上映開始から約五十分。未だ物語は盛り上がりを見せない。

夢見るようなフィルム -Undo Cinema Paradice-

 もちろん、そんな映画だってたまにはあってもいい。上映時間の半分を過ぎても「つかみ」のシーン一つやってこない映画が。しかし、そんな映画を好んで観たいか、好んで見ることがあったとして今この場で観たいか、というのは全く別の問題だ。座り心地だけは良いシネコンのリクライニングシートで、私はいくらか無聊をかこつようになっていた。スクリーンからのまばゆい光も、今は虚しく感じられる。あと四十分の間にどんでん返しが来ることを期待しても良いのだろうか? それとも最初から別の映画を――例えば「ハロウィン」の続編を、オリジナル版を見ていないことを棚上げにしてでも観たほうが良かったのだろうか?
 映画館でこのような状況に置かれるたび、私の脳裏を「サンクコスト」という単語が掠める。つまり、十ドル払った上で更に九十分を浪費するよりは、同じ十ドルでも十分か二十分失うだけで済ませるほうがマシだと。ところが、同時に私の脳裏には、この劇場のスタッフほぼ全員に顔を覚えられていること、チケット売り場の数名にいたっては名前と生年月日まで記憶されていること、去年の誕生日にコンセッションのコーヒーを一杯ご馳走してもらったこと等が次々とよぎって絶えることがない。良い映画館なのだ。よって私は大人しく九十分を浪費することを選ぶ。料金は支払っているのだから、途中退席したところで映画館側は別に損をしない、という事実に限ってその場では思い浮かばない。感情の問題なのである。

 良い映画館なので、水曜日のレイトショーでも受付は混雑していた。彼らの大半が公開したてのホラー映画か、リクエスト上映のフランス映画、またあるいは毎週水曜日の「ウィアード・ウェンズデー」企画――その名のとおり、レイトショーの一枠限定で世界の奇妙な映画を実験上映しているのだ――を観に、それぞれの上映室へと飲み込まれていった。私はといえば、なにしろ「ハロウィン」はとうに売り切れていたし、カルト映画を観たい気分ではなかったし、さりとて新世紀フランスのロマンチック・コメディを味わう自信もなかったので(そりゃあ私だって「アメリ」や「パリ、ジュテーム」ぐらいは楽しんで見たけれど)、消去法で四番シアターの比較的よい席に腰を下ろした。比較的よい席が空いている時点で嫌な予感を覚えるべきだった。いや、遡ってみれば受付の時点で、私にチケットを売ってくれたスタッフのどことなく苦い顔に気付くべきだった。そりゃあ彼らは職業人だから、自分自身の正直な意見を述べることはできないわけだ。――かくして映画は今に至る。
 物語がこの調子であるから、始まってこのかた誰も歓声どころか溜息ひとつ漏らす気配がなかった。見入るあまりに反応する余裕がないのではなく、反応すべきことが何もないといった様子だ。これではまるで葬式だ。それもよく知らない遠い親戚の、出席するために貴重な休日を半分潰さなければならなかったような葬式だ。一応喪服を着て教会の長椅子に座ってはいるものの、特に悲しいわけでもないのですすり泣くこともなく、牧師さんの言葉にも眠気を覚えるばかりで、終わった後のパーティーには帰宅時間の都合上参加できない、そんな徒労感ばかりが募る一幕である。
 実際、明らかに居眠りしている観客もあちこちに見られた。私の隣に座っている仕事帰りらしき女性は、一日の疲れもあってか見事なまでの熟睡ぶりだ。前席に腰を下ろした背の高い男性も、最初こそ上背のおかげで私の視線を多少遮っていたが、今や背もたれから頭が出ていない。完全に沈没している。

 そこまではまだ見慣れた光景だったものの、後方から高いびきのコーラスが聞こえてきたあたりで、私も流石におかしいと思い始めた。なるべく周囲の邪魔にならないように(といっても周囲はみな寝ているが)、軽く腰を浮かせて辺りを伺えば、顔をまっすぐスクリーンに向けている者など誰もいない。
ニュクテリーニー・ヴァールディアー、夜の眼よ
 小声で「暗視」の呪文を唱え、目を凝らしてみても同じだった。少なくとも私の視界では、あらゆる人々が瞼をぴったり閉じ、フィルムとは違ったもう一つの非現実へ没入している。よく見れば通路脇で待機している係員さえも、立ったまま船を漕いでいるではないか。明らかに異常事態だ。
 私は呻いた。群衆の中で私一人が眠気を覚えず、正常な覚醒状態を保っているということは、この現象は何らかの魔術的なもの――それも妖精や幻想種に関係するものである可能性が高い。ところが、その手の妖精を相手取る際に高い効力を発揮する、愛用のハンノキの杖は当然持ち歩いていない。合衆国中でも極めて厳しいニューヨークの州法を恨むわけではないが、とにかく銃や刃物と並ぶ「危険物」が手元にないというのは不利条件だ。迂闊には動けない。
 私は改めて座席に身を落ち着け、何がこの事態を引き起こしたかについて考えることにした。元々人間の世界に棲まない種族も様々とはいえ、妖精と悪魔は飛び抜けてこちらへの干渉が激しい。前者と後者の違いは悪意の有無ぐらいで、とにかく些細ないたずらから窃盗、略取誘拐、殺人まで何でもありだ。集団催眠だってお手の物。ただ、その中でもとりわけ眠りに特化した種といえば――
 頭を低くしながら、私は通路に出て上段を目指した。劇場最後部のさらに左端、出入り口から最も遠い席から見下ろしてみる。主人公とヒロイン(と設定されてはいるのだろうが正直なところ影は薄いし感情移入もしにくい登場人物)が、スクリーン上で無為な会話を交わす傍ら、座席をまばらに埋める人々は皆めいめいの座り方で眠りこけており、非常口のサインが放つ緑色の光さえもどことなく眠たげだ。
 この位置から眺めることでやっと気付くことができた。私のいる位置とは反対側、映写室の真下にあたる席に、誰かが腰掛けている。しゃんと背筋を伸ばした、居眠りとは程遠い姿勢で。

 私は何食わぬ顔でそちらへ向かい、あたかもそこに誰もいないかのような振る舞いで、特に断りを入れることなどもせず、人影の隣へ腰を下ろした。と、彼は足元をごそごそと探り、一抱えほどの大きさの袋を取り出した――普通の観客なら手荷物なんて持ち込んでいないはずだ。私が杖を持っていないように。
 袋を抱えたまま人影は立ち上がり、私の前に回った。ゆったりとした背広にニットの帽子という、ちぐはぐな格好の彼は背が高く、スクリーンへと向いた私の視線はあっさり遮られる。普段だったら静かに文句の一つも言うところだ。けれども今夜は少々事情が違う。私はただ待ち、そして受け入れた。人影が袋に手を突っ込んで、何かさらさらとした金色の粉のようなものを掴み出し、私の顔へと振り掛けるのを。
 金色の粉は淡いきらめきを放ちながら舞い落ち、私の肌に触れたとたんに消える。敢えてフィクションで例えるなら、「ピーター・パン」のティンカー・ベルが振りまく妖精の粉に似ているだろうか。あれは空を飛ぶ力を持っているわけだが、こちらの効果も同じぐらいに「夢見るような」ものである。そう、私には見当がついたのだ。謎めいた現象の根本が。

「申し訳ないんですけどね」
 席へと取って返しかけた人影の手を、私はさっと掴んでから小声で言った。腕にびくりと震えが伝わる。流石にこれは予想外だったろう。
「やむを得ない場合を除いて、上映中に立ち上がるのはマナー違反ですよ。どう考えてもスタンディング・オベーションを禁じ得ない場面じゃあなかったでしょう、今のやり取りは」
 私は改めて、不可思議な人物の顔を見上げた。これといって特徴のない、色白で穏やかそうな男性だ。見る限りでは二十代の半ばといったところだろうか。相手が人間であれば。
「貴方は……」 恐らくは驚きから、目を丸くして男性が声を漏らす。
「わたしが見えていたのですか。ここに座ったときからずっと?」
「まあね。劇伴にしちゃずいぶん眠たげなコーラスが聞こえたもんだから、スピーカーに異常がないか確かめようと思って」
 空いた隣席を手で示し、とりあえず座るようにと促しつつ、私は頷いた。
「私はそこまで映画館の音響にこだわるタイプじゃあないけれど。あなたはどうかな――ミスター・サンドマン?」

  * * *

「ですからね、わたしはこういった愛のない映画化などもう沢山なのですよ。話題性のあるセレブをヒロインに当てるついで、主題歌も担当させておけば実入りはあるだろう、などという考えは作家に対する冒涜だ。映画とはそんな安易なものではないはずです」
 我らが後輩のJ.Jがいつぞや、「ファンタスティック・フォー」のリブート版に対して同じようなことを言っていた気がする。いや、それとも「スーサイド・スクワッド」のほうだったか? どちらにせよ、年季の入ったコミックおよびカートゥーンの愛好家である彼なら、力の籠もった主張を披露するこの男性、もとい妖精とも意気投合し、眠気の吹き飛ぶようなひとときを過ごせるかもしれない。実写版トランスフォーマーについて意見が食い違わなければ。
 そう、妖精なのだ。ヨーロッパにルーツを持つサンドマンは映画の精――では当然なく、眠りの精だ。彼らは夜になると人々の目に魔法の砂をかけ、夢の世界へと誘う。もし夜更かししている悪い子がいれば、二度と目が開けられないように目玉をくり抜いてしまう……というわけで、ヨーロッパ諸国にはありふれた、「早く寝ないと○○が来るよ」の一種である。
「そんな映画を見せるぐらいなら、自分が夢を見せたほうがまだマシだろう、という訳だ。なかなかに意欲的だね」
 相変わらず緩慢な調子で進行する物語を、私は視界から外さないようにしつつ、サンドマン氏の熱弁に相槌を打つ。
「まあ気持ちは解るんだけどね。私もごくたまに、『コスプレ同好会のプロモーションビデオのほうがまだマシだぞ』みたいな作品に遭遇することはあるし。――でも、あなたのやり方はちょっと矩を踰えてるんじゃあないかな」
「しかし……」
「そりゃあ、あなたがこの映画や、他のありとあらゆる駄作映画を嫌うのは自由だ。私にだって嫌いな映画ぐらい一本や二本や十本ぐらいはあるし、たぶんこの映画も最後まで観たって好きにはならないだろう。私は、ね」
 劇伴がちょっとだけ盛り上がり、スクリーンに投影された主役たちにフィルターが掛かった。今から何らかのロマンチックな会話でも始まるのだろう。
「だけど、この四番シアターのどこかには、同じ映画を気に入る可能性のある人がいるかもしれない。今回の上映にはいなくても、打ち切りになるまでに入るお客のうちには。あと、最初っからダメな映画と解ってて、そのダメさを確かめにくるようなひねくれた映画好きもいるだろうし」
 言いながら、私の脳裏にはJ.Jとは違う同僚の顔が浮かぶ。箒乗り部隊のチーフを務めるブラザー・ウェンセスラスは、そういうひねくれた映画好きの一人だった。ダメさも含めて好きになれるたちでなければ、あんなに大量のサメ映画など観てはいまい。
「そういう人たちから視聴の機会を奪うというのは、いささか心ないわざだと言えそうだけど。あと、個人の感受性とかは置いといてもまず法律違反だからね。もともと放映されるはずのプログラムに割り込んで、許可なく違うものを見せるって、いわゆる電波ジャックBroadcast signal intrusion……には当たらないのか、映画だから」
 だとすると、現代のニューヨーク州法では一体何の罪に相当するのだろうか――考えかけたがすぐに止めた。映画館に妖精が住み着いて、客に映画ではなく別の夢を見せるなんて事案、どんな判例に照らして裁けばいいのかさっぱりだ。私も魔術師ついでに様々な職を経験してきたが、法曹界に身を置いたことは一度もない。

 私が「法律」の語を持ち出したとたん、サンドマン氏の眉間に苦々しげな皺が寄った。妖精の側からしてみれば、自分たちが人間の法に縛られるのは理解しがたいところなのだろう。
「法律違反ですって? じゃあお聞きしますが、ああいう作品を世に送り出すことは罪にならないんですか?」
「少なくとも現代のニューヨークではね、残念ながら。……まあ、あれが別の方向にひどい作品だったとしたら上映差し止めぐらいにはなるかもだ。ただ、それにしたってこの世から抹殺する権利まではないんだよ。誰かが生み出したものである限りは……」
 スピーカーから流れるオフビートに合わせて、いつの間にか右手の指が手すりをノックしていた。劇伴はなかなか私好みだな、と今になって気付いた。この分では物理的なサウンドトラックが出る望みはなさそうだが、ネット配信ぐらいはされることを願おう。
「……という道理をひととおり説いたところで、あんまり納得してはくれなさそうだな、あなたは」
「大いに」 しかつめらしい顔で妖精が頷いた。
「妖精界にも著作者人格権の概念があることに感心はするけど、こればっかりは看過できないなあ。私は人間で、しかも体制側の魔法使いだから。ただ……」
「ただ?」
 そこで一度スクリーンから目を逸らし、私は妖精に向き直った。色とりどりの反映に照らされた白い顔に。
「あなたにだって意見を述べる権利はある。方法が問題ってだけだ。あなたが自分の『作品』に自信を持っているなら、正当な方法で主張すればいい。こんな騙し討ちじゃなくてね」
 ヨーロッパの雪国というよりも、亜熱帯の蝶の翅を思わす瞳が、暗がりの中でじっと私を見つめ返している。或いはこれこそ彼が見せる夢の色か。私は軽く竦めてから、単刀直入に解決策を提案することにした。
「つまり、あなた自身がエンターテインメントを創始すればいい。ビズを始めるんだよ。今更アメリカン・ドリームなんて言う気はさらさらないけれど」
「わたし自身が? ――興行を持てということですか?」
「不可能じゃないよ。ああ……あなたは妖精で、合衆国市民ではないから、誰か人間の後見を持たなきゃならないけれどね。私以外の」
 これで成り行きから私が興行主になったりするとまずいので、予め断っておく。今の私は魔術師協会の箒乗りであり、ワインレストランの事務であり、副業を増やす余裕はない。
「私は法律家でも起業コンサルタントでもないけれど、頼れそうな人間ぐらいは紹介するさ。言い出しっぺとして」
「誰か心当たりでも?」
「協会に弁護士の知り合いがいてね、……訴えられる側で世話になったことはないよ、もちろん。で、その彼の専門が企業法務と妖精法なんだ」
 あくまで実在する人物についてありのままを述べたところ、サンドマン氏の表情はずいぶんと胡散臭そうだった。
「企業法務と妖精法が同時に専門になるって、どういう弁護士なんです、その人は」
「普通は掛け持ちしない範囲だよなあ、確かに。私も詳しく聞いたことはないけれど、彼のルーツなんかが関係してるのかも。姓がソラリンソンといってね、アイスランド系だよ。あと、ソーサラー時代の研究留学先がゴールウェイ支部だったとか」
「……なるほど?」
 正式に「妖精遺産保護法」が制定されているアイスランドは言うまでもなく、ゴールウェイ支部のあるアイルランドもまた妖精のおとぎ話には事欠かない土地だ。ドイツから来た眠りの精も、そのあたりは理解しているらしい。まあ、ケルトの地にルーツを持っている人間は、みな妖精界に親しみも持っているなどというのは暴論だが。
「では、そのソラリンソン氏ですか、彼に相談を持ちかけてみればと」
「あっちだって仕事だから、正式に依頼となればそれなりの報酬が要るよ。ただ、初回の相談料ぐらいなら……話がそこまで長引かなければ、そう高くはつかないだろう」
 そしてブラザー・レイフ・ソラリンソン(もとい、弁護士としてはレイフ・ソラリンソン・エスクワイア)は、タイムチャージ欲しさにむやみやたらと話を引き伸ばすような悪しき隣人ではない。そもそも時間稼ぎを戦術として使えるほど暇ではなかったはずだ。……ふと不安になってきた。私は本当に彼を引き止めて、妖精の起業相談を頼み込むことができるのだろうか。

「解りました、ではどうぞよろしくお願いします。あ、それまでに名刺か何か、用意したほうがいいでしょうかね」
「名刺ねえ、君わりと形から入るタイプだな」
「いえ、どちらかというと『アメリカン・サイコ』の影響なのですが。一度やってみたかったんですよ、あれ」
「エスクワイアに変な顔されるだろうからやめときなさい」
 2000年公開のサスペンス映画――そういえばこれも原作つきの映像作品だ――に登場する、エリート会社員たちの虚栄心に満ちた名刺交換シーンを思い浮かべながら、私は首を横に振った。大体、「アメリカン・サイコ」を観た眠りの精なんて、夜更かしの子供を脅しつけるにもちょっとオーバーパワーじゃなかろうか。あまりに不条理な理由で目玉をくり抜かれそうではないか。ブラザーも協力を躊躇うかもしれない。
「言っておくけど、実際に引き受けてもらえるかはまた別の話だから、ちゃんと話し合うことだよ。それと、」
 前方では主役とヒロイン、そして三角関係にある(という筋書きだったはずの、ここまで話を追ってきた限りではそこまでこじれていない)男性によって、いわゆるソープオペラ的展開が繰り広げられている。そろそろ佳境か。
「あなたの上映室に客電を入れて、彼らをちゃんと『本編』に引き戻してあげること。ほら、どうもクライマックスが近いようだし」
 私が続けると、夢の映画館の主はやっぱり少し苦い顔をした。が、法律とビジネスチャンスと妖精の魔術師を前にしては、さすがに抗弁を続けようとも思えなかったらしい。
「ええ、眠りの粉の力を解きますよ。彼らがいくらかでも残念がってくれればいいのですが」
「残念がってくれるようなら、あなたには才能があるんだろう。催眠術師じゃなく劇作家としての才能がね。次は正当な方法で、その才を世に問うてくれるよう願うよ」
 リクライニングに背をぴったりと付け、私は軽く息を吐いた。妖精がゆっくりと席を立つ。今度はやむを得ない理由だ。

  * * *

 本日最後の客――正確に言えば、あと十分ほど後に終わる「ハロウィン」の観客が最後だが――を送り出すため、劇場の正面ゲートは大きく押し広げられる。脇を通り過ぎる人々の装いを見れば、秋物のジャケットの中に厚いウールのコートが交じるようになってきた。私はなにしろ着るものに頓着しないので、いつ買ったかも解らないようなモッズコートを春と言わず秋と言わず着ているが、おかげで誰も私のことを魔術師だと思ってくれない。「魔法使いって、もっとおしゃれで豪華なコートを持ってるんじゃないんですか? ほら、マントとかケープとか……」等という質問はもう沢山だ。世界魔術師協会はあまねく一般市民に「ミスター・インクレディブル」を観せ、治安維持活動におけるマント着用の危険性について啓蒙すべきじゃあないだろうか。
 無益な冗談は置いておくとして(「バットマン」シリーズにおけるマントの有用性でもって反論されるのは目に見えている、だろう?)、私は地下鉄の入り口へと向かいながら、サンドマン氏の今後についてを考えた。妖精との口約束は決して軽々しいものではない。弁護士を紹介するなどと言った手前、何がなんでも多忙の身であるブラザー・レイフを捕まえて、現代ニューヨークにおける新たなショウ・ビジネスの創始に手を貸して貰わねばならない。
 もちろん、専門家のアドバイスを受けたからといって、起業が必ずしも上手くいくとは限らない。今日びマンハッタンで成功をつかめる者など、人間でさえほんの一握り。どんなに素晴らしい夢でも、大抵の場合は途中で醒めてしまうものだ――否、今は言わないでおくことにしよう。何にせよ、あのイマジネーション豊かな眠りの精霊がいるべき場所は、グリニッジ・ヴィレッジの小規模シネコンではないはずなのだ。

 三十四丁目駅のホームでコート・スクエア行きの列車を待つ最中、私はふと思い出したように鞄を探り、さっき劇場から頂戴してきたパンフレットの束を取り出した。結局のところ、今日の上映はまともに観たとは言えないのだから、他のところで「標準的な」映画館体験をしておく必要がある。さしあたって何か興味を引かれるプログラムはないかと、来月の上映スケジュールを流し見ていたら、やけに懐かしいタイトルが目に飛び込んでくる。毎月第一土曜日は名作のリバイバル上映デー、十一月は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」。
 口元が綻んだのは、ほとんど不可抗力に近かった。これで決まりだ。たまには堅実な、冒険しない作品選びもいいものだろう(映画自体は紛れもない冒険ものだが)。スクリーンに映し出される黄金の五十年代を、そこまで輝かしくなかった自分自身の五十年代と重ね合わせてみるのも悪くない。それに――
 そうだ、作中でちょうどあの歌も流れるじゃないか。四番シアターの居候へ贈るエールには、これ以上ないような名曲が。

  ミスター・サンドマン、夢の世界へ連れて行ってよ
  今までで一番素敵な 彼の姿を見てみたいの
  薔薇やクローバーみたいに 愛しい唇を彼に
  そして教えてあげてよ 独りの夜はもうお終いだって…

go page top

inserted by FC2 system