ここに来て初めて、あたしは「クリスマスのにおい」というものを理解したかもしれない。

瑣末ならざる歳末 -Gift Idea-

 もちろん日本のデパートやスーパーマーケットに充満した、あのフライドチキンやショートケーキやスモークターキーの匂いも十分魅力的――クリスマス前から嗅ぎすぎて当日にはほとほと嫌気がさしている始末だとしてもだ――とはいえ、今こうして胸いっぱいに吸い込んでいる、暖かく陽気なお祭り騒ぎの香りとは全く違う。
 ザクセン州のクリスマスマーケットといえば、ドイツ国内外でけっこうな知名度を誇っているらしい。中でも「ドイツ最大級」のライプツィヒは、「ドイツ最古」のドレスデンと並び立ち、11月28日の開幕初日からたいへんな賑わいだった。湯気を上げるグリューヴァインの噎せ返るようなスパイス、粉砂糖で雪化粧したシュトーレンの甘さ、ずらりと吊り下げられた星型のレープクーヘンからはショウガの刺激と香ばしさ。赤や緑のキャンドルは、乳香や没薬の粉っぽい匂いを漂わせ、クリスマスかどうかは関係なしに年中売られているカリーヴルストでさえ、ここでは普段の数倍食欲をそそるような気がする。午後6時過ぎの空はすっかり暗く冷え切っているけれど、マルクト広場は色とりどりの電飾に照らされて、最低気温が1℃だという事実も吹き飛ぶように暖かく見える。
 ドイツの人々にとっては、「土日の夕方にスーパーマーケットで嗅ぐ、もはや特別感も何もないような匂い」なんだろう。でも、あたしにはこれが今までに経験したことのない、クリスマスという特別な日をより特別にするための香りに思える。これから一ヶ月、毎日とはいかなくとも一週間に一度のペースで嗅いでいたら、やっぱり慣れてしまうものかもしれないけれど。

 小さな紙袋にみっしり詰め込まれた焼き栗(クリスマスマーケットでは定番の食べ物らしい――あたしにとって焼き栗といえば天津甘栗だから、クリスマスのイメージは全く湧いてこないけど、考えてみれば「祭りのときに夜店で食べるもの」という意味では同じようなものか)を、行儀が悪いと思いつつ歯で剥きながら食べていたときだ。屋台ヒュッテの列から少し離れた、買い物疲れを癒そうとしている人々の群れに、見慣れた後ろ姿が覗いていた。ただでさえ大柄なドイツ人の中でも、わりに背が高くがっしりとした体格。お世辞にも今風とは言えない地味な色のコート。
「ブラザー?」
 口の中に残っていた栗を飲み込み、人混みを抜けてもっと近付いてみる。耐久性と機能性にステータスガン振りしたみたいな、黒くて無骨なナイロン製のビジネスバッグが見える。
「ブラザー・ライムント!」
 あたしが張り上げた声は、雑踏の中でもちゃんと通ってくれたらしい。思っていたのと全く同じ顔がこちらを振り向いて、嘘のない親しみが込められた笑顔を浮かべる。
「リコかね、こんなところで会うとは思っていなかった。いや、夜遊びを咎めようというのではないが、とても奇遇なことだ」 「あたしもすごい偶然だなって思いました、ブラザー。こんばんは、……てっきり帰ったのあたしだけかと。もうみんな終業なんですか」
「本当はもう少し残っているつもりだったが、監察局から注意を受けてしまってな。別棟は今日の終業後に設備点検があるから早く帰ってくれ、と」
 人の良さげな顔(実際に人が良いんだけど)に、ちょっと困ったような色を滲ませながら、あたしの上司であるブラザー・ライムントは穏やかに語る。言われてみれば、別棟ロビーの掲示板にお知らせの紙が貼ってあったかな――と思い返すのも一瞬のこと。長々と引き伸ばすような話題じゃない。
「まあ、うちは万が一火事とかなったらえらいことになりますから仕方ないですね。上がりが早くなったぶん、せっかくだから息抜きしないと」
「うむ。クリスマスを前にして浮かれすぎるのもよくないとはいえ、適度に祭りの空気を楽しむぶんには咎められもするまい。やるべきことは終えてから、だが。……そうだ、やるべきこと、と言えばだな」
 お祝いらしさが一転して、切り出されたのはたぶん仕事の話だ。といって、今日のあたしにやり残してきたことがあるとも思えないし、これから待ち受けている12月恒例のごたごたのことだろう。年末調整とか。

「話だけは聞いていたが、留学期間をもう一年延ばすことに決めたそうだな。帰りがけに人事局から正式な書面を貰ったよ」
 実際あたしの耳に飛び込んできたのは、予想していたほど気が滅入るような話じゃなかった。本当なら来年の3月で終わるはずの、ライプツィヒ支部での研究留学を、魔術師協会の制度を利用して延長したい、という申請のことだ。
「あ、書面、ってことは一応審査はしてもらえることになったんですね」
「そういうことだ。少なくとも君の勤務態度は良好だったし、個人で問題を起こしたこともなかった。留学生としての課題も全てこなしてきた。申請の時点で却下されるはずはないだろう」
「だと良いんですけど。いや、こんなこと言っちゃアレかなと思うんですが、あたしライプツィヒ支部の人事局はいまいち信用できなくて……」
 今いる部署、つまり危険動植物管理課に配属されたころを思い出して、あたしはちょっと苦い気分になる。ブラザーも大分と申し訳なさそうに、
「確かに、本来君は妖精管理研究課に所属して、専門である妖精の魔法について深く学ぶはずだったとのだからな。全く関係のないところへ、手違いによって一年も放り込まれていれば、信頼できないというのも無理はない。だが人事局も、流石にこの件については埋め合わせをしてくれるに違いないと私は思うがね」
 と言ってくる。
「まあ、それは妖精管理研究課のシスター・セレンにも言われましたけど。これでもし予定通りに帰れって言われるようなら、支部を訴えてもいいんじゃないかって……訴訟とか、しかも海外でやるとか面倒にも程がありますけど」
 高校一年生のあたしには、弁護士を立てたり調停をしたりするような財力なんてとても無いし、ブラザー・ライムントに迷惑が掛かるのも嫌だし――なんてことを人事局が見越してやっているとしたら最悪だけど、さすがにそれは有り得ないだろう。ブラザーは神妙な顔で頷いている。
「いざとなったら労働組合の手を借りてでも訴えを起こせばいいと思うが、ならないに越したことはない。上手く行くことを祈っているよ」
「……あるんですね、魔術師協会にも組合って」
「無論あるとも。大抵の企業に労働組合があり、教育機関に学生自治会があるように、世界魔術師協会には監察局と、一般職員による組合があるのだ。……というより、魔術師協会自体が既に魔術師の組合のようなものだが」
「なんか夢もファンタジーもあったもんじゃないですね、魔法使いが結託してスト起こしたり団体交渉やったりしてるってのも……」
 あたしはしみじみ呟いた。もちろん魔術師だってこの社会で働いている以上、労働問題は間違いなく現実なんだけど、一般人からすれば「魔法使い」である時点で世俗のあらゆる恨み辛みから解き放たれたイメージがある。あたしも母方のおじいちゃんとおばあちゃんや、東京支部の人たちと出会うまでは、そんなステレオタイプに囚われていた。誰だって魔法使いには、最低賃金とかサービス残業とか年間休暇日数とかいった世知辛い話とは無縁であってほしいのだ。
「とにかく、だ。問題なく審査を通過して、ビザの延長許可も下りて、滞在が確かなものになれば良いな。予定より長く日本を離れることになると、ご両親や友人たちも心配するかもしれないが――」
 ブラザーは優しい目であたしを見、ちょっと心に染みるようなことを言った。確かに、家族や友達にまた一年会えないというのはけっこう辛かったりする。Skypeだのインスタだのはあっても、直接会うのとは全然別物だし、一緒にカラオケ行きたいとかごはん食べたいとかの欲は満たされない。
「それでも君はもう16歳だ。自分の進む道を自分で決める権利は十分に保障されている。来年こそは妖精管理研究課に行って、君の学びたいことに専念できるよう祈るよ、リコ」
 進路指導の先生みたいな台詞だ。でも、ただ「部下や生徒の面倒を見なければならない」という義務感から言ってるんじゃなく、たぶん本当に心から、あたしの行く先を思いやってくれてるんだろう言葉。あたしはちょっと照れたような居心地悪いような、なんとなく気まずくなって視線を逸らす。というのも、ブラザーが言う希望とあたしの希望は、いくらか食い違っているからだ。

「あの、そのことなんですけど、ブラザー・ライムント」
 焼き栗を一つ、ほとんど丸呑みするように口にしてから、あたしはおっかなびっくり切り出した。
「何かね、リコ。ああ、人事異動に同意する旨のサインなら、もちろん遠慮なく要求してくれて構わな――」
「違うんです、や、来年のことではあるんですけどね。あたしが思ってるのは、もしブラザーさえよければですけど、来年もここで……」
 あたしにしては珍しく、物言いの歯切れが悪いのを気にしたのか、ブラザーはいくらか怪訝な目であたしを見る。
「ここで、……つまりそれは、危険動植物管理課うちで、ということかね?」
「ええと、はい」
 まさかそんなことを言われるとは思わなかった、と顔に書いてある。そりゃそうだろう。あたしだってここ半年の間、「自分はここにいるはずじゃなかった」「いい加減にやるはずだった勉強をしたい」とばかり言い続けてきたのだから。というか、妖精の魔法に身を入れたい思い自体は、別に消えて無くなったわけじゃないんだけれども。
「そういったことは、無論、私としては一向に問題ないのだが。なにしろここは慢性的に人手不足だ、常に居てくれる職員が一人増えるだけでも有難い。それに君は勤勉だしな。だが、一体またどうして……」
「いやあ、それがあたしにとっても正直複雑なところなんですけど」
 言葉にしてみるとますます複雑な気分になってきたので、あたしはなるべく前向きそうな顔になるよう心がけつつ先を続ける。
「なんというか、やっぱり半年とかそれぐらい勤めてると、仕事とかもそれなり解ってきて、ちょっとやり甲斐が出たというか。植物園にしても、自分で世話してると、愛着? みたいなものが湧くじゃないですか。それで来年、じゃあもう関係ないんで後はよろしくって感じで出ていくの、なんか若干あたしの気分じゃないんですよね」
 と喋っているあたしの本来の気分(日本語)はこんな感じだが、実際にブラザー・ライムントに向けているドイツ語は、「手ずから育てた植物に対して愛情が芽生えており、これを中途で手放して離職するのは私の本意ではありません」ぐらいに聞こえているはずなので、「今時の若いもんは敬語もろくに使えない」ということにはならないと思う。いや、東京支部にいたころのあたしはちゃんとした敬語を使っていた(つもりだ)し、ブラザー・ライムントが日本人の喋るドイツ語のニュアンスをとやかく言う人でないのも解ってるんだけど。
「それにほら、ブラザーには支部の仕事以外でも、ごはん奢ってもらったりお土産もらったり、色々お世話になりましたから、そこはきっちり働いて返すしかないかなと。……あ、いや、だからって『嫌だけど目を掛けてもらった以上は仕方ない』みたいな義務感で言ってるわけではないので! 純粋な感謝なので!」
 あわてて付け足したらとたんに言い訳がましくなってしまった。これがいわゆるツンデレの逆か。あたしはいとこの真夜ちゃんと違って、それを具体的にどんな用語で呼べばいいのかという知識はないが。

 ブラザー・ライムントは、いつもより大分落ち着きのないあたしの姿を、困ったような呆れたようなぬるい笑顔で見ていたが、やがて一息つくと話し始めた。
「リコ、それなら私からの答えは一つだ。君がこの課に残ると決めてくれて、若干心苦しくはあるが、とても嬉しく思う。これからも共にやっていこう」
「……っはい、ブラザー、改めてよろしくお願いします!」
 たまらずあたしは声を張り上げ、勢いをつけて頭を下げる。ドイツの流儀でないのは知っているけど、今はとにかくお辞儀をしなきゃいけないという気になったのだ。
「ははは、今更そう恐縮してもらうこともないだろう。お客さんではなく同じ支部の一員なのだからな」
「いや、あたし正直ハァ? みたいな顔されるんじゃないかって思ってたんですもん! ……まあ、でも、決まったからには気合い入れて頑張ります、来年といわず明日から」
 年の瀬の冴え冴えとした空気を吸い込んで、あたしはできる限りのにこやかな顔をした。ブラザーが笑い、よろしく、と頷いた。
「さて、――ずいぶん長く引き止めてしまったな、済まない。君も買い物なり食事なり、まだ沢山やることがあったろう」
 腕時計をちらと確認して、ブラザー・ライムントはあたしに言う。あたしも釣られてポケットからスマホを出し、待ち受け画面のデジタル表示を見た。もうすぐ夜の7時になる。
「別に、ほんとただ寄っただけなんで特に目的とかないんで、平気です。あたしのほうこそすみません、お邪魔しちゃって」
「構わないとも。だが、帰るときには気をつけるんだぞ。この辺りは明るいし人通りも多いが、それでも夜の独り歩きは避けるに越したことはない。これで人と待ち合わせをしていなければ、寮まで送って行くのだが……」
「いやいやいや大丈夫です、待ち合わせとかすっぽかされて気ぃ悪くしない人はいないんで、そっち優先してください。あれですか、ふた手に分かれて別のとこ回って買い物、みたいな感じですか?」
「そんなところだ。いや、私のほうはもう済ませたのだが、今マンフレートが広場の向こう側を、」

 そこで言葉を切った理由を、もちろんあたしは察することができた。そりゃあそうだ。あたしにとって「マンフレート」という、だいたい半世紀ぐらい前に流行りのピークが終わってしまったような名前が、どれほど不快感を与えるものか、ブラザーは当然知っている。いや、ドイツ国内に今も数千人単位でいるだろう他の・・マンフレートさんには悪いが、それは全てあたしの知るたった一人のマンフレートのせいなので、恨むなら奴を恨んで頂きたい。
「……ああ、解りますよ? ブラザーの仰りたいこと解ります。つまり、来年もうちで働くつもりなら、いい加減ちょっとは仲良くしてくれとかいう話ですよね?」
 あたしが先制すると、危険動植物管理課の長(代理)は気まずそうに視線を反らしたものの、すぐにこちらへ向き直った。
「いいや、仲良くしろと言うつもりはないんだ、リコ。世の中にはどうしても好きになれない、親しく付き合うなど考えたくもないという相手がいるものだ。それはおかしな事ではない。私が考えているのはだ、どれほど愛着のある仕事でも、それぐらい嫌いなものと同じ場所でまた一年働くというのが、君にとって苦痛にならないかという……」
 ドイツの奥のほうにある地方都市で、それも片方は120歳ぐらいの年季が入った正真正銘のドイツ人だというのに、あたしたちはまるで日本の冴えない社会人同士みたいな会話をする。あたしとしても、これで相手がブラザー・ライムントでなければ「もういっそあいつさえ出てってくれれば万事解決なんですけどね」と言うところだ。ところが、どういう訳かブラザーと「あのマンフレート」はけっこう親しい友達らしいのでそうも行かない。ここはより日本人らしく、適当に頭を下げながら流してさっさと逃げるかと、あたしが口を開きかけたときだ。

「やあ、随分と待たせてしまった! こちらの買い物はこれで全てだから、後はどこかでプンシュでも――」
 居並ぶ屋台の向こうから、若干大人になりそこなったような男の声がして、あたしたちはほとんど同時にそちらを向いた。比較的人がまばらなところを選んで歩く、黒いコートを着た影が見える。――いや、「コート」というよりは「外套」とでも言えばいいんだろうか、膝ほどの丈があって、ウエストを細めに取ったシルエットで、胸の合わせはダブルで、銀のボタンはしかも左右6個ずつぐらい付いていて(ああいうのって合計6個ぐらいで十分じゃないの?)、襟のあたりには無駄に花なんか飾ってあるタイプの上着だ。たぶん素材は100%ウールかカシミアだし、あたしの給料一月分ぐらいの値段はすると思う。腹が立ってきた。
「――どうしたのだい、二人とも。そんな、『よりにもよって最悪のタイミングで帰ってきたな』というような顔をして。特にリコ」
「理由に心当たりがないなら深く反省すべきだと思うけど」
「自覚がないのに反省したって特に収穫はありそうもないな。……しかし偶然だね。私たち三人の間には何か奇妙な縁があるのか、さもなくば三人ともひどく間が悪い性質なのかのどちらかだろう」
「明らかに後者だと思う」
 後ろにきっちり撫で付けられた金色の髪を、真冬の朝のように冷たい青色をした目を、鬱陶しく見上げながらあたしは言う。
「というか、あんたそれ、その荷物、……何? 電飾?」
 この「TPO」とか「空気を読む」とか「時代考証」等を考えていない格好をした男は、あまつさえ悪目立ちすることに、大きな紙袋を5つぐらい持っていた。いや、正確に言えば手に持ってはいなかった。腰ほどの高さに浮かべていた。「浮遊」の魔法でも使ったんだろう。おかげで行き交う人々が、まずこいつの服がいやに時代がかっているのを二度見し、さらに紙袋の空中浮遊を三度見し、ついでにあたしのことも見ていく、といった様子で物凄く恥ずかしい。
「電飾だとも。そうだね、合計して……ええと、何メートルぐらい買ったのだったかな」
「いや総延長何キロとかいう話は聞いてないんだけど、なんであんたがそんなもん買うの? あんたの家ってこういうクリスマスとか、ハロウィンとか、行事のたびにやかましく発光して隣近所から訴えられる系?」
 紙袋全てに詰まっているものは、黒や透明のコードに小さな電球がいくつも繋がった、つまりイルミネーション用のケーブルだった。最近では日本の個人宅でも見られるようになり、大体はただ近所付き合いと電気代の請求に悪影響があるだけで終わるタイプのやつだ。
「よもや、私のアパルトメントなど飾ったところで仕方がないだろう。我々にとって、こうした綺羅びやかな装飾を施すべき場所といえば、それは一つしかないと思わないかい、リコ」
 よりにもよって「我々」という大きい主語まで使い始めた。この男が、つまり危険動植物管理課で一番の危険動植物、マンフレート・アルノーが「我々」と言うなら、それが指すものは自ずと判る。あたしたち3人だ。なにしろ危険動植物管理課に所属する職員は3人しかいない。
「……まさか、植物園を? 飾るの? イルミネーション?」
「大当たりさ」
 口の端をほんの少し上げただけの、服装以上に貴族ぶった笑みがこちらを向く。理由もなくちょっと得意げに鼻を鳴らすんじゃない。こいつときたら、本当に心の底から認めたくはないんだけれど、間違いなく美形ではあるので本当に気に障る。「イケメン」でも「男前」でもなく「美形」が、それも1世紀前のヨーロッパ貴族みたいな格好をした美形が、だいたい20cmぐらい上から薄笑いを浮かべつつ鼻を鳴らしてくるという状況に居合わせて、気分がよくなる人間がいるとしたらそいつはたぶんMっ気があるか少女漫画にかぶれすぎている。

「あのさ、……言いたいことはいくつかあるんだけど、まずあたしたちの仕事ってのは、その植物園に植わってる植物を管理することなわけじゃん。水やりしたり、剪定したり、色々の手入れ」
「そうだね」
「で、あんたの考えてるイルミネーションってのが、植物にそのLED的なコードを巻いたりとかして飾り付けするやつでしょ? ちょうど今、そこらの街路樹がクリスマスツリーっぽくライトアップされてるみたいな」
「その通りだとも」
 あたしの言葉に相槌を打つたび、顎先に軽く手を添えて頷く仕草がまた絶妙に腹立たしい。完全に自分の「一番美しく見える角度」みたいなものを理解している顔だ。そりゃあ、あたしだって自撮りだのインスタだのをやる関係から、その手のことをあれこれ研究する身ではあるけれど、こいつの一挙一動からはどうも「自然すぎるわざとらしさ」みたいなものが拭えない。
「それってさ、どう考えても邪魔だよね。絶対に作業効率落ちるよね。あたし知ってるもんそういうのは時間と人手と予算を持て余してるタイプの部署がすることだって」
 とりあえず第一の反対理由を言い切ってはみたものの、お澄まし顔のマーニお坊ちゃんは特にコメントも寄越さず、ただあたしの顔を見て小首を傾げている。「どうぞ続けてくれまえ」とでも言わんばかりに。
「で、それにもちょっと関係するんだけど、あたしたちの部署って別に予算が有り余ってるわけじゃないでしょ。電飾にかかる電気代どうすんのさ。あたし解ってんだからねドイツの電気代がすごい高いうえにまだ値上がりしてるってこと。思うんだけど、ドイツ人がやたら省エネにうるさいのって、環境保護に対する意識がどうこうっていうより単に光熱費の負担が半端ないからだよね。……それはともかく、」
「まだ続くのかい?」
「次が一番大事なことなの。――イルミネーションって、そもそも誰かに見せるのが目的じゃん。じゃあ聞くけど、一体あたしたち以外の誰がわざわざ、あの植物園を見にくるわけ?」

 こればっかりは本当にツッコまざるを得ない要点だった。イルミネーションを飾り付ける側の人間は、結局最初の数日ぐらいで見飽きてしまうに違いない(毎日配置を変えたりするわけでもないだろうから)。ああいった電飾は、毎日通り掛かりの違う人たちが見てくれる、そして我が家を凄いと思ってくれる(であろう)という優越感で成り立っているところが大きい。いや、優越感を覚えることが目的ではないものもあるけれど(日本でいうとルミナリエみたいに、チャリティ用に募金を募ったり災害の慰霊だったりする所)、少なくともこいつの頭にそんな考えはないだろう。
「ね、来ないでしょ? 誰一人。そもそも一般公開されてないし。一応申し込みすれば見学できるらしいけど、あたしが四月にここに来てからそんなの片手で数えるぐらいしか無かったし。他に来る人っていったら、自前で大きな植物園を持ってないよその支部の人とか、中毒事件の参考のために植物を見にくる保健所や警察の人だけど、そんな人たちはイルミネーションになんか用がないわけだし。後はせいぜい、貴重な植物を盗みにくる泥棒ぐらいじゃないの?」
 むしろ窃盗(未遂)目的が一番多かったような気がする、とあたしが口にしかけたときだ。あたしは見た。どうしようもなく人を小馬鹿にしたようだったマーニの瞳が、やにわに明るく輝いたのを。その言葉を待っていた、よくぞ言ってくれました、そう叫んでいるような目だった。
「それだよ、リコ」
 目が見せる表情とは裏腹に、声の調子は相変わらず気取ったままで、そいつは一つ頷いた。あたしは電飾に対して批判しかしていなかったつもりだけど、一体何にそこまで満足したんだろう。
「……泥棒?」
「そうとも。私は何も、無目的に自分の蒐集室を飾り付けて喜んだりなどはしないさ。そう――君の言う通り、我々の植物園では極めて希少な、あるいは高値で取引されるような植物も多く栽培されている。決して許可なく敷地から出すことが許されないような。ところが、『そこにある』ということは別に隠匿されていない、広く市民に知れ渡っているわけだ。不逞の輩が狙いをつけるのも無理はない」
 恥ずべきことだけれどね、とマーニは言い、そこであたしたちの注目を促すように、片手の人差し指をぴんと立てた。あたしは敢えてそちらを見ずに、ブラザー・ライムントのほうへ視線を向けた。案の定、頭を抱えていた。
「そこで私は考えたのだよ。元より植物園の防犯は急務だ。ならば来年を迎えるにあたって、さしあたり取れそうな対策は何かと」
「それがイルミネーション? 正直、『こんなところに無駄な金を掛けられるぐらい予算が有り余っています』っていう、余計に泥棒を集めそうな主張にしかならないと思うけど」
「まあ最後まで聞きたまえ、結論を急がずに。良いかいリコ、私が施そうとしているのはただの電飾ではない」
「どんな電飾よ」
 あたしの怪訝さは最高潮だ。こいつは大体いつもろくなことを考えていないし、口に出すこともいちいちすっとんきょうだけど、今回はどんな奇怪なことを思いついたというのか。あたしたちは黙って次の言葉を待った。存分にこけにしてやろうという心の準備をしながら。

「まず、庭園の諸所にごく一般的な電飾を施す」
「さっきただの電飾じゃないって言ったばっかりだよね」
「次に、許可なき立ち入りが禁じられている区画にのみ、いわゆる赤外線センサーと同等の効果を持つ感知魔術を施す」
「うん、……うん?」
「その感知魔術に我々以外の魔力が反応した場合、電飾の光量が一斉に増大し、侵入者の目を眩ませるよう『灯り』の付呪を行う」
「待って待って」
 話がどんどん想定外の方向に逸れ始めたので、あたしは「存分にこけにしてやる」という心構えを忘れて割り込んだ。何が想定外って、聞く限りではわりとまっとうに防犯を考えているのが想定外だ。
「どうかしたかい、リコ。質問はできれば説明が終わってからにして貰いたいのだけれどな」
「いや、いやえっと……つまりあんたが言いたいのは、よくあるセンサーライトの大規模版ってこと? 普通のイルミネーションみたいな見た目の?」
「端的に言えばそうなるね。光量は、そうだな、科学技術的な単位に直して2万ルーメン程度を想定している」
「2万、ルーメン、ってどれぐらい」
「一般的な自動車のハイビームが最大で5000ルーメン程度、と言えば解るかな。2万ルーメンなら、適切な指向性を持たせた上で照射すれば、真夜中の路地を真昼にできる」
 思わず殴りたくなるようなドヤ顔でマーニは言い、鼻にかかった微かな笑い声を漏らした。うざい。

 発案者が生理的に受け付けないレベルでいけ好かないのはともかくとして、このアイデア自体は――まあ、考えてみれば妥当なのかもしれない。肝心の発光部分を魔法で代用するなら、電力もそこまで掛からないだろうし、その代わりに使う魔力だって、「灯り」の付呪ぐらい大したことはない。実際にその光のトラップが発動する瞬間だけは、ちょっと消費量が跳ね上がるのかもしれないけれど。
 いや、何か騙されているような気もする。こんな時にはブラザー・ライムントだ。さっき既に頭を抱えていたブラザーは、あたしの視線に気付くと深く溜息をついて、
「私は、その、正直に言うと反対だったんだがな……」
 と弱々しく呟いた。それならもっと強く反対してほしかった。なにしろ彼はあたしの上司で、つまりマーニにとっても上司だ。課長が駄目だと言えばこんな案は即座にお蔵入りだっただろうに。
「あなたのお手を煩わせる気はありませんよ、ブラザー・ライムント。こういったことは自分一人で黙々とやるほうが性に合っているのでね」
「ブラザーは『自分はやりたくない』じゃなくて、『お前にはやらせたくない』って考えてるんだと思うけど」
「おや、どうして? 芸術的分野とその探求は、私にとって博物学の次に向いていると自覚しているのだけれど。確かに絵心だけは無いよ、私には。しかし既存のものを美しく飾り付けるという点においては幾らか心得がある。安心したまえ」
 こんなに安心できない宣言もなかった。マーニの「既存のものを美しく飾り付ける」能力なんて――確かに危険動植物管理課の執務室は、壁一面に昆虫や植物の標本やらよくわからない絵やらが展示してあるし、ありとあらゆる棚に動物の剥製だの収集箱だのが収まっているけれど、あれが「美しい飾り付け」かと言われると微妙だ。だいぶホラーのほうに寄せてある気がする。
「もちろん全体的なコンセプトも決めてあるのだよ。門扉から所定の順路を辿っていくと、ドイツ植物学の歴史を視覚的に学べる形にしようと思っていて」
「あんたはオリンピック開会式の演出家か何かなの?」
 表情は相変わらずのいけ好かない薄笑いながら、胸の高鳴りみたいなものが隠しきれていない声で、芸術家気取りの男は淀みなく語った。一体いつそんな内容を考えていたんだろう。真面目に考えてこうなったんだろうか。いくらあたしたちの課がいわゆる「窓際」で、他の部署から暇人の集まりだと見なされているとはいえ、実際にはそこまで暇を持て余しちゃいない。他に頭を悩ませるべきことは山ほどあるというのに。
「ちなみに付帯要素として、感知魔術に引っかかった者にのみ大音量のクリスマスソングが聞こえるような仕掛けも考えてあるのだよ。ひたすら耳元で『もみの木』だとか、『きよしこの夜』や『ジングルベル』などが流れる中、尚も窃盗行為に及ぼうという者はそう多くないだろうからね」
 あたしとブラザー・ライムントが呆れ返っているのに気付かないのか、それとも気付いていながら気にかけるつもりがないだけなのか、マーニは一層ずれたことを言い出した。大音量で鳴らすならただのサイレンとかブザー音でいいものを、「せっかくなのでクリスマスらしさは追求したい」という無駄なこだわりが見える。
「そこまでする意味は全然解んないけどさ、とりあえずそれを実現するためには、幻惑魔法のスキルとかがある程度要るんじゃないの? あんた特に使えたっけ?」
「いや、生憎と私の専門ではないからね、そこは得手とする知人に助力を頼むつもりさ。例えば――ブラザー・ユリウスとか」
「そのような理由で呼びつけられたと知ったら、流石のブラザーも君の面子を粉砕しに掛かるのではないかね、物理的に」
「物理的に」
 ブラザー・ライムントの口から不穏にすぎる単語が飛び出し、あたしは思わず復唱してしまった。脳裏に浮かぶのは、数ヶ月前に初めて会ったばかりの、ベルリン支部に勤める魔女狩人の姿だ。見た目にはこちらと同い年ぐらいの、マーニよりはずっと小柄な男の子が、このすかした金髪男からマウントポジションを取って叩きのめす様を勝手に想像し、あたしは少し胸がすっとした。
「ああ、その……彼が私の鼻っ柱を物理的にへし折った話はまた今度にしてくれるかい。せっかくの降臨節アドヴェントに回想するようなことではないから」
 そうしたら、あたしの勝手な想像どころか、現実に一度起きたらしいことが本人の口から漏らされた。一体マーニとブラザー・ユリウスの間に何があったんだろう。喧嘩でもしたのか。いや、お互いただ口論がエスカレートしたぐらいで手を出すような人間には見えないし、よっぽどの何かが――まさか、今でも十分に人畜有害なこいつは昔、完全に「悪い魔法使い」だったとでも言うんだろうか?

「とにかく、そういった計画立案については滞りなく進んだので、後は実行に移すだけだ。少なくとも照明部分は問題なく実現可能だからね、クリスマス当日までを楽しみにしてくれたまえ」
 不都合な真実っぽいものから目を背けるように、マーニは再び破壊的イルミネーションの話に戻った。「少なくとも」とか言ってるあたり、クリスマスソング攻撃もいずれ何とかして実装してみせる、という要らん意欲が感じられる。さっき物理的に痛い目を見たとかいう経験に触れておきながら、懲りるつもりは全くないらしい。
「……本当にやる気なの? 電飾はもう買っちゃってるからともかく、その、マジで流す気? 歌とか?」
「流す気だ。ブラザー・ユリウスは無理だとしても、何処かしらに――私の有する好事家的な人脈のうちには、誰か一人ぐらい協力を仰げる相手がいるはずだからね」
「はあ」
「それに――否、解ったよ、君たちが何故そんなにも気乗りしないのかという理由が」
 振る舞いからしてろくな友達に恵まれていそうもない(ブラザー・ライムントは本当に例外中の例外なのだと思う)奴は、何故か自信満々に断言し、さらに見当違いなことまで話し始めた。
「はあ?」
「楽曲の選定に関して、だろう? なるほど選曲は重要だ。かつ、公共の場所で流すにあたっては、様々な権利上の問題が生じるからね。いち窃盗犯の脳内を公共の場所に数えていいのかはさておき」
「……はあ?」
「心配は無用だよ。我が国の著作権法に基づいて、死後70年を経過した作曲家の作品……まあ殆ど賛美歌や民謡だから考えるまでもないのだけれど、利用にあたって承諾の要らないものだけを使うから。音源にしても、要するに自分で歌って録音すればいいだけだ」
 何を言ってるんだろうこいつは。あたしたちが計画に反対する理由が、「クリスマスソングの著作権を侵害する可能性があるから」だと本気で思ってるんだろうか。しかも自分で歌って録音するって正気だろうか。あたしにしてみれば世界一聴きたくない「歌ってみた」だ。ブラザー・ライムントも渋い顔をしている。

「あの、ブラザー・ライムント、……こいつ、歌えるんですか? 公共の場所で流せる程度に?」
 眉間に皺寄せて友人の奇行を眺めるブラザーに、あたしは声を潜めてそう尋ねる。音響兵器としては上手いより音痴なほうが良いのか、と気付いたのは口に出してからだった。
「マンフレートは……うむ、私の記憶にある限り、人並み以上ではあったと思うのだが……」
 同じようにトーンを落として返ってきた答えは、いまいちはっきりしないものだった。一方、槍玉に挙がった男はあたしたちのやり取りを耳聡く聞き取り、グレードアップした上から目線でこう言うのだ。
「歌えるのか、だって? さっきも話したろう。絵心がないことを除けば、私の芸術にまつわる心得は十分だと。小さい時分には教会の少年聖歌隊でソリストも務めていたのだよ。自惚れるつもりはないのだけれどね」
 誰がどう聞いても自惚れ全開の台詞を吐きながら、いやに格好つけたポーズまで取りやがる。おまけにこいつは、あたしたちの苦々しい表情を見て何を勘違いしたのか、
「ふむ、ではいっそ、ここで一曲披露して差し上げようじゃあないか。そうすればリコ、君にもその懸念が杞憂であることが解るだろう」
 と言いさえしたのである。
「え、いや、要らないし。あたしの疑問はそこじゃないっていうか聞きたくないし。あんたの歌なんかクリスマスに一番聴きたくないものの一つだし」
「懸念云々より前にだなマンフレート、ここは公衆の面前だからな、往来の妨げにならないためにも一旦……」
 常識人のブラザー・ライムントも、正論でもってあたしと同じくリサイタルを止めにかかる。が、マーニは聞く耳を一切持たなかった。多分こいつの耳には、自分に都合の悪い言葉は聞こえないようになっているんだろう。
「では何にしようかな、やはり定番として『おお、歓ばしき日O du froliche』あたりが良いか。型通りすぎる気もするけれどね。"おお、歓ばしき日、祝福されし日よ! 聖誕の時は来たれり、神の恩寵によって"――」
「要らないから! 要らないって言ってんじゃんちょっと黙ってこっち来いすっとんきょう!」

 あたしとブラザーがとうとう力に訴え、時代錯誤な勘違い男を雑踏から引き離そうとする間にも、行き交う人々が次々にこちらを見、怪訝な顔をしたり面白がったりしているのが解る。これだから嫌だったんだ。その上、本当に心の底から認めたくはないんだけれども、歌自体は上手かった。コートの下なんかどうせまたタキシードか何かだろうし、堂々と立って歌っていれば、それこそクリスマスマーケットの催しの一つとして、自然に受け入れられそうな雰囲気があった――絶対に口に出して褒めてやる気はないけれども。
 やっとのことで会場から少し距離を取った、そのとき不意にブラザー・ライムントと目が合った。その目は口ほどに、「来年も恐らくこんな調子だが本当に良かったのか」と言っていた。あたしはもう一度、自分にできる限りの笑顔を作って頷いた。頷いてはみたものの、彼への恩や感謝を忘れて正直なところを言うなら、どうもちょっと早まってしまったんじゃないかと思う。

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