「レッドヤード・チリは要らねえのか?」 先に来ていた男が尋ねた。
「ジンで十分」
 後から来た男がグラスを手に、そう答えて隣席へ腰かけた。斯くて、めでたくも対話は成立した。

そして我らは暁に祈る -The Icon-

「目ぼしい情報ったら、そりゃあ一つだ、プラトーン。例の集団が――『ウォーレン・ピムスの宇宙教化軍』が壊滅したよ」
 先に来ていた男は電子煙草を咥えたまま言った。この男は情報屋であり、大抵はここエリニュエス近隣の大型ステーション、エウニメデス・ビーコンのエネルギーバーで商売をしていた。艶のないダークブロンドはいつも寝癖で乱れていたし、紫の光をぼんやり明滅させる電子煙草を手放したこともなかったが、何より目を引いたのは、明るいライムグリーンの虹彩を持つ、サイバネティクスを隠そうともしない義眼だった。
「そんなことは誰だってとうに知ってる」
 一方、後から来た男は気疎げに答えた。 「第一おれはそこに居たんだ」
 プラトーン、と呼ばれた彼の見た目は、情報屋よりも年嵩だった。黒髪に黒い目、痩せぎすの四十絡みの男だ。重戦闘機乗りがよく着るような、オリーブ色のフライトスーツを身に着けている。首からは新式のサングラスとエリニュエス星系の通行許可証を下げ、誰がどう見ても何かしらのパイロットであることは明白であった。
「ああ、そうだ、そうでしたとも。良い稼ぎになったんだろう、俺も一枚噛んどきたかったもんだ」
 化学合成されたバニラの香りのする煙、もとい蒸気を吐き出しながら、情報屋はそう言って肩を竦める。傷一つない真っ黒なカウンターの上では、エールの入った金属のマグと、小さなアルミ皿に開けたレッドヤード・チリの赤色が主張していた。
「噛んでおけばよかったろ」
「生憎と」 情報屋は続けた。
「あんたがカルト教団を相手に撃ったり撃たれたりしてる頃、俺はスタークレスト・コミューンにいて、人の金で現地のグルメを堪能していたのさ。コーヒーとキャビアが特に良かったな」
「そうか、くたばれ」
 修羅場帰りの男は吐き捨てると、グラスに満たされた無色透明の火酒を一息に飲み干した。それから何か思い直したように、神妙な顔で情報屋に向き直った。
「いや、今くたばられると困るから、己の老後の目処が立ってからくたばってくれ」

 男にとっては何の役にも立たない情報ではあったが、実際、「ウォーレン・ピムスの宇宙教化軍」の終焉はエリニュエス星系随一の大ニュースであった。ことエウニメデス・ビーコンの善良な人々にとっては、2276年に入って最高の吉報であったと言ってもいい。
 2270年代初頭から活動が目立ち始めたこの新興宗教団体は、他のほとんどの破壊的カルトがそうであったように、最初のうちはごく静かで平和的な信仰の兄弟たちだった。急進的なサイボーグ技術に反発し、惑星環境の保護を訴える自然派のコミュニティ。ところが、何処で何を間違えたのか――あるいは誰も気付いていなかっただけで実は最初からこうだったのか、とにかくいつの間にか、様々な研究施設・サイボーグ共同体を手当たり次第に爆破するテロ組織へと姿を変えていた。
 エリニュエス星系は連邦勢力下でも屈指の技術開発拠点であったから、当然この凶悪な信仰集団の一刻も早い除去が叫ばれた。しかし敵もさるもの、「軍」などと冠しているだけあって、彼らは十分に武装し、訓練され、大義のためならば喜んで殉教者となった。団体本部への襲撃作戦は二度にわたって頓挫し、今回ついにフリーの傭兵や賞金稼ぎの類まで駆り出して、やっとこさ制圧を完了した次第である。
「『真面目な人間』がはまると大変だねえ、ああいうものは」
 情報屋は目に痛い赤色のチリを齧りながら、金属のマグからエールを緩やかに飲む。そしてまた電子煙草を口に咥え、僅かにフルーツの混じったバニラ・フレーバーを堪能した。
「そりゃあ宗教は人の営みに結びつき深いもんだ。俺だって月に数回は礼拝堂に顔を出す。そういう意味では比較的真面目な崇拝者だと言えるかもしれん。だが、身を削ってまでもカルトに殉じる連中の気持ちは理解しがたいね。祈りは心と身体の平穏のためにあるんだ、何を好き好んでそれを犠牲にする必要がある?」
 幾許か酔いが回ってきたらしく、饒舌に語る情報屋の姿を、隣席の男はちらとだけ見た。その酒と電子煙草は間違いなく、好き好んで体の平穏を犠牲にするためのものだろうと考えたからであるが――それをわざわざ声に出すほど、男はエネルギーの浪費に甘くなかった。異論が差し挟まれなかったため、情報屋の言葉は続く。
「あんたはどうだ? 健全な信仰生活を送ってる自覚は?」
「己は」 空のグラスをカウンターの奥へと押し戻しながら、男は口を開く。
「少なくとも神のたぐいを崇拝した覚えはないし、教会に通ったこともない」
「だろうな。あんたはそう……いわゆる唯物的なところがあるって気がしてた。生まれはフォボスだっけか?」
「28までは住んでた」
「あれは赤い・・星だからなあ」
 情報屋は冗談めかした調子でそう言ったが、隣の男はくすりとも笑わず、その黒々とした目は無感動にライムグリーンの光を眺めているだけだった。小粋な(つもりの)ジョークが不発に終わったことを知り、情報屋は咳払いして赤唐辛子を口に放り込んだ。
「心の平穏というなら、わざわざ神を持ち出してこなくとも、己には己の拠り所ぐらいあるしな」
 一方の男は新しいジンのグラスを受け取り、それを手にしたまま口をつけるでもなく、気紛れに水面を揺らしては、先の情報屋の言葉を引き合いに出す。
「へえ、そいつは初耳だ。金ぐらいしか無いと思ってたがね」
「金もある」
「そら見ろ」
「だが金は消費するもんだ。そうでないものが一つある。絵だ」

「絵?」
 義眼のライトが明滅した。ちょうど普通の人間が、驚きに目をぱちくりさせるのと同じふうに。
 まさか絵なぞという単語が、この寡黙な男の口から出て来るとは思ってもみなかったので、情報屋はいくらか困惑した。目の前にいる低血圧で無感動そうな男に、芸術を解する心があるとは信じがたいことだった。信じがたかったから、彼はそっくり聞き返した。
「何だって? 絵?」
「絵だよ。油絵だ。餓鬼の頃住んでたステーションで、公立美術館の大展示室に飾ってあった。『戴冠式のエカチェリーナ2世』って題だ」
 黒い目は間違いなく正気のそれで、酩酊しているわけではなさそうだった。
「……題を言われてもどんな絵だなんて解らないんだが、あれだな、つまり個人崇拝の一種か。ちょうど指導者の肖像画を寝室に飾るような」
「いいや、絵だ」
「人じゃなくて? その絵が?」
「お前の基準に従うなら、それが己の宗教だ」
 情報屋は反応に困り、自分の顧客に対してどの程度正直になってもいいかどうか、改めて頭の中で検討し始めた。あんた****だろ――なんて不用意に口に出した結果、うっかり撃たれることだけは回避したい。相手は倫理的な方面にも無頓着な賞金稼ぎなのだ。
「要するに何か、あんたは俺たちが主日にミサへ出るように、毎週特定の日になるとその美術館に出かけていって、展示室の額縁の前で祈りを捧げたりするとか、そういう訳か?」
「美術館はもう無い。絵なら己の船にあるがね。七百万は結構な買い物だった」
 自分の所業を事も無げに告げる男に、情報屋は内心呆れながら話を続ける。
「七百万か。えー、フォボスの七百万といったら、つまり現在の……」
「あっちの通貨じゃなくてドルだ」
「何?
「ドルで七百万」
「あんた****だろ」
 さっき飲み込んだはずの言葉が、今度こそ堪え切れずに口をついた。自動フィルタリングシステムは肝心な部分を見事に無意味なノイズへと変換したが、どのみち何か不都合な単語が吐き出されたことは誰にとっても明白だった。

 仕方がない。耳を疑う、とはこのことだった。情報屋の現在の身体状況を加味すると、「聴音センサーの故障を疑う」とでもいったところだが、ともあれ、それは彼にとってにわかに信じがたいフレーズだった。
「七百万ドル? おい、ふざけるな、何が老後の目処だ。七百万ありゃあんたの老後どころか、赤ん坊の一生を丸ごと買い上げられるぞ」
「デジタルデータじゃない本物だから、それぐらいはする」 男がさも当然とばかりに言う。
「逼迫するわけだ、そんなもん船に乗せて管理してるんだったらな。毎度毎度情報料を値切りやがってた理由はそれって訳。なあ、あんたは新世紀生まれだ」
「ああ」
「しかも地球の土は一度たりとも踏んだことがない」
「ああ」
「そんな男が、かつての帝国の――まだ頭に『銀河』と付いてないころの、それも地球の一地方しか治めてない国の女帝の、本人じゃなく肖像画を崇めて暮らしてるってのか。いや、崇めたくもなるってものかもな、何せ七百万だ!」
 情報屋は芝居がかった調子で言い、大げさな動きで天を仰ぎ見た。確かに、破壊的カルトの教祖を拝んでいるよりは、遥かに平和で管理可能な信仰の持ち方と言えるのか知れないが、それにしたって理解のし難い話だった。
「大体、肖像画の中身を崇拝するってんならありふれた話だろうに、絵それ自体が自分の信仰なんて聞いたこともねえ。船ごと燃えっちまったらどうするんだよ。それに――」

「教化軍の本部に乗り込んだ時」
 出し抜けに賞金稼ぎの男が話を遮った。並べ立てていた文句を全て喉の奥へと引っ込め、情報屋は義眼の焦点をもう一度男に合わせた。
「終わりごろになって撃ち殺した信者の女が、最期に庇おうとしたのは教祖の写真だったよ」
 男は淡々と言った。 「まだ生きている教祖そのものじゃなく、だ」
 情報屋の脳裏に、夜更けごろ流れた星系間ニュースが過ぎった。教団本部を防衛していた信者たちは教祖を含めてほとんどが死亡し、僅かな生き残りが逮捕され、その施設は爆発炎上した。きっと今ごろはとうに鎮火して、跡地からいくつもの死体と燃え殻が運び出されていることだろう。良識ある放送局のことだから、煙がくすぶる臭いや焼けた化学繊維の臭いまでも同時に流しはしなかったが、ドローン撮影のクリアな映像は、容易にそれらを思い起こさせるものがあった。
 不意に彼は、自分の吸い込んでいるバニラの香りの蒸気が、黒焦げになった肉のえぐみを帯び始めたような幻想を覚えた。彼は顔をしかめながら吸い口を離し、不快感を焼き切るように唐辛子を噛み締めた。
「いと高きにある本尊よりも、肌身離さず手元に置かれた代理品のほうに、よほど愛着が湧くのは生き物としてごく当然のことだ。お前達だって、『神の愛は常に自分の中に』だとか言っておきながら、祈るための場所やモノがないと心が休まりもしない」
 それなら、人そのものでなしに絵姿を崇め奉る自分との間に、大した差異があるとは言えないのではないか。――そう言いたいのかと情報屋は感じたが、なにせ全く異なる宗教観の持ち主が相手である、この推察はたぶん大当たりとはいかないだろうと思ってもいた。
「……初期投資で七百万プラスアルファとして、維持管理費が?」
「年間で一万と少し」
 男はようやく二杯目のジンに口をつけ、その色の薄い唇を湿した。それから、さして重荷と思ってもいなさそうな、ごくあっさりとした語調で続けた。曰く、
「己の寿命を考えるに、教会を建てるよりは安くつく」
 グラスの水面に注がれた黒い目は、ひとつもふざけてなどいなかった。
「そのためにあんたは、賞金稼ぎなんぞやってるわけだ。俺が言えたことじゃないが、ろくでもない商売を」
「そうだ」 男は淡白に答えた。
「お前が人の金で美味い飯を食ってる間、己は人の命で信仰を支える。そういう意味では、己がゆうべ撃ち殺した連中とさして変わりない」
 その口振りがあまりに淡然としていたものだから、情報屋はとうとう、文句を差し挟む気力を合切失くしてしまった。彼は電子煙草のカートリッジを外し、今度はもっとスパイスの強いフレーバーに差し替えると、溜め息をつきながら咥え直した。
「解ったよ。で、あんた本体の死因がどうなるかはともかく、まあ死に場所は船の中だろう。となると、あんたは正しく崇拝対象と同じ場所、言ってみれば神の御許で死ぬわけだ。場合によっちゃ神も一緒に木っ端微塵かもしれんが」
「そうなるな」
「その点だけは多少羨ましいね」
 あくまで冗談として情報屋は言った。 「主よ御許に近付かん、なんて歌う必要がない」
 何しろ天国を自分で作っちまったんだから、と付け加え、金属のマグに手を伸ばす。が、その中身はとうに空になっており、彼の喉にさらなる潤いを齎すことはなかった。仕方なく指先を引っ込めた後、彼はふと思案顔になり、十数秒の間黙った。賞金稼ぎの男は不思議そうな顔でそれを眺めていた。
「しかし、そうだな、そういうものかもな」
「何が」
「あんたは知らないだろうことさ。旧世紀の話。……ようやく確証をもって言える時代になったわけだ、『神は天にいまし』、」

 その時、天井のスピーカーから流れていたエレクトロ・スウィングがはたと止み、バーの中は一瞬静まり返った。次いで、早祷の時間がやって来たことを知らせる、機械音声の穏やかなアナウンスが響き渡った。ステーションにある礼拝堂からの呼び掛けだった。
 情報屋は言葉を止め、咳払いすると、カウンターの上に両肘をついて手を組み合わせた。祈りの形だ。しかし電子煙草は手放さなかったので、ちょうど虚空に向けてそれを捧げ持つような格好になっていた。おまけに閉じる瞼は無かったが、代わりに鮮やかなアイライトが消灯した。しばしの間。
「天にまします我らの父よ、願わくは御名を崇めさせ給え、御国を来たらせ給え……」
 旧世紀からずっと唱えられ続けてきた、古典的な祈りの文句が滔々と流れ落ちる。立ち上る電子煙草の白い蒸気と共に、バーに漂う湿った空気の中へと浮かんでゆく。――が、蒸気と違ってそれは空気に溶け合うことがなかった。異質なものとして暫くの間そこにあり、誰にも認識されなくなったときに消える。「我らに罪を犯す者を、我らが赦す」ことなど無いのだと、エウニメデス・ビーコンの人々は解っていた。復讐の女神の名を関した星は、朝も夜もないこの天にあって、一日も休むことなく窓の外に輝いているのだから。
 やがて室内に元の音楽が戻ると、ライムグリーンの虹彩も再び光を点し、情報屋に視界が戻ってきた。と、彼は隣席に座っている男の奇妙な姿に気が付いた。男は何故か目を閉じ、両の手を組んで、カウンターの上に頭を垂れている。ちょうど今しがたまでの自分と同じように。
「何やってんだ、あんた」 情報屋は率直に尋ねた。
 賞金稼ぎの男はそこで手を開き、顔を上げて、感慨に浸るかのように黙っていた。ややあって、黒い目が情報屋のほうを見、質問に対する答えが口から飛び出した。
「祈ってた」
「あんたの船にある女帝の肖像画にか」
「いや、お前の神に」
 グラスの中のジンを呷ってから、男は続けた。吐き出した息からは、合成香料でなんとか再現しようと試みられた杜松の実の匂いがする。
「お前がそこまで言うなら、普通の信仰を試してみようかと」
「良いのかよ。女神ってのは浮気に厳しいのかと思ったがね」
 情報屋には普通の信仰心だけでなく、方々に存在する神話についての教養もあったので、この手の揶揄めいた言葉を発することはさして難しくなかった。問題は相手がその揶揄に気付くかどうかであった――果たして賞金稼ぎの男は、目の前にいる相手が何を意図しているのかさっぱり解らないという顔で、ただこう述べるだけだった。
「肖像画が神に嫉妬するか?」
 よほどその口に、手元に残ったチリの悉くをねじ込んでやろうかと情報屋は思ったのだが、やめた。たとえ初対面でなかったとしても、この男と宗教の話などするものではないということを思い知ったのである。
「解らんよ、俺にあんたの宗教観は」
 彼は頭を振り、そして先程の祈りのために中断された、古い地球の言葉の続きを思い起こしたのだった。――全て世は事もなし。

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