「なあ、だから何かないのか? 消してもいい記憶の一つや二つ」

機種変の手引き -Capacious Memory-

 ボイスチャット越しに聞こえる声は、ずいぶん気軽にそう尋ねてくる。そんなことを言われたって、こっちは胸を張って「これとこれなら忘れてもいいです」なんて言えるような状態にない。自分の頭にどんな事柄が記憶されていて、それらの重要度がどれほどだったかなんて、今すぐに全て思い出せるはずがないのだ。ああ、こんな形でバックアップの重要性を思い知らされるなんて!
「少なくとも最近のは全部必要だし……あと学生時代の思い出は何がなんでも残しておきたいし、家族絡みなんか忘れていいはずがないし、大分前のになると、そもそも何があったか覚えてないし」
「あのさあチトセ、こういうこと言うのもどうかと思うが、お前何のために機械の体してるんだよ、外部にアーカイブリストぐらい作っとけよ……」
 呆れ果てたような友人の忠言が、聴音ユニットからはっきりと届けられる。ぐうの音も出ないとはこのことだ。私は借り物の体をソファに投げ出し、すみません、と全くすまなさそうな声で返事をした。

 事の起こりは一週間ほど前。私は普段と全く変わりのない水曜日を過ごし、夜の十一時にはベッドに入ってさっさと寝た。横になる時に軽い目眩のようなものを覚えた以外に、何の違和感もない一日だったはずだ。
 しかし私の体にとってはそうでなかったらしい。翌朝になって私が起きると――いや、正確には「体を起こす」ことができなかったのだが、覚醒状態になって初めて異変に気がついた。意識はあるのに、五感が一切働かない。手足も動かせないし言葉も出ない。一人暮らしの身としてはかなりの恐怖感だった。別に家族と暮らしていたって恐怖には違いないだろうけど。
 ただ、恐ろしくてもこんな時どうすればいいかは覚えていた。慌てず騒がず、意識信号でエマージェンシー・コール。程なくして私を担当するサイバネティクス技師が自室に駆けつけ、見事に私を救い出してくれた。つまり、今まさに通話中の彼である。知人にこの手の専門家がいることの心強さといったらない。診断結果はずばり「パーツの寿命」で、もうすっかり型落ちになったユニットを後生大事に使い続けていたのが仇となったようだった。全身機械化もこういう時は厄介だ。
 幸い、記憶領域のデータは全て無事だった。というより、こんなことであっさり記憶が吹き飛ぶようなことがあっては、恐ろしくておちおち生きてもいられない。サイボーグ技術の黎明期は事故も多かったらしいが、現行機種のデータ保護性能は実に強靭で、かなりの外部損傷にも耐え抜くようになっている。私の場合はメモリ関係に何の異常もなかったわけで、記憶に影響がないのは当然のこと。だから修理中も、代替ボディにデータをコピーすれば普段通りの生活が送れるし、そうしておいて老朽化したそのパーツさえ取り替えれば、何の問題もなく復帰できるというわけだ。

 ここで物欲がぬっと顔を出した。パーツ交換にかかる費用の見積もりが出て、私はふと考えてしまったのだ。「長い目で見れば、もうちょっと多めに出して機種変したほうが得では」と。
 もちろん、ボディの買い替えとなると、コンピューターやゲーム機のそれと比べれば高い買い物だ。けれども今買わずしていつ買うのかという、散財しがちな人に特有の思考が私を突き動かす(自覚してるんだから節制しろと、知人たちに口酸っぱくして言い聞かされているが)。今のボディからフレームと、まだまだ現役のパーツは流用して、進化の著しい一部のコンポーネントは新調、組み立て。既製品を丸ごと買うよりは安くあがるはずだ。そして実際、安くあがった。特に、いつか欲しいと思っていた味覚ユニットをお手頃価格で手に入れられたのは大きかった。これで毎日の料理と食事がもっと捗る! そんなわけで私は、災難に遭ったにしては胸躍るような気持ちでいたのだ。さっき着信があるまでは。
「お前さ、記憶領域の容量ギリギリすぎるぞ、チトセ。新しいパーツのドライバ入れる空きがないから、何か削らないと」
 一体何をこんなに覚えとくことがあるのやら。彼はわざとらしいため息をつき、不要なデータをいくらか削除する必要があるから、何か忘れてもいい記憶を挙げてみてくれと求めてきた。だが、そんなことを言われたって――そして会話は堂々巡りとなる。

「今日び受験生だって、こんな上限一杯までデータ詰め込んでないってのに。お前、機械化の利点を全然活用してないだろ」
「そうなんだけどー」
 手当たり次第詰め込んだ記憶を簡単に整頓し、必要がなくなったら削除でき、あるいは再利用の可能性を考えて外部にバックアップを取る。得られる知識ばかりはやたらと多いこの現代に、その利便性は誰もが欲しがるものだった。実際に機械化するかどうかはともかくとして、だ。ところがこのサイバネティクス技師は、私はせっかく高性能な記憶野を持っておきながら、その利用法は生身の肉体でいた頃と全く変わりがない、完全に宝の持ち腐れだと言うのだ。確かにそうかもしれない。今の私は、「最新鋭の記憶技術を手に入れたサイボーグ」というより、「人類の平均よりは記憶力がいいただの人」程度でしかないのかもしれない。
「ねえ、じゃあどの記憶がかなり容量食ってるのか教えてよ。聞いてそれを消していいか考えるから」
「お前、よくそんな安易に自分の脳の中身を見せられるよな」
「他人には見せないけど、まあアオバにだったらなんとか許容範囲かなと。必要に迫られた状態だし」
 特にやましいこともないし、と答えたものの、これが要するに安易だということなんだろう。何度目かのため息が聞こえ、そしてしばらくの間が空く。きっと今、私の記憶をサイズの大きい順に並べ替えたりしているのだ。
「――やっぱり、留学してたときの記憶がかなり大きいな。よっぽど毎日充実してたんだろう」
「そりゃあもう! でもそれは絶対に消しちゃだめ。だから別のにして」
「おれだって、こんなもの消せとはさすがに言わねえよ。それから……意外に容量食ってるのが、夢のキャッシュだな」
「夢? 夢って、寝てるときに見るほうの」
「そっちの夢」
 次に飛び出してきたのは、私が全く予想もしていなかったフレーズだった。夢のキャッシュ。OSアップデートのキャッシュがいつの間にかドライブを圧迫してた、みたいな話なんだろうか。
「スリープ中に見た夢の記録が、この機体を使い始めてからの分、ほぼ丸ごと残ってるんだよ。これをカットすれば一発だ」
「そんなの残ってるものなんだ。見た夢なんてほとんど翌朝には忘れてるのに」
 私は素直な感想を述べたつもりだったのに、とたんアオバの声が苦々しくなった。渋い顔が目に見えるようだ。
「それはおれの台詞だよ。普通はそれこそ定期的に忘れるもんだぞ、なんで十数年も蓄積してきたんだ。容量の無駄遣いの最たるものじゃないか」
「そんなの知らないって、私別にそういう設定してないんだから!」
「全く、……見聞きしたことを片っ端から残してばかりいるから、夢も自動的に記憶されるように学習したんだろうな。そのくせ、覚えてても肝心なことは思い出せないと来てるからたちが悪い……」
 ぶつぶつと聞こえてくる彼の小言を、私はなるべく平静な心でスルーしようとした。他人だったらとっくに無視リストに入れているところだ。でも彼はそうではないし、今は何より私のデータをなんとかしてもらわなくてはならない。
「じゃあ、このキャッシュを削除するってことでいいよな? そうすれば万事解決、今日中には作業も終わるだろう」
「そういうことなら、いや、でも夢のキャッシュってことはつまり、それを覗けば自分がどんな夢を見てたか分かるってことでしょ? それはそれで捨てがたいなあ……こう、私が寝て過ごしてきた時間にも興味はあるっていうか」
「お前いい加減にしろよ」
 そんなんだから部屋は片付かないし、いつまで経っても引っ越しできないんだよ、と彼は言う。ごもっともである。私は物が捨てられない女だし、記憶も捨てられないのである。自分の部屋はゴミ屋敷と呼ばれない程度の水準に保っている、という最低限の自負だけはある。

 夢のキャッシュの増殖については、わざわざボディに夢を見る機能をつけたメーカーに文句を言って頂くとして、それ以外に場所を取っているものがないかと聞いてみると、アオバはこんなことを言ってきた。
「日付は十五年ぐらい前になってるが、そこそこ大きめのチャンクがあるな。だいたい中学生ごろか?」
「何だろ、中学生かあ、中学生……『チトセアメ』ってあだ名つけられて迷惑してた記憶とかかな」
「そんなもんまで残してるのかよ。そりゃ確かにお前の体型は千歳飴っぽいけどさ」
「ボディについての文句はメーカーに言ってってば。こんな縦に長い機種選んだの私じゃないし。……まあ、あの頃はそこそこ嫌がってたけど、今思うと上手いこと言ったなって感じだよね、チトセアメ。クラスの男子全員より身長高かったの、知ってる?」
 幸せなことばかりでもなかったが、全体的に見ればそれなりに楽しく満ち足りたものだった中学時代を振り返って、私はまんざらでもない気分になっていた。対してアオバはといえば相変わらずで、この懐かしさにいちいち水を差してくる。
「知ってるも何も、当時自尊心を大いに傷つけられていたのが他ならぬおれなんですがね」
「そうだったっけ。アオバもけっこう大きかった気がするけどなあ、そうかもっとちっちゃかったのか」
「無断で変なマルウェア放り込んでやろうかこのボディに」
「あっ、それはやめて」
 いくらなんでも洒落にならない。私は不用意な発言を口では詫びつつ、まだ子供だった頃の彼の姿を思い起こしていた。どこか大人びて冷めた性格は昔からだったが、体格についてはどうも記憶違いだったらしい。いや、アオバ本人の言を借りるなら、覚えていても思い出せないだけか。
「まあ、とにかく、それは実際そういう迷惑してた記憶なのかな。でもまさか、それだけで大した容量にはならないよね」
「多分な。ああ、それ以外のただの日常的な記憶とかも全部入ってる。会話とかエネルギー利用記録とか、……」

 私のノスタルジーをよそに、アオバは淡々とデータの概要を読み上げていき、かと思えば不意にその声を途切れさせた。そして沈黙。なんだろう、まさか私の思い出せない領域に、無意識下で抑圧してきた悲惨な記憶でも残っていたのだろうか。私に限ってそんなことはないと思うけどなあ、と他人事のように考えているうちに、ようやく彼は二の句を継いだ。
「……お前ってさ、わりとアレだ、大正ロマンとかあの手の漫画好きなタイプ?」
「へ?」
「いや別に今どうかはともかく、この『帝都の夜の支配者』のキャラデザはモロにそれだと思う」
「――!?」
 私は思わずソファから跳ね起き、その弾みにバランスを崩して床に転げ落ちた。痛そうな音がした。実際体はそこまで痛くないが、頭と心は抉られるような痛みに襲われた。
「待って今なんて? なんて!?」
「この頃は頑張って旧字体とか覚えようとしてたんだなって……お前、今となってはテキストチャットですら漢字が危ういのに……」
「うわー!」
 確かに抑圧された記憶だったが、これは抑圧されたままで良かった。彼は今、間違いなく私の黒歴史ノート(デジタルデータだけど)を読んでいるのだ。途端ありありと思い浮かぶ数々の文章たち。悲しいかなこの代替機体はグラフィック周りのスペックが結構宜しくて、文字のみならずイメージまでも鮮明に掘り起こしては視野に投影してくれる。やめてほしい。
「まあ、おれはこの手のものって結構楽しんで読めるタイプだし、誰しもこういう時期ってあるもんだと考えると」
「楽しんで読まなくていいから! 考えなくてもいいから!」
「それにお前、設定集だけじゃなくてちゃんと本文があるのは努力の証拠だと思うぞ、これだけで同世代の数割よりは先を行けてたことになる」
「先を行ったからってどうこうなるものでもないから!」
 慰めているつもりなのか煽っているつもりなのか、アオバの言葉はどちらにせよ的確に私の精神を不安定にする。次々と不必要なまでの鮮やかさで浮かんでくる、「帝都」を騒がす怪盗や猫好きの探偵や何故か薙刀に長けている女学生などの映像を、私は懸命に振り払いながら叫んだ。ミステリーをミステリヰ、赤いを赫いと表記したがるお年頃の幻想なのだ。頼むから私にもう当時の性癖を回想させないで。
「わかったわかった、じゃあこいつを削除して済ませるか。その反応からしてもう跡形もなく葬りたいほどのアレなんだろう」
 大して悪びれていないだろう確認の声が飛んできて、私はようやく我に返った。未だくすぶり続けるかつての創作物たちを、私はやっとこさ振り切り――たかったつもりだが、振り切れなかった。心の片隅が、さっきまでの抉られるようなそれとはまた違った痛みに触れた。

「でも、どうしよう」
「は? おい、まさかこれも捨てるのはもったいないとか言い出すんじゃないだろうな」
「もったいないというか、ううん、もう再利用することは二度とないと思うんだけど……」
 ただ、それを完全に無かったことにしてしまうのは、なんだか寂しい。
 自分でもどうしてこんな風に感じるのか解らない。大昔のSFではよく、機械の体に心はあるのかとかいう題材が取り上げられていたらしいけど、私のこれはどうなのだろう。機械化すれば面倒くさい未練や優柔不断さとは縁が切れるのだろうなと、たしかに私も思っていた。現実はこうだ。記憶の扱いかたも、それに対して抱く感情も、結局のところ人間だったときのままだ。科学ってのは万能じゃない。
「だったら別にいいだろ。これから先、うっかり思い出したりデータ整理で覗いたりするたびに、そんな大声上げてのたうち回る羽目になりたきゃ別だが、まさかそんなこと望んでないだろうし。お前、自分の記憶に対する執着半端なさすぎるぞ」
「どうせ私は片付けのできない女ですよ。そういうアオバはどうして、データとかなんとかをさらっと切り分けられるの」
 いかにも不貞腐れていますというような、低いトーンで私は尋ねる。返事はいたってクール。いつも通りのアオバの声。
「そりゃあ、おれはお前と違って生身の体だから仕方ないだろ。適宜忘れていかないと新しいことを覚えられないし、記憶以外でもそうだよ。あれもこれも必要だって溜め込みすぎて、どれ一つ取り出せなくなるんじゃ本末転倒だ」
「うわ、大人だ……」
 そうとしか言えなくて、私は自分の語彙の乏しさと上手い切り返し能力のなさに少し落ち込んだ。言語モジュールも新調するべきだったかもしれない。高いんだけど。
「チトセ。もうそろそろ、どれを覚えているべきでどれを忘れるべきなのか、自分で決められるようになれよ。嫌な思い出までどうして持っておく必要があるんだ。近い将来訴訟を起こす予定もないんだろ」
 その予定があるなら良い証拠材料になるけど、とアオバは言う。生憎と私は、未練がましくはあるが根に持つタイプとは少し違うので、当時のクラスメイトを今更あれこれ言うつもりはない。
「だって、なんだか、捨てるのって怖いと思わない。もしかしてそれが自分の大事なものだったら、ものすごく後悔することがあるかもしれないじゃない」
「完全に忘れてるんだから後悔はしないだろ」
「そうじゃなくて!」
 ああ、上手く言葉にできない。一体全体、私のこの思いを正確に伝えるにはどうしたらいいんだろう。でも、そもそも思いって正確に伝えることのできるものだろうか。アオバが私の記憶の一部を読んでも、私が覚えていた通りのことを感じてくれないのと同じように、思考がどれだけデータ化されたって、結局受け手が違えば解釈も違うんだ。もどかしさに迷っている私を尻目に、彼は続ける。
「なんでもかんでも覚えてることが良いことじゃない。こういう言葉もあるぞ、『多くの人間は、その記憶があまりにもよいという唯一の理由から思索者になれない』」
「……何それ、誰の言葉?」
「ニーチェだよ、箴言集から」
 感慨も何もない調子の返事。よりにもよって黒歴史作家御用達の人名引っ張ってきやがって! 実際、私も何かしらの生産物に彼の言葉を流用した記憶が、そういえばあるような気がしてきたので頭が痛い。
「というか、そういうアオバこそなんで覚えてるの、そういう名言集みたいなやつって。案外そっちも……」
「覚えてるわけないだろそんなもん。今しがた『記憶 格言』で検索したらトップに出てきたんだよ」
 彼は事も無げな台詞でもって、私のささやかな反撃を繰り出される前に潰してのけた。かちんと来たので、私は中学生時代の彼が大学ノートを開き、ニーチェの箴言を一行一行ほくそ笑みながら書き写しているところをイメージした。おかげで胸がすっとして、自然と口角が上がった。だからといって彼の言葉に快く頷けるわけではないが。

「チトセ、良いか、記憶にしがみついてる必要なんて無いんだよ。些細なことは必要なとき調べて、その場で使って、その場で忘れる。良いことでも悪いことでも、思い出せなくなってきたなら、いっそそのまま忘れてしまえばいいんだ。そうすりゃ一番大事なことだけが残って、もっと大事になっていく」
 いつまでも煮え切らない私を見るに見かねて、いや、聞くに聞きかねてか、とうとうアオバは諭すように言い出した。
「そういうもの?」 完全には納得していない意を声色で示す。 「そういうものかな」
「おれはそう思ってる。別にお前までそうしろって訳じゃないけど、記憶容量のことでこうやって大騒ぎするぐらいなら、少しずつでも忘れる練習をしとくと、またいくらか楽になるんじゃないかって言うんだ。――なあ、これは今検索したんじゃなくて、ちゃんとおれが覚えてる言葉なんだがな、ちょうどいいのを知ってるよ」
「どんな?」
 私が先を促すと、アオバはやっと口調に温かみを滲ませて、音のひとつひとつを噛みしめるように、聴音ユニットを通じてこう伝えてきた。
「『忘れるにまかせるということが、結局最も美しく思い出すということなんだ』、って」
 それが誰によるものか、私は少しの間真剣に考えた。ニーチェでないのは分かったが、具体的な人名は浮かんでこなかった。私の記憶には、この手の格言を発しそうな人名のストックが存外少ないことに気付かされてしまった。
「こっちは誰のなの」
「本人の台詞じゃなくて、物語の中に出てくる言葉だな。川端康成、……読んだことあるよな?」
 胸を張ってあると答えたかったが、結局沈黙するしかなかった。私にとっての中学時代の記憶は、変なあだ名や頭の痛くなる創作や友人のすかした態度のことばかりだった。国語の教科書はもはや、私にとって大事なことではなくなっていたのだ――

日本の文豪についての返事のかわりに、私は何気ない思いつきを口に出した。
「ねえアオバ、今使ってるこの代替機体なんだけど」
「何か?」
「元のボディに戻るまでの間、これで記憶したことってさ、やっぱり引き継がれるんだよね?」
「当たり前だろ、一週間ちょっとの記憶がすっぽり抜け落ちてたら日常に支障が出る。まあ、その機体の記憶のみならず、引き継ぎのデータを元通り運用できるようになるまでには、多少の調整期間が必要になることはあるけど」
 それでも長くて一日だし、特に心配するほどのことでもないさと彼は言う。そうか、その分の容量も確保しなきゃならないんだな、ドライバが必要とする分だけじゃなくて。再確認しながら、私は自分自身の思いつきをしっかり記憶に留めた。
「で、それがどうした? ああ、だから削除する記憶については……」
「うん、解ってる解ってる。それはいいの。改修終わって覚えてたら、そのときまた言うことにするから」
「何だそれ」
ボイスチャットは怪訝そうな響きを正確に届けてきた。私がその、自分でも変てこだなと思える発想を、データ移行した後でもちゃんと思い出せるかどうかは解らない。だけど思い出せたなら、それはつまり私の大事な感情のひとつなのだ。それなら数日遅れでも伝えなければならない――今しがた思ったんだけどアオバ、私あんたが好きなのかもしれないね、と。

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