げんなりした顔を便箋から上げ、先生は言った。 「ケイリー、お茶の準備を」

昔はよかったかもしれない -Old Magicians Never Die-

 わたしの目線から控えめに見ても、先生はわがままで、強情で、気分屋で、とんでもないナルシストだ。自分のことを「先生ドクター」と呼ぶよう他人に強制し、礼儀作法にうるさく、いちいち気取っていて、そのくせ一人でいるときには相当なズボラで、人を顎でこき使う、あんまり友達にはなりたくないタイプの人である。
 しかし、そんな先生にも友達はいる。それも、つい最近できた知り合いではなく、数十年の付き合いがあるぐらいのちゃんとした友達だ。もっとも、先生がいつどんな時でもその友達を歓迎しているかというと、実際のところそうではない。今わたしに午後の席を調えるよう言いつけた声も、最高に面倒くさそうだった。先生はいつもこの友達について、「まさかの時の友ではあるけれど、近くの友ではいてほしくない」と言っている。わたしも素直にそう思う。
「何時に来られるんですか、マスター・スターンテイラーは?」
 今から準備をしろというのだから、たぶん一時間以内には来るのだろうけれど、一応は目安として聞いておきたい。来客用のティーセットを戸棚から取り出しながら、わたしは先生に確認した。そうしたら、先生は身体をソファーに沈めたまま、便箋をぽんとコーヒーテーブルの上に放り投げて、
「二時半には着きたいんだそうですよ。三十分後」
 とだけ言うと、クッションに顔を埋めてしまった。こんな急な来客もいつものことだ。読み終わったとたんに玄関のチャイムが鳴ることを考えれば、ずいぶんましというものだった。

 先生の古い友達、マスター・ステファン・スターンテイラーは、魔法の道に入って軽く百年にはなるという、筋金入りの魔法使いだ。そして、ファンタジー小説に出てくるような、「自信に満ち溢れた現役の大魔術師」のイメージそのままの人だった。見た目には若々しい男の人で、黒いローブを着て長い杖を持ち、使い魔を連れていて、自分が魔法使いであることに誇りを持っている、そういうタイプだ。
 ただし、言うまでもなく今の世の中、「そういうタイプ」が一般的なのは、あくまでファンタジー小説の中でだけだ。二十一世紀という時代に、「三十分ぐらいしたら遊びに行っていいか」という連絡を伝書鳩でよこす人が何人いるだろうか。魔法使いさえスマートフォンの短いテキストでやり取りをする世界なのに、マスター・スターンテイラーは最新の技術をかたくなに拒み続けていた。
 それがどういうことかというと――つまり、「今日は都合が悪いから来ないでくれ」と返事をしようとして、こちらが電話をかけたとしても、マスター・スターンテイラーは出ない、ということだ。電子メールを受信できるような機械は、あの人の家にはそもそもないし、あったとしても目を通してはくれないだろう。受け入れてくれる連絡方法は、先生が直接出向いて断るか、自筆の手紙を使い魔(もしくは、かわいそうな弟子のわたし)に届けさせるかのどちらかしかない。そして先生は万年筆を握るどころか、そのへんに転がってるペンに自動筆記をさせることさえ面倒がるほどの怠け者なので、実質断るという選択肢がないことになる。
 そういうわけで、マスター・スターンテイラーのところの伝書鳩が、「今日の午後に行くから茶を出せ」という手紙を持ってきた場合、先生は重苦しいため息をつきながら、わたしにお茶の準備をさせ、自分はソファーの上で覚悟を決めて、この友達の話を数時間にわたって聞くことになるのだった。そんなに嫌なら最初に苦労してでも断ればいいのにとは思うけれど、もしかしたらそうまでして断らないのが先生なりの友情なのかもしれない。違うかもしれない。

  * * *

「つまり、魔術師としての意識が欠如してるってことだ、俺が強く言いたいのは」
 通りにあるお菓子屋で買ってきた、ナッツ入りのクランチ・チョコレートバーをごりごりと噛み砕きながら、マスター・スターンテイラーは熱弁をふるっていた。あの後、予告されていた時間よりも五分ほど遅れて来た大魔術師は、いつも通りに黒いローブと臙脂のスカーフそして黒グルミの杖といういでたちで、玄関先に顔を出した。そして、先生の刺すような視線を物ともせずに、居間の肘掛け椅子を占領した。どうやら相当おかんむりのようで、赤茶色の目は怒りにぎらぎらと光り、いつになく身振り手振りは大きい。では何に怒っているのかというと、どうやら今日のお昼前に起きたある出来事についてらしい。
「当然、あらゆる魔術にはいつだって真摯な態度で臨むべきだ――それが儀式魔術の仕込みともなれば尚更だ。時と場所を選んで、断食し、身を清め、外界の光を断ち切って、衣服にだって気をつけなきゃならん。まかり間違っても、昼時のパブのソファ席で鼻歌の一つも歌いながらやるべき作業じゃない。そのはずだ。俺は間違ってない、いいな?」
 いいな? の部分で顔を覗き込まれた先生は、そうですねと抑揚のない声で言った。マスター・スターンテイラーとは正反対に、そのヘーゼルの目は曇っていた。そんな先生の顔にきっと目をすえて、怒れる大魔術師は言葉を続けた。
「それがアンナの奴ふざけてやがる、よりにもよって俺が豊かな心をもって早めの昼食にしようと思っていたところをだ、……お前も持ってるだろう、あの、あれで、」
 マスター・スターンテイラーの両手が、空中に長方形を描く。先生がやる気のない目でそれを眺めながら、
「ラップトップ?」
 と訊いた。
「いや違う、そうじゃなくて……二つ折りでない……」
「タブレット? Androidの載ったやつを持ってたと思いますけど」
「それだ! そう、そこがまた俺にとっては気に食わないんだよ! 俺たち魔術師や錬金術師にとってタブレットといったら、つまりエメラルド・タブレットなんかの石碑石版、奥義の文書だろうが! そこへ来てあの"自称"錬金術師、よりにもよって、"魔術的でないほうの"タブレットで――」
 まくし立てる言葉の合間合間に、チョコレートバーが砕けてゆく音がする。テーブルの上に散らばる欠片を見て、先生が重たい溜息をついた。
「ステフ、君はもうちょっと綺麗にものを食べられないんですか。何のために紙ナプキンを用意したと思っているんです」
 先生はこの手の礼儀作法について人一倍厳しい。椅子に座るときの姿勢だとか、ナイフとフォークの使いかた、服装の乱れや言葉使い、それ以外のありとあらゆる態度について、わたしも毎日のように小言を食らっている。これで先生自身はソファに寝転がり、ポテトチップスを袋に口つけて直接食べたりするんだから最低だ。先生のお行儀が良いのは他人の目がある場所だけなのだ。
「うるせえぞドク! それを言うならお前のあれはどうなんだ、え? 『青銅の梟』のグルメチーズバーガーは。ウェイトレスがわざわざナイフとフォークを置いていったにも関わらず、それを手掴みで、思い切り押し潰してから丸かじりした上に、指に付いたブルーチーズソースを舐めやがったろう、違うか?」
「あれはそういうお作法の食べ物なんですよ、ステフ。というより君、あの時居たんですか? てっきり居ないものと思ってさんざん君の悪口を言ってしまいましたよ、どうも失礼――まあ居るのが解ってても面と向かって言いますけどね」
 訂正、他人の目がある場所でも、そこに理由をこじつけられる場合は、わりとお行儀の悪いことでも堂々とやる。
「大体ねえ、カウンターで隣同士に座ってたんならまだしも、私が気付かなかったってことはきっと奥のテーブル席あたりに居たんでしょう? そんな遠い場所から私の食事の一挙一動をつぶさに観察してるなんて、君はっきり言って気持ち悪いですよ。ぜんたい君は――」
「ドク!」 マスター・スターンテイラーが声を荒らげ、不毛な争いのやり取りを断ち切った。
「とにかく、今はそんなことは問題じゃない、アンナのことだ。あの現代かぶれが俺の目の前で一体何をしていたと思う? その、タブレットとやらで!」
「君の言うアンナが私の思うアンナと同一人物なら、どうせ新しい魔法陣の考案にスケッチアプリを使ってたとか、クラウドに保存してあった錬成のレシピを閲覧してたとか、その辺りじゃあないんですか」
 先生は言って、シナモンの香りのするティーカップをゆっくりと傾けた。早く話を切り上げて、さっさと海外ドラマの続きを見たい、とでも言うかのような締りのない声だった。伝書鳩が手紙を持ってきたせいで、「パーソン・オブ・インタレスト」のシーズン3が途中で止まっているのだ。
「よく解ったな、この現代かぶれその2め! そうだよ、奴は描いてた――魔法陣を! あの忌々しい液晶画面に指で、描いては消し、描いては消し! 俺のソファ席で二時間もだ! あんなものは神秘の図形に対する冒涜だ!」
「そんなこと言ったってねえ」
 カップが受け皿に置かれ、ごく小さな音がした。 「君のソファって訳じゃあないでしょうし」
「お前はまず指摘する場所を間違ってる。そこじゃない。もちろん俺のソファ席を二時間占領したのも許すべからざる大悪だが、それ以前に、」
「スケッチアプリで魔法陣の練習? 悪いアイデアだとは思えませんけど」
「なにい!」
 肘掛け椅子から勢い良く乗り出して、マスター・スターンテイラーが叫んだ。先生は迷惑そうに顔をそむけた。またチョコレートの欠片が飛び散りかけたからだろう。わたしはといえば二人の横手から、余計なことを言ってマスター・スターンテイラーの怒りに触れたり、先生の道連れにされたりしないよう、ひたすら黙って聞いているだけだった。
「そりゃあ私だって、実際に魔法を使うときにタブレット端末で魔法陣を描くかと言われたら、恐らくそうはしないでしょうがね」
「そうだろう!」
「でも練習ぐらい電子機器で良いじゃあないですか。書き損じが出ないから経済的ですし、ちょっとした間違いは『元に戻す』コマンドで簡単に修正できますし、色々な発想を気軽に形にするのにはぴったりでしょう」
「なにい、なにい!」
 何を言っても気のない返事しかしない先生に、マスター・スターンテイラーの機嫌も限界に達しつつあるようだった。今の先生はきっと、ドラマの続きのことしか頭にないのだから仕方がない。つい数日前までは「ブレイキング・バッド」のDVDボックスを一気見していたような先生だ。週休六日だからこそできる荒業である。
「それにねえ、ステフ、君は『苔むした』どころかその苔さえ枯れ果てて、とうに大地の礎になっているレベルの骨董魔術師だからまだしも、アンナ・ジェルソミーナは二十世紀末生まれのデジタルネイティブなんですよ。それぐらいは大目に見てやるのが先達というものです」
「お前の言う『それくらい』は『それくらい』のうちに入らん!」
 ティーカップを握り潰しかねない気迫を込めて、マスター・スターンテイラーは言い切った。わたしは控えめにチョコレートバーを一口かじり、ぬるくなった紅茶と一緒に流し込んでいた。と、ふいに大魔術師の目がこちらをずいと覗き込み、
「ケイリー、お前はどうだ」
 やけに重たい調子の声がわたしに聞いた。あまりにも突然だったので、わたしの手は震え、もう少しでチョコレートを床に落とすところだった。先生に何を言われるかと考えると、落とさなくてよかった。
「お前にとって『魔術師』とは、『魔法』とはと尋ねられて思い浮かべるのは何だ? パブのソファ席で電子機器か?」
 赤茶色の目は真剣そのものだった。
「正直に答えればいい。お前の師匠に遠慮する必要はないからな。そう、魔術師は自分に正直でなくちゃならん。他者の意見に流されるような軟弱な精神では、魔法を生み出すことはできないんだ。それで、」
「え、ええと、それはまあ」 空になったカップを下ろせないまま、わたしは答えた。
「そういうものよりはもっと、呪文の巻物とか……魔法の杖とか、羽根ペンとか、なんかそういうものを想像しますけど」
「だよな! そう、それが当然だ。ケイリー、それでこそ『魔法使いの弟子』ってやつだ。お前には魔術師の素質が十分にあるぞ、そこの科学技術に耽溺した自意識の塊よりもずっと――」
 さっきまでの怒りが一転、機嫌よさそうにナッツを噛み砕く昔なじみの顔を、先生の冷たい目がじろりと見た。続いてわたしの顔も。部屋の中は冷房の効きすぎで寒いくらいなのに、手のひらがじっとりと汗ばんだ気がした。
「ステフ、私からも言わせて貰いますがね」
 先生は顔だけは取り澄ましていたけれども、その声は明らかに苛立っていた。次に飛び出す台詞が「さっさと帰れ」だったとしても、わたしは全く不思議に思わないだろう。実際のところはそうではなくて、
「黴臭い風習ばかりを有難がって、現実に目を向けないのが魔術師の素質なら、魔法が廃れてゆくのは当然のことでしょう。君みたいに時代に取り残されるのも無理からぬこと。けれども大多数の魔術師がそうであるように、必要なのは時勢を臨機応変に乗りこなすことです。――あと、いくらなんでも君一人で茶菓子を食べ過ぎなんですよ、図々しい。代金の十ユーロ、君に払わせてやりましょうか」
 菓子皿を手前に引き寄せながら、わりと正論に思えることを並べただけだった(チョコレートバーは十ユーロもしないんだけれども)。
「図々しいだって? お前がケチ臭いだけだろうが。客人に対してはもう少し気前よくするべきだ」
「どうして私が客に対して気前よくしなきゃあならないんですか。そんなものは魔法使いのすることではありません。そうでしょう、ケイリー?」
「魔法使いのすることだと! ケイリー、どう思う、このお前の師匠を? 弟子の目から見ても酷いとは思わないか。本当に魔法使いなら、するべきことは自ずと判るものじゃないか?」
 いい年をした二人の大人が、揃って女子中学生に圧力をかけている今の状況は、はっきり言って魔法使い以前に成熟した人間としてどうかとわたしは思う。けれども、思ったからといって口に出すほどの度胸はわたしにはないので、
「あの、わたし多分、その、臨機応変に……先生に何か言われる前に、お茶のおかわりを入れてこなきゃならないと思います」
 目を泳がせながら、あまり力の入っていない声でそう言うしかなかった。
「よろしい」 と満足気な口ぶりで、先生。
「それでこそ『私の弟子』というものです。そこの懐古主義に固執したご老人にも、一応ついでに出してやって構いませんよ。私の紅茶には――」
「ミルクを入れて、砂糖はなし」
「大変結構」
 普通の現代人の目から見ても、ちょっと最新のテクノロジーをひいきしすぎている気のする先生は、わたしの返事に良くできましたと鼻を鳴らした。おかげでマスター・スターンテイラーが、呪い殺さんばかりの視線を先生に向けたが、わたしは見て見ぬふりをして、そっと台所のドアから逃げ出すのだった。

 新しいお湯を沸かし、ポットに注いで蒸らしている間も、二人の言い争う声はドア越しに聞こえ続けていた。何を話しているのか、はっきりとは解らないけれども、当分収まる様子はなさそうだ。顔を合わせるたびあの調子なのに、無理をして友達でいる必要があるんだろうかと感じなくもない。ただ、中学校のクラスメイトと違って、魔法使いの数十年の付き合いはそうそう断ち切れないものだろうし、それに何より、先生とマスター・スターンテイラーはどう考えても似た者同士だ。表面上はあれだけ仲が悪そうでも、それこそ「まさかの時の友」として、意気投合できるときもあるんだろう。ごくたまには。
 ただ、一つだけ希望するとしたら、その席にわたしまで巻き込むのはどうかやめてほしい、ということだ。わたしは二人ほど極端な考えの持ち主ではない。「昔はよかった」と言えるほど年はとっていないし、「未来こそが最高だ」と思えるほどハイテクに慣れ親しんでもいない。この国は最近ようやくITやら金融やらに力を入れるようになってきたけれど、社会科の授業で習うとおり、主要産業は未だ海運業と観光なのだ。

「ですからね、ステフ、なにも君にスマートフォンの使い方を覚えろだなんて言っちゃあいません。ただ現代の一般常識だけは履修しておいてくれということですよ。内務省は君のためだけに伝書鳩を飼ってはくれないし、セントエラスムスの大部分は市条例で上空飛行禁止ですし、世界地図のどこを探してもプロイセン王国なんて国は存在しないんです。お分かり?」
「知ったことか! ――それから俺の出身は神聖ローマ帝国だ、二度と間違えるな!」
 再び台所のドアを開けたとたん、こんな突飛な会話が聞こえてきたとしても、二十一世紀生まれの一般人であるわたしには、その真偽なんて解りっこないのである。

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