた。背後に立つ私に聞かせるつもりがあるのかないのか解らない声で。
「少なからぬ園芸家が、この棘で痛い思いをしてきたことだろう。むろん私も例外ではないさ。幼い頃は幾度となく、庭の生け垣に這う赤いバラの棘に、人差し指を痛めてきたのだとも。――つまり、バラは人類にとって多少なりとも有害なんだ」
 彼が本気でそう思っているのかどうか、私には解らない。氷河のような淡い青色の目を神妙に細め、手元の鉢に注ぐ視線は、しかし「有害」なものに向けるものではないように思える。
「ねえ、だからライニ――どうだろう、我々の植物園でバラを育てるというわけにはいかないだろうか?」
 彼が私に尋ねる理由は解っている。私がこの植物園を管理する部署、つまり世界魔術師協会ライプツィヒ支部、生物管理部危険動植物管理課の課長(あくまで代理だが)だからだ。植物園に新しく導入する植物は、全て私が認可の判を押さないことには決定されない。

「……君の気持ちは解るのだがな、マンフレート。それでも、バラという園芸植物が人類に対して有害であるという説に対しては、私は頷きかねるな」
「どうして!」
「実際、バラには毒はないだろう。否、バラ科に属する植物の種子にはしばしば有毒な成分が含まれるものだが、それでもこの――何といったか、改良された品種のバラには」
「『伊豆の踊子』と云うんだ」
 マンフレートが答えた。 「日本の文学作品だよ。私は読んだことがないけれど」
「それには取り立てて危険性はないだろう。棘にしたって不用意に触らなければいいだけの話だ。庭に植わっているバラの花には、ふつう実がつくこともない。人類には極めて無害と言わざるを得ないし、私でなくともたとえば監察局のお偉方は、この鉢に対して予算を認めることはないだろうよ」


 ああ――私がこう答えた途端に、膨れ面をする友のなんと子供じみたことか。今年で25になるとは思えぬ表情だ。母親におもちゃをねだった挙げ句に却下されて不貞腐れる少年のようだ。しかし実際に成人であるからには、職場の備品購入には厳正な手続きが必要だと理解して貰わねば困る。
「良いかね、君がバラを愛しているのは無論承知だとも。だが君は、そんな愛する植物たちに『人類に対して有害』というレッテルを貼りたいのかね? 無害で結構ではないか。それに越したことはない。我々の植物園に植わっていないということは、一種名誉なことなのだぞ。即ち――」
「名誉だって、ライニ」 薄氷色の瞳が私を見据える。
「良いかい、同じく日本には――『毒にも薬にもならない』という諺がある。リコがこの間口にしていたよ。つまり何の役にも立たないということだ。人類に有害な植物のほとんどは、同時に人類に対して極めて有益でもある。ジギタリスは人間の心臓をほんの一匙で止められるが、同時に心臓病の特効薬にもなる。バラにはそれが無いというのかい? 恐るべき害悪と紙一重の尊い贈り物が?」
 革手袋を嵌めた指先が、何か神々しい遺物にでも接するかのように、黄色い花弁の縁へと触れる。
「ああ、そんな筈がないさ。この世のあらゆる美しいものは、人類に対して有害なのだ――それがあまりにも美しく、人間の救いとなり得るが故に! 君には見えないのかい? 美しい踊子の齎す罪と益が!」

(お題:黄色い薔薇 必須要素:純文学)

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