いらっしゃいませ、お客様。国立工芸美術館へようこそ。はい、常設展を大人一枚――

目を奪われるような -Give Your Eyes For Her-

 ――えっ?
 企画展、ああ、大変申し訳ありませんが……お客様、お時間をお間違えでございます。常設展は午後六時の閉館直前までご覧になれますが、今回の企画展は午後四時半で入場終了となっておりまして。はい、パンフレットにもこの通り記載が……
 ええ、一般のお客様のご入場はもう締め切らせて頂いております。せっかく遠方からお越し頂きましたところ、本当に申し訳ありません。多くのお客様にご来場頂いております都合上、作品保護等の観点から制限を設けさせて頂くほかありませんで。はい、お客様にはご迷惑をお掛けしておりますが、どうしても……

 ……そうですね、企画展にはご入場頂けませんが、ひとつ……実は明日、常設展の展示品の入れ替えが行われることになっているのですが、その中に企画展のテーマにも共通した作品がございまして。もし宜しければ、特別にそちらをご覧頂く、というのは如何でしょう? そう、宝石です。単体ではなく、宝石を用いた工芸品、という扱いにはなりますが。  宜しゅうございますか? ではお客様、ご案内させて頂きますので、こちらへどうぞ。お足元にお気をつけくださいね、通路のほう少々狭くなっておりますので……

  * * *

 さて……少々暗いですが、鉱石の性質上明るい光を当て続けることができないもので、どうかご了承ください。そちらの展示ケースです。
 ――そう、なんとも蠱惑的な美しさを持った品でしょう? あまりに精巧で、だからこそ不気味さもありますね。なんといっても、目玉なのですから。人工的に作られた、これは伝えられるところによれば右の目玉。
 こちら、作品名を「大公妃ヘルミーネの真実の目」といって、制作年代は17世紀の初めごろとされております。いわゆる白目の部分は象牙、瞳の部分は天然のグリーンダイヤモンド。この時代に合成ダイヤモンドはまだありませんから、天然というのも当然といえば当然の話ではありますが……当時の王宮お抱えの職人ではなく、あえて無名だった市井の工房に依頼したというこの品。ただの置物、珍品としてでなく、実際に使われていたというのですから驚きです。そう、これは人間の目の代わりにはめ込んで使うもの、義眼なのですよ。
 何故このような、極めて高価な「実用品」が作られたのか――その疑問を解決するには、まず大公妃ヘルミーネについて幾つか知らなくてはなりません。お客様は彼女の名前について、今まで耳にされたことは? ……ございませんか。

 当時のシュトレヒト大公ハインリヒ・オイゲンの正妻、つまり大公妃ヘルミーネは、稀代の美女であり世界一のプリンセスと讃えられた女性でした。艶めく栗色の巻毛に青い目、透き通るような白い肌。すらりと背も高く、スタイルは抜群。もちろん見た目だけでなく、完璧な礼儀作法と教養、芸術の才能、そして恋の手練手管も身につけた女性でした。世界各国の言葉を操り、ピアノとフルートの演奏に長け、宝石の鑑定眼はプロ顔負け。
 そんな大公妃は若い頃から、宮廷では引く手数多。国内からも外国からも、求婚に訪れる貴公子が絶えることはありませんでした。最終的に彼女を射止めたシュトレヒト大公は、その喜びをこう表現しています――「たとえ黙示録の天使が我がもとに舞い降りても、この幸福を戒めることはできないだろう」。
 ところが、世の中に完全無欠の人間など存在しないもので……大公妃にもやはり、欠点がございました。それも、他の点であまりにも恵まれすぎていた反動でしょうか、ちょっとやそっとの、却って可愛らしいと思えるような欠点ではありませんでした。彼女はとてもとても疑り深かったのです。人の心を信じるということが、全くできない女性だったのです。

 大公妃ヘルミーネは十五歳のとき、原因不明の感染症により、左目がほとんど見えなくなってしまいました。そして、その時から彼女は、「自分からは『人を見る目』が失われてしまった」と考えるようになったそうです。今や、自分を取り巻くあらゆる人々が、その心に何を隠し持っているか解らない。これまでは心許していた親しい友人や家族さえ、いつ自分に対してよからぬ考えを抱くかもしれない。そうなったとして、自分ではそれを見抜くことはできないと。
 さあ、若い大公妃は苦悩の日々を送ることになりました。新婚早々にして夫の愛を疑い、世話を焼いてくれる姑の親切を疑い、実家から連れてきた召使たちの衷心も疑い、美しいプリンセスを歓迎する市民の忠誠も疑う、孤独で気の休まらぬ生活。といっても、最初のうちそれは単なるマリッジブルーと受け取られていたようで、「憂いの顔がまた美貌に磨きをかける」と、宮廷では相変わらず評判だったようですが。
 ひとり鬱屈とした気持ちを抱えた大公妃は、側仕えの者たちを捕まえては、日に何度も質問をしたといいます。その者の今日の行動を事細かに問いただし、自分の与り知らぬところで妙なことをしていないか、二心を抱いてはいないか、繰り返し確かめたのです。実家にはたびたび、繋ぎ合わせて数メートルにもなる手紙を送りつけ、早急な返事を求めました。夫にも愛の証を立てさせるため、高価な宝石や邸宅や領地、あげく瓶に封じた夫自身の血液まで求めたというのですから、なんとも度を越したこと。

 月日が経つにつれ、大公妃の行動はエスカレートしていきます。二十六歳のときに夫である大公が早世すると、彼女の不安症はいよいよ最高潮に達しました。どうにかして人の本心、隠された真実を見抜くことはできないものか、その一心で彼女は様々な方法に手を出しました。いわゆるオカルト的な試みまで行うようになったといいます。
 例えば、当時貿易が始まったばかりの大陸から、カラバル豆という珍しい植物を輸入させ、相手が嘘をついていないかのテストに用いました。この豆には強力な毒素が含まれていて、人間を死に至らしめるには十分。これを二十粒ばかり対象に飲ませ、潔白ならば神のご加護があるから助かるが、嘘つきならば死んでしまうというのです。随分と残酷な話だと思われますか?
 ところがこのテスト、意外にもそれなりの「正解率」を出していたようなのです。というのも、当時の人々はまだ神の意志、神秘的なお告げのたぐいを強く信じていましたから……自分が正直者であると確信している者は、その誇りをもって豆を一気に飲み込みます。するとたちまち嘔吐の反応が起こり、身体に毒が回る前に吐き出してしまう。結果的に助かることが多かったのです。逆に、後ろめたいところのある者は、豆を一粒一粒、恐る恐るといった様子で少しずつ食べますから、毒が徐々に吸収されていき、やがては死に至るというわけでした。

 他にも、有毒な香りを放つ木に一昼夜縛り付けておいて、翌朝になっても意識があれば正直者だとか、神聖な儀式でもって熾した火の上を歩かせて、もし裏切りの意志がないなら火傷をしないはずだとか……あの手この手、当時最先端の科学的手法から、古い文献に記された伝承まで、ありとあらゆる手段で人心を探ろうとした彼女。そして、今こちらにある「真実の目」もまた、そのために作られた品でした。
 この美しい義眼の使用法は――もちろん義眼ですから、先程申し上げたとおり、人間の目の代わりにはめ込んで使うのです。装着した状態であれこれと質問をし、その答えが真実ならば変化なし。嘘だった場合、瞳の部分にあたるダイヤモンドの色が黒ずみ、光を失ってしまう、と言われていました。
 ええ、……そうです、大変グロテスクな話ですが、この義眼を付けさせるにあたって、大公妃はまず対象の目をくり抜くことから始めました。ほとんどの人々は震え上がり、なんとかして審判を回避しようとしたことでしょう。何しろ、麻酔薬というものはない時代ですので、目を取り出すというだけでも多大な苦痛です。たとえ嘘つきと見なされ処刑されなくとも、その時点で命を失う危険がある。けれども、逃げ出すそぶりなど見せようものなら、言うまでもなく大公妃殿下の疑念はいや増す。どうにもならない事態でした。
 「真実の目」による審判を受けた者が何人いるのか、正確なところは解っていません。しかし、記録に残っているだけでも宮廷付きの音楽家が一名、彼女に長く仕えていた侍女が二名、そして我が子――ヘルミーネの三男ルートヴィヒまでもが、生身から片方の目を奪われ、当代一の工芸品を充てがわれて、大公妃に対する本心からの忠誠を誓わされたということです。女は左目、男は右目を取られるのが決まりだったとかで……いえ、詳細をご説明するのはよしましょう。さすがにお客様もご気分が悪くなりましょうから。

 はい、――ええ、仰る通りです、お客様。本来この義眼は右目と左目、両方が組になっていました。ですが、今ここにあるのは右目だけ。左目はどこへ行ったのか、と……もちろん、それは今からお話しさせて頂きます。
 常軌を逸したヘルミーネの行動に、地元の市民や役人たち、あるいは宮廷で彼女と付き合いのある貴族たちからも、とうとう国王に向けて告発が行われるようになりました。有能な廷臣たちや才能ある学者、次代を担うべき若者たちが、次々と犠牲になっている。大公妃――夫亡き今、彼女は既にシュトレヒト女大公となっているわけですが――は正気を失っている、あるいは魔女なのではないか、と。
 時の国王としても、この訴えを無視するわけにはいきませんでした。国王とヘルミーネは実のところ親戚筋、はとこ同士の関係にあったのですが、いくら身内といえども庇いきれないほどの、残虐で支離滅裂な仕打ちの数々。これはもはや「神のお裁きの代行」の域を逸脱している、明らかに悪魔の所業である、と。
 かくして三十歳の誕生日を目の前に、ヘルミーネは捕らえられ、裁判に掛けられることになりました。審問の場に引き出された彼女の姿は、宮廷に上がった若き日と全く変わらず、見事な美しさを保っていたといいます。裁判官による尋問に対し、堂々とした態度で臨んだかつての大公妃。邪心を抱いて罪なきものを虐殺したのではないかと問われても、彼女は何ら動じることなく否定を続けました。自分は国や夫に、あるいは領民たちにも、常に誠実に愛を注ぎ続けた。邪心を抱いていたのは彼らのほうであって、それを明らかにするためにしたことが罪になるはずがない。あなたがたはここまで公に仕えた私を疑うのか――
 彼女が頑として譲らないのを見た裁判官は、王の許可を得た上でこう言いました。ならば、お前が正義であるとした方法によって、お前に罪があるか否かを確かめてみようではないか。

 もうお解りでしょう。彼女はかつて自身が他者に課したのと同じように、左目をくり抜かれ、あの「真実の目」の片方をはめ込まれた姿で、尋問を受けることとなったのです。例えようもない激痛だったに違いありません。それでも彼女は毅然としていた。繰り返される問いに最後まで答え続けました。自分がそうしたのは、ひとえに彼らを愛していたからだと。愛するものを疑いたくなかったからこそ、真実を明らかにしたかったのだと。
 とはいえ、最終的に判断を下す裁判官、および国王としては――その言葉の真偽によらず、彼女を処刑しないことには事態に収まりがつかないと、最初から考えておりました。結局、ヘルミーネは世にも見事な義眼を着けたまま、魔女として火炙りにされたのです。
 その左目のダイヤモンドは、最後まで色を変えることはなかったといいます。

 焼け残った「真実の目」の左片方は、処刑を見学していた市民の一人によって持ち去られたとも、あるいは王家に没収された後、革命の際に失われたともされていますが、定かではありません。少なくとも現時点では、未だ行方知れずのままです。
 行方といえば、ヘルミーネ自身の行方も……そうなのです、こういった魔女狩りにはつきものの話なのですが。ええ、記録によれば彼女は確かに灰になった。けれども人々の間では、悪魔と契約していたからその身体は燃え尽きず、密かに刑場を抜け出して自由の身になったとか――もしくはその逆、確かに蘇生したけれども、それは悪魔の業ではなく、神が彼女の潔白を証明するためにそうしたのだ、とか。
 ですが、現代の私たちからしてみれば、これはさすがに荒唐無稽な話としか言いようがありませんよね。17世紀の人々にとっては十分信じられる話だとしても、科学的には起こり得ない。多くの人々が、彼女の身体が焼かれて塵に帰るところを見たことでしょう。宮廷の書記もそうであったと文章に残した。であるならば、大公妃ヘルミーネは確かに死んだのです。世界一のプリンセスとしてではなく、悪魔によって目をふさがれた邪悪な魔女として。

 さて、私の説明はこれでお終いとさせて頂きます。如何でしたか、お客様――
 ――えっ?
 私の左目、でございますか? はい、どういった――色が違う? ほんのついさっきまでは、右目と同じだったのに?
 まさか、失礼を承知で申し上げますが、それは錯覚というものでございますよ。このようなお話を致しましたものですから、認識にも影響を受けてしまったのだと思われます。ええ、嘘偽りなく……大公妃殿下はお亡くなりですとも。何百年も前に、間違いなく。そんな、如何なさったのですかお客様、目の色を変えて……

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