「エエ、エエ、モット褒メ称エテモ良インデスヨ? 機械技師ガ着飾ッテハイケナイ、ナンテ法ハアリマセンシネ! フフーン!」

馬子にも衣裳と云わないで -Clothes Make Man-

 等と、両手を腰に当てて高らかに笑うのは、年若い黒髪の娘である。なるほど、今日の彼女は着飾っていた――少なくとも煤や油で黒ずんでいない服を着ていた。白黒のストライプが目を引くシャツに、首元へ結んだリボンとリボン留め。腰周りを締める革のコルセットは、細い金鎖と歯車の意匠で装飾されている。折り目正しくアイロンの掛かったスカートの下には、たっぷりとしたレースのペチコート。見ればブーツでさえ、普段の耐久性と踏破性を重視したものではなく、機能的には特に意味のない革紐飾りやら妙に尖ったヒールやらまで付いている。
「本当に、見違えるようだわアンナちゃん……なんて言ったら失礼かしら。普段からアンナちゃんは可愛らしいもの。でも、本当に似合ってるわよ」
「イヤァ流石エリー姉サマ! 見ル目ガ違イマスネー! アノ帝国ノ石頭軍人ハ節穴デスカラ、ドンナニ衣装ヲ盛ッタトコロデ野蛮人ハ野蛮人ダ、ミタイナコト言ッテマシタケド!」
「……やっぱり少尉殿とは喧嘩してたの。さっき『職業人は己の本分を弁えて、それに相応しい服装で責務に臨むべきだ』とかなんとか言ってたのはそのせいだったのね……」
 機械技師の娘を前にしみじみと呟くのは、苔色の髪をしたエルフだった。名をエリーという彼女の姿を見れば、人間のものより些か尖った耳にも、抜けるように白い肌にも、装飾品らしきものは見当たらない。継ぎ当てのあちこちに見えるシャツやエプロン、地味な色のロングスカート、機能性に振り切ったデザインの革靴等、「おしゃれ」という概念を意図的に避けたかのような格好をしている。もっとも、それは彼女の美的感覚が劣っているとかいう訳ではない。彼女を例に取らずとも、帝国臣民の八割方はこれと大差ない服装で日々を過ごしているのだ。望む望まないによらず。
 機械技師の娘はつまるところ例外なのだった。北方の大公国出身だという点とは関わりなく、彼女はあれこれ服装に凝ることが好きだった――無論、普段は己の作業に差し障りのない程度にだが、ひとたび休暇となれば自作の飛行機で帝都へ乗り付け、最新の流行に遠慮なく首を突っ込んでくる。労働者たちが寄り合って暮らす丘に戻ってきた、単葉の単座戦闘機「麗しの白鳥」号のコックピットは、様々の衣類がぎっしり詰まって衝撃吸収材要らずの状態だった。

「帝都のブティックか、……俺には縁のない場所だが、行く人が行けばこうも華やかな装いができる。楽しんできたようで何よりだ、アンナ嬢」
「マァマァ、オ上手デスネエ少尉! 兄貴モ爪ノ垢ヲ煎ジテ呑メバイイノニ! ……デモ、ブティックニ縁ガナイッテノハ違ウンジャアリマセン? 帝国軍ノ士官ナラ、軍服ハ基本オーダーメイドダトカ、私服ニモ相応ノ品格ガ要求サレルトカ何トカ……」
 即席のファッションショー会場――つまり長屋の玄関前に位置する作業場――にはエリーのほか、もう一人の観客がいた。皺一つない灰色のシャツにかっちりとした同系色の上着を羽織り、金色の髪を丁寧に撫で付けたその青年は、格好を見るからに帝国空軍の士官であった。それも花形の戦闘機乗りだ。曇り空の色をした瞳が、気恥ずかしげに視線をふいと逸らす。
「いや、俺は飛行機乗りだから、そうそう上品な格好などしてはいないよ。高価いものを着たって整備のたびに汚れるし、どのみち飛行機には俺一人しか乗らないのだから、誰に見せるわけでもないじゃないか。飾るなら自分の機体を飾ったほうが、まだいくらか敵軍を威圧できるだろう。……兄上なら募兵ポスターや広報誌の表紙によく写っていたし、立派な礼服を着る機会もたくさんあったか知れないけれど」
「ンマ、謙遜! 謙虚ナ帝国人ハ嫌イジャナイデスケドネ! ソウ、大変ニ不本意ナコトナノデスガ、少尉ト例ノ石頭トハ双生児デスカラネ、顔カタチハ残念ナガラソックリナンデスヨネ……」
 ぱっちりとした琥珀色の目で、あどけなさの残る青年士官の顔をとっくり見ながら、娘はきつい北方訛りで言い立てる。この青年は先程から呼ばれているとおり、姓をアイヒェンドルフというが、彼らが暮らす丘に「アイヒェンドルフ少尉」はもう一人いる――通常は「少尉」に加えて「殿」の敬称まで付けて呼ばれる、青年とは正しく鏡写し、頭の先から爪先までそっくり同じ姿をした双生児ふたごの兄が。
「デモ、ソレハ即チ、アナタモ華ヤカナ格好ヲスルノニ差シ支エガナイトイウ事デスヨネ! 帝国空軍ノ制服ッテ、確カニ格好ハイイカモシレマセンケド色合イトカ地味ナンデスヨ! ソレニ、規定デ髪型トカ決マッテルンデショ?」
 言って、彼女は出し抜けに背伸びをして手を伸ばし、上背のある青年の顔をがっちりと捉えた。
「あ、アンナ嬢?」
「マズ、今時コノ何ノ工夫モナイ撫デ付ケ髪ハ無イト思ウンデスヨネ! イヤ、オールバック大イニ結構デスケド、分ケ目モボリューム感モ画一化サレテルッテノハ頂ケマセン! ――エリー姉サマ、チョット鏡オ持チジャアリマセンカ?」
「えっ、わたしにそんなこと言われても……鏡はいつも廊下に掛かってるのをちょっと使わせてもらうぐらいだし」
 突然の行動に目を剥いていたエリーが、戸惑いながら控えめな声で答える。
「フーム、マア鏡ヲ見ルノハ最終確認デ良イトシマスカ……トモカク、ワタシガ思ウニ少尉、アナタハ折角良イ髪質ノ持チ主ナンデスカラ、古臭イ型ニ嵌ッテバッカリジャイケマセン! 前髪下ロシテ分ケ目変エルダケデモ印象ッテ違イマスカラネ!」
「何を言っているのか俺にはさっぱりだアンナ嬢、……その、できれば俺の髪を弄るのは最低限にしてくれないか、ッ」
 娘はどこからか大型のブラシを――それも猪毛か豚毛と思しき上等のものを――取り出し、いかにも軍人と主張するような青年の髪を大胆に改変し始める。髪を後ろへ流すのを止め、額の半分ほどが隠れてみれば、面差しはますます少年めいて見えた。
「あの、アンナちゃん、少尉にもちゃんと理由というか、意志があって今の格好をしていらっしゃるんでしょうから、あんまり無闇に手を加えてはいけないと思うのだけど……」
「アラッ、エリー姉サマハ見タクナインデスカ? 少尉ガ今風ノオ洒落ヲスルトコロ!」
 細く柔らかな金髪を、ふわりと軽く梳かし終え、娘は既に黒褐色のネクタイを解きに掛かっていた。もうすっかり一人前の仕立て屋かなにかのつもりで、新たな結び方について思案している様子だ。
「み、見たくないかって言われると……ちょっと見てみたい気はするけど……」
「エリー嬢?」
「いいえ、もちろん普段の軍服姿が一等お似合いだって思ってます、少尉! だってアイヒェンドルフ少尉は何より飛行機乗りでいらっしゃるもの、飛行服でいるところが一番安心できます。ただ、ええと」
「ホラ、エリー姉サマモソウ言ッテマスシネ! ココハ大人シク観念シテ、チョットシタ心機一転ヲ味ワッテミマショウ!」
 娘の手で結わえられたネクタイは、中心から三方にラインの広がる美しい結び目を作っていた。軍隊で要求されることは決してないだろう、明らかにパーティーや結婚式向けのノットだ。
「本当ハ、モウ少シ明ルイ色シタシャツノホウガ良インデスケド――秋冬デスカラ及第点デスカネ。ソレヨリ、上着ノ襟ニ花トカ飾ルノハドウデス? 今ダッタラ丘ノ南側デ、ヒースガ沢山咲イテマスカラ……」
 戸惑いなど眼中にもない様子で、次々と投げかけられる新たな提案に、気付けば青年の磁器めいた頬には薄く赤みが差しつつあった。どうも美しく着飾ることに対して抵抗が大きいらしい。エリーはそんな若い帝国軍人の姿をはらはらしながら眺め――不意に視線がかち合い、心臓が跳ね上がるような思いがした。これで通常なら、エリーのほうが耳の先まで真っ赤になり、さっと顔を背けるところだが、今日は逆である。普段は規律正しく凛としている青年が、そわそわと落ち着かないでいる姿が珍しすぎて、容易に目を逸らせないのだ。
「その、……エリー嬢、」
「はっ、はい!」
 居た堪れない、といった調子で自分の名を呼ぶ声に、彼女は我に返って応答したが、少々トーンが外れてしまった感は否めなかった。
「あまり……まじまじと見ないで貰えると、有難いんだが。俺はその、こういう髪型にするのが苦手で、慣れていなくて」
「そ、それはすみません少尉、……確かにアイヒェンドルフ少尉が前髪を下ろしたところ、見たことがない気がしますね。軍隊の規則なら仕方がないのでしょうけど」
「規則、規則もあるんだが、俺は兄上と違って……威厳や気品、のようなものが備わっていないだろう。それで髪を下ろしてしまうと、まるで子供のように見えてしまうから……」
 青年の声はますます力無いものになり、言葉の終わりは消え入りそうなほど小さかった。こうまで言われてしまうと、エリーとしても申し訳なさが募るばかりだ。そんなことはないですよ、よくお似合いです――などとは口にも出せなかった。

「ね、アンナちゃん、少尉もこう仰ってることだし、もうこの辺にしておきましょう。人の身なりを勝手にあれこれするものじゃないわ」
 共同体の仲間たちが衣装替えをするところを見たい、可能ならそれを自らプロデュースしたいという娘の気持ちはエリーにも解ったが、着せ替えられる本人の意志は何より尊重されるべきもののはずだ。張り切りすぎて暴走しかかっているアンナ嬢の蛮行を阻止するべく、彼女は度胸を振り絞った。結果はあまり芳しくなかったが。
「ムー……ソレモソウデスネ、ジャア髪型ハ従来通リトイウコトデ、ソレ以外ノ所カライメージチェンジヲ」
「いや、髪型さえ変えなければ良いとか、そういう訳じゃなくてねアンナちゃん」
「トナルト、ヤッパリ小物アタリデ差ヲ付ケルノガ良イデスカネ――ソウダ、小物トイエバ前カラ気ニナッテタンデスヨ、少尉ノ時計ノコト!」
 エリーの説得が空振りに終わる中、娘は青年のズボンを指差した。ベルト通しに銀色のクリップが止められ、そこから細い鎖がポケットまで伸びている。懐中時計のチェーンだ。特別飾り気があるわけでも、標準以上に高価な素材が使われているわけでもない、ごくありふれた品である。
「時計? 俺の時計が何か……」
「前々カラ見カケル限リ、良イモノダッテノハ判リマスヨ? ソレハ間違イナイ、ワタシノ技師トシテノ目ガ保証シテマス。ケド、コレカラノ時代ヤッパリ腕時計ダト思ウンデスヨ、腕時計!」
 腕時計――この丘には専門の時計職人が居ないので、エリーも実物こそ見たことはないのだが、名前だけなら聞いたことがあった。懐中時計の竜頭の位置を変え、手首に装着できるようにベルトを付けたものだ。帝国の婦人たちの間で流行し始めたのが切っ掛けで、最近は紳士用のものも作られているという。
「ソレニホラ、トレンドダカラ、ッテダケジャ無インデスヨ、機能性モ抜群デス! 考エテモミテクダサイ、飛行機ノ操縦ヤ整備ノ最中ニ、イチイチズボンヤ上着ノポケットカラ時計ヲ取リ出シテル暇、アリマス? 手間ジャナイデスカ」
「なるほど……言われてみると、手が離せない作業のときには便利かもしれないわね。手首を見るだけで時間が判るんだもの」
「デショ、エリー姉サマ! ワタシモ一本持ッテルンデスケド、今度思イ切ッテ改造シテ、ネジヲ自動デ巻キ上ゲラレルヨウニシヨウカナッテ……ソシタラ、マスマス便利ニナルコト間違イナシデス!」
 自信たっぷり、堂々とした笑顔で断言する機械技師の娘に、エリーは大筋で同意しながらも、青年の表情を窺うことは忘れなかった。果たして、彼は話の流れに頷きつつも、やはりどこか気乗りがしない風だ。
「うん、確かに腕時計は良いものだろうと思う。つまり、新しいものや流行りものは嫌いだ、懐中時計がいい、と言いたいわけではないんだ。ないんだが」
「どちらかというと、今の時計そのものが好きで、別のものに換えるのは気が進まない、ってことですか? アイヒェンドルフ少尉」
 遠慮の一切ない双生児の兄とは好対照、女性に対してきっぱりとした態度を避けたがる弟の、押しの弱い物言いからエリーは察する。
「ああ、……というのは、この時計、」
 青年はポケットに収まった愛用品に、布地の上からそっと手を遣って言葉を続けた。
「士官学校の卒業記念で、兄上に頂いたものだから。……俺にとっては、見た目や機能よりもずっと大きな意味のあるものだから、あまり外したくはないな」
 静かで穏やかな、けれど芯のある響きだった。日ごろ己の兄弟に向けているのと同じような、慈しみと微かな畏れとが滲む声であった。

「……アンナちゃん、そういうことよ。少尉のお洋服は、少尉の好きにさせてあげましょう」
 今こそもうひと押しが有効だと悟ったエリーが、ここぞとばかりに言い添える。子供を宥めるようなその口調に、小柄な外見ながら一応は立派な大人であるアンナ嬢は、些か不本意そうな膨れ面を一度は見せた。が、
「マア、エリー姉サマと少尉ガドウシテモと言ウナラ、他者尊重ノ精神ヲ見セナクモアリマセン。私ハドコゾノ誰カサント違ッテ寛容デスノデ?」
 不承不承といった雰囲気ながらも、譲歩することに決めたようだった。もっとも、口ぶりだけは相変わらずだが。
「それは……その、アンナちゃんが言えたことではあまりないというか、」
「何カ言イマシタ? ――アァ、ソレニシテモ! コンナニ出来タ弟ガ居ルッテイウノニ、ドウシテ兄貴ノホウハアアモ因業野郎ナンデショウ……」
 思案顔でぶつぶつと続ける娘を、「出来た弟」は苦笑いを浮かべながら見ていたが、ふとエリーのほうに目を移した。
「そうだ、アンナ嬢。もし自分の手で誰かを美しく変貌させたい、というのなら」
「ン?」
「丁度ここにエリー嬢が居るじゃないか。彼女こそ、普段からおしゃれをしてみたいと思っていそうなものだろう。何か素敵な服装の案はないだろうか」

 話題の中心に突如据えられたエリーは、咄嗟に何も口を利けないほど吃驚し――全く不必要な力をありったけ込めて、首を左右に振り回した。
「無理です、む、無理ですそんな! いくらアンナちゃんでもわたしをその、う、美しく、変貌……!」
「オオ、ソレハ実ニ素晴ラシイ提案デス少尉! 上手ク逃ゲマシタネ?」
「逃げたなどと言わないでくれ。俺はエリー嬢の望みを叶えたいだけだ。……いや、俺のことだから、もしかするとただの思い違いで、彼女はそんなこと望んでいないのかもしれないが、その時は」
「の、望んでないってことはないですけど」
「ナルホド、ナルホド、ソレナラモウ話ハ決マリデスネ!」
 表面上は必死に否定するはずが、迂闊にもそう口走ってしまったがため、機械技師はいよいよエリーに対する意欲を燃やし始めた。琥珀色の目が爛々と煌めき、エリーの顔に視線を据える。
「ヨシ、エリー姉サマ! ドウイッタ系統ガオ望ミデス? エルフ性ヲ重視シタ、天然素材メインノ魔術師ルック? ソレトモ、帝都ノ目抜キ通リニ映エル最新式ノ階差機関テキスタイル?」
「ええとねアンナちゃん、わたしアンナちゃんの言ってることがよく解らなくて」
「くれぐれも手加減はして貰えるかな、アンナ嬢。それこそ、まずは胸に花を飾るところから始めたほうがいいかもしれない」
 面白がっているわけではなく、あくまでも真摯な口調で青年が言った。ネクタイの凝ったノットを解き、ごく簡素な形に結わえ直しながら。
「ソウデスネ、アンマリ急激ナ変化ハ体ニ毒カモシレマセンモノネ。ジャア姉サマ、トリアエズ第一手トシテ、ヒースノ花ヲ……」
「ああ、アンナ嬢、」
 善は急げとばかり、野外活動にはおよそ向かない格好で走り出しかけた娘を、青年は片手でさっと制する。
「個人的な考えだが、エリー嬢にはヒースよりも……そうだな、今の時期なら、あれは丘のどの辺りだったか、プリムローズが固まって咲いているところがあったろう。あれぐらい明るくて愛らしい花のほうが似合う。アンナ嬢と二人で摘みに行ってはどうかな」

 それを聞いて、機械技師にして即席の服飾コーディネーターたる娘は、色の薄い唇に大変愉快そうな笑みを浮かべ、すぐさまこう切り返した。
「嫌デスネエ、少尉ッタラ。コウイウ時ハ普通、『今度自分と一緒に摘みに行こうか』ッテ言ウモノデショウ!」

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