むかしむかしあるところに、とてもかわいらしく気立てのやさしいむすめがおりました。

額面通りの贈答 -Apple of Gift-

 いえ、「むかしむかし」というほど遠いむかしの話ではありません。せいぜい十年かそこら前といったところでしょう。「あるところに」などというあいまいな話でもありません。地中海にうかぶ小さな島の、セントエラスムスという街でのことです。
 この街にはたくさんの若い女の子が住んでいましたが、むすめはその中でもとびきりの美人でした。雪のように白い肌と、エメラルドのようにきらめく目、そして亜麻糸のようにつややかな髪を持っており、むすめがほほえんで街を歩けば、お日さまもてりつける光をゆるめるといったぐあいでした。おまけに、むすめは自分の美しさを鼻にかけることはまったくありませんでした。いつでもまわりの人たちを幸せにすることばかり考えて、つましくおだやかに生きておりましたから、街の人びとからはたいてい好かれていたといいます。同じ年ごろの若者たちには、むすめに恋をするものも多くおりました。

 恋といえば、時にそれは人間に限ったことではありませんでした。ある日、人間の世界にやってきた一匹の悪魔が、このむすめの美しさに一目ぼれしました。悪魔たちが住んでいる地獄には、こんな真っ白なかがやきを持つむすめは一人としていませんでしたから、目がくらむのも無理のないことです。さらに、むすめの心が清らかなのを見ると、これはぜひとも自分が手をそえて、悪の道に引きこんでやりたいと思ってしまいました。悪魔というものは、人間をおとしいれるのが大好きで、いつでも自分のえものを探しているものですから。
 そこで悪魔は呪文をとなえて、りりしい若者のすがたに化け、むすめにあいそよく近づきました。
「どうも、ごきげんよう、お美しいおじょうさん。わたしはこの国の外から、こんどこのあたりにこしてきた者です。今日はごあいさつにうかがいました」
 むすめはこの若者が悪魔だなんて気がつきませんでしたから、ていねいなおじぎを返してにっこりと笑いました。
「まあ、それはそれは、遠いところをようこそ。ここはとてもよい国、よい街ですから、きっと楽しくくらしてゆけますよ」
「まったくです。人びとのなんと心安らかで、笑顔のまぶしいことか。こんな国はそうあるものじゃあないですね」
 悪魔はへいきな顔をして言うと、むすめに持ってきたおくりものをさし出しました。サテンの青いリボンがかけられた、あざやかな黄色のユリの花束です。むすめはこの花束のりっぱなのを見て大いによろこび、むねの前で手を合わせました。
「こんなにすてきなものを、わたしがいただいてもよろしいのでしょうか。本当だったら、わたしがあなたに引っこしのおいわいをさしあげるところなのに」
「いやいや、かまいませんとも。美しいご近所さんができたことを、心からうれしく思いますよ」
 実はこの花束は、そこらの花屋から買ってきたものでも、野にさくユリをつんできたものでもありませんでした。悪魔がおそろしいのろいをかけて、特別にこしらえたものだったのです。そんなことはつゆほども知らないむすめは、ほほをほんのり赤くしながら、おくりものを受け取ってしまったのでした。

 若者が立ち去って何日かがすぎました。むすめはこの日ごろ、お勉強も家の仕事も手がつかなくなって、いつも窓のそばでぼんやり座ってばかりでした。大好きな外国語の本を読もうとも、台所に入っておいしいシチューを作ろうとも考えがつきません。すっかり気のぬけた、おままごとの人形のようになってしまったのです。
 もしかして、あの人に恋をしてしまったからじゃないかしら、とむすめは思いました。でも、いったいどうしてでしょう。あの人とはたったひととき会ったきりで、それも何か心のおどるような話をしたわけではありません。いっしょにときめくような遊びをしたわけでもありません。それなのに、こうも胸がふさがって、なにも手がつけられなくなるなんて、ずいぶんおかしな話ではありませんか。それが恋なのだと言う人もいるかわかりませんが、むすめにとってはやはりふしぎなことだったのです。
 といって、考えに考えてもなにひとつ思いつきませんので、むすめは人をたよることにしました。街に住むよい魔法使いに相談したのです。魔法使いはむすめに会うなり、これは悪魔のたくらみにおちいっているのだと見ぬきました。魔法使いは長いこと、街の人びとを助けてきましたから、しばしば悪魔がこういったのろいをかけることを知っていたのです。
「そんな、悪魔のおよめさんになろうだなんて、わたしはちっとも思いませんわ。でも、正直にことわっては、悪魔がなにをしてくるかわかりません」
 むすめが青くなってたずねると、魔法使いは答えました。
「うむ、どんなにくらいの低いものでも、悪魔は悪魔だ。人がひとりで立ち向かうには強すぎる。かといって、てきとうなうそを言ってごまかすのもだめだ。悪魔にうそをつくのは、あちらの力をいたずらに高めてしまうだけになる」
「では、わたしはどうしたらよろしいのでしょう。もう教会にいって、神さまのおよめさんになるよりないのでしょうか」
 すると魔法使いは、むすめの顔をちらと見て、それからなんでもないというふうに教えてやりました。
「たしかにこの国に教会はたくさんあるが、そこまで思いつめる必要はないのだ。つまり、いつわりのない本当のことだけで、悪魔をやりこめてしまえばいい。だが、そのためには、いまから言うことをかしこくやりとげなければいけないよ」
「おまかせください。わたし、きっとお言いつけをはたしてみせますわ」
 この答えのたのもしいのにまんぞくした魔法使いは、さっそくむすめに知恵をさずけてやることにしました。まず、むすめに銅貨をいくらかわたして、
「果物屋へいって、このお金でりんごを一つ買ってきなさい。形がきれいで大きく、つやのある青いりんごだ。はじめから赤いりんごではいけない、青いりんごをくださいと言うのだよ。それを持ってもどってきたら、悪魔をおいはらうまじないをかけてやるから」
 と言いました。むすめはすぐに街へ出て、果物屋にならんだりんごの中から、とびきり形のよい青りんごを手にいれてもどりました。魔法使いのもとへゆくまでのあいだに、思わずかじりついてしまいたくなったぐらいに、みずみずしくておいしそうなりんごです。むすめからりんごを受け取った魔法使いも、「これならよし!」とうなずいたほどでした。

 さて、魔法使いはりんごを手にすると、遠いむかしから伝わるまじないをとなえはじめました。それはあまりに古いことばだったので、むすめにはどんな意味だかさっぱりわかりませんでした。魔法使いはさらに小さな銀のナイフを取り出し、りんごの皮に魔法の文字をきざみつけます。すると、文字はむすめの目の前で、こみいった美しいもようにかわり、りんごをすっぽりとおおって、クリスマスのかざりのようにきらきらと光りはじめました。
「これで魔法のしたくはできた。あとはお前が、このりんごに最後のくちづけをすればできあがりだ。そうすることで、これはただのりんごから、魔法のかかったりんごになる」
 魔法使いは言いました。そこでむすめは青いりんごに手をそえると、どうかこのりんごに、世界じゅうの悪魔がそろってもかなわないような、強くとうとい魔法がそなわりますようにとねがいながら、小さなくちづけをしました。と、どうでしょう、りんごの皮はみるみるうちに色づき、美しいもようはしみいるように消えて、ただの熟した赤いりんごになったと思われました。
「本当にうまくいったのでしょうか。わたしにはとても魔法のりんごには見えませんわ」
 むすめは言いましたが、魔法使いは自分の魔法がどんなものかわかっておりましたから、心配はいらないと首をふりました。
「不安に思うことはない。なにもかもうまくいった。あとはお前がこのりんごを持って、ただ待ちかまえていればいい。遠くないうちに、また悪魔はたずねてくるだろう。そうしたら、わたしからのおくりものですと言って、魔法のりんごをわたすのだ。それが悪魔の最後になるはずだ」

 これを聞いて、むすめは魔法使いを信じて待つことにしました。はたして一週間もしないうちに、ふたたび悪魔が化けた若者があらわれ、むすめに呼びかけてきたのです。そのときむすめは窓のそばにすわって、亜麻糸のような髪をくしでといていましたが、若者のすがたを見るや、さっと部屋のおくから魔法のりんごを持ち出しました。
「ようこそ、新しいご近所さん。このあいだはすてきな花束をありがとうございました」
「いや、あんなものはささやかな、心ばかりのものですよ。お気にめしたらいいのですが」
「気にいらないなんてことがありましょうか! わたし、本当にうれしく思いましたもの。それで、実はあなたのことをお待ちしておりましたのよ、ぜひともお返しがしたくって」
 むすめは窓から手をのべて、真っ赤なりんごを悪魔に見せてやりました。
「おや、なんともりっぱなりんごだ。きれいに色づいて、まるであなたの赤いくちびるのようですね。これをくださるというのですか」
「そうです、わたしからのおくりものです。どうぞお手にとって、たしかめてみてくださいな」
 悪魔がそそられたように身をのりだしたので、むすめは魔法使いに教えられたとおりに言い、魔法のりんごをわたしました。つやつやとした赤い実は、どこから見てもただのりんごそのものです。それも、このうえなく甘くておいしそうな。
「あなたの心ばえのすばらしさをあらわした、みごとなものをちょうだいしました。では、ちょっと失礼して、一口ためしてみましょうか」
 りんごを受け取った悪魔は、がまんがならなくなったのでしょう、赤い実のはじをほんの少しだけ、とがった歯でかじり取りました。

 そのとたん、魔法使いのかけたまじないが、まばたきほどの短いうちに、悪魔の体をかけめぐりました。それは冬至のお祭りの火のように、悪魔の心臓であかあかともえあがり、夜のやみもふきとばすような光となったのです。
「あっ、これは、なんということだ。さては、だれかの力をかりていたのだな」
 悪魔はやっと気がついて、おそろしいさけび声をあげましたが、すべては手おくれでした。りりしい若者はねじくれた角を持つすがたにもどり、手も足もぼろぼろとくずれて、やがてひとかたまりの灰になると、風にふきとばされて消えてしまいました。
 めでたしめでたし。

  * * *

「端的に感想を述べますがね、ステフ」
 先生が露骨につまらなさそうな声で言った。 「盛りすぎです」
「何を言うか! 嘘偽りなく実話だぞ、ドク。俺様はお前と違って、変に自意識をこじらせていないからな。話を盛る必要なんてのは更々無いんだよ」
 マスター・スターンテイラーは応接間のソファにふんぞり返り、あまり信用のおけない答えを返していた。カップの中の紅茶はだいぶ残り少なくなっている。そろそろお替わりを注ぎ足さなければならないだろう。
「どの口がそれを言うのだか。ぜんたい、君が善良極まりないおとぎ話の魔法使いそのものになっている時点で、私としては憫笑を禁じ得ないところなのですがね、それにも増して残りの部分のわざとらしさといったらない。弟子の自慢をしたいのなら他所でやってください」
 見るからにうんざりした様子で、先生は友達(ということになっている関係)の魔法使いを睨み、重いため息を付け足した。といっても、マスター・スターンテイラーは最初からお弟子さんの自慢をしにきたわけじゃない。ここ一週間に起きた腹立たしい事件(たいていは魔法使いが科学にかぶれることについて)や、先生に対する文句を言いにきたはずだ、いつもの通り。
 それで、先生はもちろんお客さんを迎える準備などする気がないため、わたしがお茶を淹れて応接間を掃除して、焼いておいたドイツ風のアップルパイ――ドイツ語ではアプフェルシュトルーデルというらしい――をお茶菓子に出したところで、マスター・スターンテイラーが言ったのだ。リンゴといえばこんな話がある、と。
「もう前々からのことだとはいえ、つくづく君には作話のセンスってものが欠如していると感じますよ。実話にしては都合がよすぎる、さりとて物語としてはオチが弱すぎる。贈り物のリンゴだなんて、十人中九人が結末の予測をつけてしまうじゃあないですか」
 気取った手つきでフォークを操り、パイをきれいに切り出しながら、先生はまだマスター・スターンテイラーにケチをつけ続けていた。手元を見なくても一口大をきっちり取り分け、添えられたクリームに絡めて口まで運ぶことができるのだから、実際手慣れている。
「あの、先生、わたしには何がいけないのかさっぱり解らなかったんですけど、そんなに変なお話でしたっけ」
 わたしは自分のお茶をすっかり飲み干してから、控えめに尋ねてみた。確かによくある童話らしい話ではあったけれど、先生が酷評するほどのものだとも思えない。先生は返事をするのも煩わしいのか、わたしの質問を黙殺したが、代わりにマスター・スターンテイラーが自ら説明役を買って出た。
「まあ、子供のための本物の童話ではないから、少しばかり込み入ってはいたがな。それにケイリー、お前はまだドイツ語を習っていないだろう。そうなると難易度がちと高くなる。どれ、この家にも独英辞書ぐらいあるだろう、ドクの本棚から借りてきて、『Gift』という単語を引いてみるといい」
 いやに自慢げな顔で言われると、そこまでは面倒だから別にいいですとも答えにくい。仕方なくわたしは先生にことわって(返事がないから別に構わないんだろう)、居間の壁に並んだ本棚から分厚い辞書を取ってきて、指示されたとおりの言葉を探した。すると答えが確かにそこにあった。

  Gift [n] /ɡɪft/
  1.(das Gift) 毒
  2.(der Gift) 悪意、憎しみ
  3.(die Gift) [古] 贈り物

「そうやって自分で解説するところがね、無粋だと言うんです。こんな寒々しい空気に晒される私の身にもなってくださいよ、ステフ、君はそんなだから何時まで経っても良縁に恵まれないんですよ」
「その個人攻撃は的外れだろうが! そもそも魔術師にとって色恋というものはな、本質的には害毒なのであって……」
 小さな活字の中から解釈を拾い上げている間にも、良い年をした魔法使い二人は、またしても些細なことから口論を始めていた。良縁に恵まれていないのは先生も同じだろうにと思いながら、わたしは視線をそっとマスター・スターンテイラーの横へ移した。そこには亜麻色の髪をした若い女の人が――問題のお弟子さんがにこにこしながら座っている。
「その、ルミッキさん」 空になった皿を下げながらわたしは言う。
「マスター・スターンテイラーの話はまあ、別に良いとも悪いとも言わないでおきますけど、ルミッキさんとしてはどうなんでしょう。自分の出てくる話のオチがこういうものだってことについて」
「悪く思ってなんかいないわ、もちろん。マスターがわたしのために力を貸して下さったのは本当のことだし。まあ、ドクターの仰る通り、ちょっと……かなり脚色は入っているけどね」
「やっぱりそうですか、いや、別に作り話だと思ってたわけでもないんですけど。でも、普通こういうおとぎ話って、悪魔のほうから何かよこすことはあっても、お姫様とか女の子の側から贈り物をしたりはしませんよね。それも、その、毒とか、そういうやつを……」

 直接的なことを言わないようにしたかったものの、結局ぼかすにぼかしきれず、わたしは思ったままを尋ねることにした。物語のヒロインは小首をかしげてわたしの言葉を聞いていたが、やがて口元に手を当て、くすくすとおかしそうに笑い出した。
「嫌だ、そんなに持って回らなくたっていいじゃない。童話なんて大体はどこかで人が死ぬものでしょう。それも、もっと残酷な方法で。それに比べたらずっと綺麗なものだと私は思うわよ。それに、」
「それに?」
「私の名前、もちろん魔法名だけど、『ルミッキ・ヴェルホ』でしょう。どうしてそう決めたのか解る?」
「いや、わたし英語のほかにはイタリア語をちょっと習っただけなので、その」
 わたしが正直に答えると、ルミッキさんは笑いを噛み殺したような顔のまま、わたしの側にそっと顔を近付けて、彼女の名前について教えてくれた。
「フィンランドの言葉でね、ルミッキといったら白雪姫のことよ。そして、ヴェルホは魔女という意味なの――」

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