<親戚間の温度差について>

 チーズ蒸しパンを冷凍すると濃厚なチーズケーキっぽくなる、という些細なハックを試すには相応しい日だった。ノートパソコンの横にコーヒーと皿を用意し、冷凍庫から取り出した馴染み深いパンをうやうやしく乗せる。
 が、一口目で得た「これはそれっぽいかも」という手応えも、ものの十五分もしないうちに失われ、最終的にはただの蒸しパンに戻っていた。ネットのレシピなんてそんなものだとも言えるし、わたしの部屋が暑すぎるだけだとも言える。太陽は雲に隠れているのに、どうしてこんなに暑いんだ? 日本に住んでいる限り、わたしが夏を好きになることはない気がする。
 額の汗を拭いながら、画面上に現れた通知アイコンをチェック。ドイツのなんとかいう都市(少なくともベルリンとフランクフルトではない)に留学している、いとこの理子ちゃんからSkype着信だった。あっちは確か朝のはず――と調べてみたら8時15分だそうだ。おいおい家を出る時間じゃないのか、と思ってすぐに気が付いた。今日は日曜日だ。

「おはようー、だっけ、そっちは」
『うん、さっき起きたとこ。あー、だからカメラつけたくないんだけど良いよね』
「いいよいいよ、別に喋らなくてもいいよ」
 よかった、という可愛らしい声が返ってくる。今年で16歳になる理子ちゃんは、遥々ドイツまで魔法の勉強をしに行ったのだった。いや、何か色々と手違いがあって、毎日のように庭仕事やらでかいヘビの世話やらをさせられている、という愚痴は毎晩のように聞くけれど、でもそれはそれで楽しそうだ。――なんて言ったら無言でインスタをブロックされたので、それからは触れないことにしている。ブロックは三日後に解除されていた。
『真夜ちゃんは? 仕事中じゃなかった?』
「ううん、今はちょうどおやつ食べて、それで色々ネットとか見て……あ、理子ちゃんのインスタまだチェックしてなかった」
『そんな、義務的に見てもらうもんでもないんだけど』
 いやでも気になるし、と確認する彼女のアカウントは、美味しそうなごはんやきれいな花や、そこまで美味しそうでもないごはん等の写真で埋まっている。一昨日あたり見たカフェハウスのケーキは本当に芸術作品みたいだった。赤いベリーとカスタードのタルト。ドイツ語でなんというのかも書いてあったけれど、それは忘れた。
 けれども今日、トップに表示されているこの写真はなんだ。彼女の自撮りだ――白と紺色の二色使いが涼し気なカットソー。ゆったりしたシルエットがスキニーパンツとよく合っている。場所はどこか昼間の公園らしき場所。それは別にいいとして、スマホと逆の手に彼女が一体何を持って写っているか。
 よくある小型のデジタル時計だ。時刻のほかに日付と曜日、そして気温も表示されている。「15.4℃」。

 15.4℃、は?
 たった? それだけ?

「あのさ、理子ちゃんこの一番上のやつね」
『写真?』
「そう。これどこで撮ったの? 外だよね?」
『職場。休みだったけど本読みに行きたくて、それでついでに花とか色々撮ったついでのやつ』
 事も無げに語る彼女の声は、わたしに突然室温を思い出させた。東京は朝から曇り。最高気温は35℃。絶望的な気分になった。これが日本とヨーロッパの違いなのだ。
「……いま、ドイツって冬だっけ?」
『オーストラリアじゃないんだからさ』 短い笑い声。 『今はちゃんと18℃あるよ』
 なにが「ちゃんと」なのか解らない。それは七月の気温じゃない。北海道だって20℃は超えてるはずだ。わたしはタオルに手を伸ばし、また汗を拭った。我が家のクーラーは故障中なのだ。こんな環境で作業効率が上がるはずもない。
『それより、真夜ちゃんのほうこそ』
 イヤホン越しのいとこは話題を変えようとしていた。そりゃあ、いつまでもドイツの気温の話なんかしてたってつまらないだろう。
『原稿終わったの?』
「聞かないでください」
『今週末って言ってたじゃん、締め切り。夏休みの宿題と違って、先延ばしにしてると色々まずいんじゃないっけ、社会的に』
「いや社会的にまずくなるほどの原稿ではないんだけど」
 仕上げなければ生きていけない、というわけではない。社会的にというほどではないが、多少信用は失うかもしれない。高校時代から続く文芸サークルの機関誌だから、落としても最悪何かの力が働いてなんとかなる。――とはいえ、仮にも物書きの端くれとして、文章を完成させないというのはやはりプライドに関わる。
「ねえ理子ちゃん、なんかネタないかなあ」
『あたしの提供できるネタとか、ドイツと危険動植物しかないんですけど』
「いや、しかないってことは無いよ十分だよ。それか、――このクソ暑い中で創作活動に打ち込むいとこのお姉ちゃんのために、燃料を投下してはもらえないでしょうか」
『創作意欲を燃やせそうなものも持ってないけど』
「あるよ、ほら、こないだの打ち上げだかの写真にいた、あの金髪オールバックの美青年の画像はほかに無いんでしょうか」
『あーごめん、あいつの姿があたしの端末内部に存在するってこと自体が耐えきれなくって』

 消したのか。――消したんだろうな。いとこは職場で目の覚めるような、いや目が眩むような、なんだっていいけれど、とにかくこの世のものとは思えないぐらいの美青年と半日一緒に働いているらしい。青い目に白い肌の、映画俳優を通り越して妖精かなんかだと錯覚しそうなイケメンだ。なんて羨ましい、と言ったらまたインスタのアカウントをブロックされたので、これも最近は言わないようにしている。そのときは解除までに一週間かかった。
『むしろあたしのほうが燃料欲しいぐらいなんだけどさ、真夜ちゃん』
「なに? 何か送ってほしいものある?」
『色々と恋しい。日本のものが。今日だって朝から味噌汁じゃなくて冷たいハムとチーズしか食べるものがない。日本食がほしい』
 げんなりしたような声色に、ちょっとだけ同情の気持ちが芽生えた。夏は涼しくて快適かもしれないけれど、その夏を彩る日本の風物詩がないのは確かに寂しいものだろう。

 わたしはそこでふと思いつき、手元のチーズ蒸しパンをスマホで撮影、すぐに彼女に送信した。数分の間を置いて通信が切れ、インスタのアカウントはブロックされた。
 テキストエディタの白い画面に意識を戻しながら、わたしは新しい学びを得る。彼女の職場や同僚の美青年について何らかの賛辞を送ることと、素朴な飯テロは同じぐらい罪深いことらしい。今度は解除までにどれだけ掛かるだろうか。一週間以内にはなんとかなると思うが。

(お題:暑い小説家 必須要素:パン)


<色気のない朝に>

 まったくドイツ式の朝ごはんというのは良く言ってシンプルでヘルシー、悪く言えば寒々しくて味気ないもの、温かいメニューがこれっぽっちも存在しない。さすがに現代なので、イタリア風のカフェに行くなりすれば、ちゃんと熱いスープや卵料理も食べられるけれど、伝統的ドイツ人の朝食はパンとハムとチーズと果物ぐらい。もちろんパンはふわふわの白い丸パンじゃなく、ぎっしり詰まった酸っぱい黒パンだ。ごはんと味噌汁で生きてきた日本人にはなお辛い。

 その日、あたしは朝の七時ぎりぎりに目を覚まし、真っ青になりながら全力ダッシュで危険動植物管理課に出勤することになった。もちろん炊きたてのごはんと味噌汁は無しだ。ドイツ人の朝は早い。始業時間は七時半。支部の敷地内にある寮に住んでいなければ、間違いなく遅刻をかましていたことになる。
 同じ管理課の大人たちは、水やりなんかのために植物園へ出払っていた。あたしは事務仕事をしたり執務室の掃除をしたりしながら、第一の休憩時間を待つ。10時30分のベルが鳴ったところで、一度手を止めて小さな冷蔵庫を開ける。そこに朝食や間食のための食べ物はだいたい揃っているのだが、もちろんこれも黒パンとか、レバーペーストとか、そういったものばかりだ。茶色い。
 いくら夏だからって、一日中冷たいものしか食べていないんじゃ元気になった気がしない。夏バテまっしぐらだ。それでも文句は言えないので、黒パンを広げ、バターとレバーペーストを塗り(バターの白がやたらと眩しく見える)、齧りつこうとしたところで電話が鳴った。この部屋にはあたししかいないので、あたしが出るしかない。

「もしもし?」
 ドイツ語で電話をすることには慣れている。おじいちゃん相手によくやっていたし、今だって毎日のように応対をさせられているからだ。ところが受話器の向こうから聞こえてきた男の人の声は、明らかにドイツ語じゃなかった。
『Алло?』
「はっ、あの、はい? ハロー?」
『Это Дмитрий Иванович из Санкт-Петербурга. Можно Брат Оберсторц,』
「ええと、もしもし? あー、その、ドイツ語をお話しになれますかケネン・ズィー・ドイチェ・シュプレヒェン?」
 あたしに喋れるのはドイツ語と英語と日本語だけだ。なんだって開口一番こんな訳の解らない言葉が出てくるんだ。せめて挨拶ぐらいドイツ語でしてほしい。いや、その後すぐ未知の言語に移られたら結局わけが解らなくなるんだけど――

 その時、後ろから革手袋を嵌めた手がさっと伸びてきて、あたしの手から受話器を取り上げた。あたしが何か言う間もなかった。
「Алё, Кто это?」
 あたしは視線だけをそっと上げた。金髪オールバックの、明らかに現代の職場に出勤してくる格好をしていない男が、さっき聞いた未知の言語と同じ響きで応答していた。ついさっきまで結婚式場に居ました、みたいな服装だ。胸に赤いケシの花のコサージュまで挿している。
「Да, Я Манфред. Слушаю вас, брат, ...Он ушёл, Вы можете перезвонить позже?」
 すらすらと淀み無く、生まれたときから知っている言葉のようにそいつは答える。あたしが唯一聞き取れたのは「マンフレート」という単語だけだ。マンフレート。こいつ自身の名前である。
「Понятно. До свидания, брат」
 最後にそうとだけ言って、クラシック・パーティー帰りめいた男は受話器を元に戻した。知らない言葉なのに、それが嫌に気取って勿体つけた挨拶だということだけは解った気がした。


「……えっと、何? 誰だったの? 知り合い?」
 言いたいことは山ほどあったけれど、とりあえず一番の疑問をあたしは口に出した。まさか電話口でデタラメ言ってただけとは思えない。電話回線のあちらとこちらで会話は成立しているようだった。
「この間、新しい植物標本を持ってきてくれたブラザー・ドミトリーだよ……サンクトペテルブルク支部の」
「サンクト、は?」
「サンクトペテルブルク。ロシアの都市さ」
 涼しい顔をしてそいつは答えた。さも当然のようにロシアなんて言うけれど、あたしにとってはまずライプツィヒ支部との間に繋がりがあったこと自体初耳だ。
「あんた、……ロシア語なんか喋れたの」
「できるとも、フランス語と英語とロシア語、あと――ポーランド語も多少なら」
「ポーランド語?」
 あたしはますます訳が解らない。ポーランドの人には失礼かもしれないけれど、このすかしたドイツ人は一体どうしてポーランド語を身に着けたんだ? ポーランド語ができることに対して何かしらの魅力でも感じたんだろうか?
「まあ、ロシア語ほどには上達しなかったけれどね。そうだ、そのブラザー・ドミトリーだ。先日来たついでに美味しいイクラを持ってきてくれたのだよ」
「イクラ!?」
「冷蔵庫に入っていなかったかい? 君も食べたまえよ、リコ。パンに乗せてもとても合うと思うよ」

 目を輝かせるなら今しかなかった。こいつの言葉にこれほど喜んだ経験なんて一度もない、――イクラだって! イクラといったらあのイクラだろう。そういえば確かにイクラはロシア語だと聞いたことがある。
 あたしは喜び勇んで冷蔵庫を開け、ひとしきり見回したけれど、どこにもそれらしきものは見当たらなかった。後ろから「それ、その背の高い緑の蓋の瓶だよ」という声がする。緑の蓋のついた瓶は一つしか無かった。中には茶色い、野菜か何かを細かく刻んだペーストのようなものが入っていた。
「ナスのイクラだよ。自家製なのだって。私も少し貰おうかな、パンとバターはまだ残っていたよね?」

 話によると「イクラ」は、ロシア語で「魚の卵」のほかに、「野菜を刻んで煮込んでペーストにした料理」という意味があるらしい。あたしは改めて、この男の言葉は何一つあたしを喜ばせはしないのだという現実を思い知らされた。その上さらに悔しいことに、ナスのイクラはおいしかった。

(お題:茶色い朝飯 必須要素:ロシア語)


<吐き気がするほどの美で>

「ああ、知っているよ、それについてはもう解決済みじゃあないか」
 分厚いペーパーバックの小説本――タイトルから察するにミステリかサスペンスと思しい――からアイスブルーの目を逸らすことなく、金髪の青年は素っ気ない調子で言った。
「スイセンだろう? デュッセルドルフ支部からもう報告が上がっていたよ、……ねえ、リコ」
「なにか」
 そして返答する少女の声色もまた、青年に負けず劣らず冷たいものであった。肩口で切り揃えた髪も、大きな瞳も黒一色の、明らかに東洋人であるところの少女はいかにも不機嫌そうだった――彼女も読書に集中していたい口なのだった。手にしているのは大判の魔導書だ。
「一体全体どうして君たち日本人は、しょっちゅうニラと間違えてスイセンの葉を食べるのだい? あの独特の香りもなければ、口にしたときの食感だって違うだろうに」
「そんなことあたしに言われても困るんだけど」
 青年は唇に僅かな笑みを浮かべ、声色には微かに呆れが滲んでいた。対する少女の語調はつっけんどんで、あたかもこう言っているようだった――日本人がみんなスイセンとニラの区別がつかないと思ってもらっちゃ困る。

 事の起こりは数分前であった。世界魔術師協会ライプツィヒ支部、危険動植物管理課の課長代理である中年の魔術師が、彼らの携わる分野に関連の深いニュースを持ち込んだ。デュッセルドルフ――といえばドイツ全土でもとりわけ在住日本人の多い都市として知られる――で食中毒の事案が発生したというのである。とある日本人の一家が、「ニラと卵のスープ」を作って食べたところ、全員が嘔吐や頭痛等の症状を訴え病院に搬送されたと。
 ところが、在室していた日本人の少女とドイツ人の青年からは、何一つ芳しい応えなど返ってこなかった。彼らにとってみれば、この手の事件など有り触れたものであったらしい。
「大体さあ、日本の学校とか一般家庭とかってやたらスイセン育てすぎなんだって。なんでニラと一緒に育てるのかあたしは知らないけど。たぶん、自分の庭で取れたものはみんな自然で無害で安心だって思い込んでるんだと思うよ」
 くたびれた魔導書のページを、白い指でめくりながら少女は言う。一方、青年はといえば片手でペーパーバックを器用に繰りながら、手元も見ずにもう片手をコーヒーのカップに伸ばす。正確そのものの動きで白磁のカップを捉え、口元へと運ぶ。

「現代の人々は何かにつけ、人工物と比べれば自然物は優しくおおらかなものだと信じたがるからね。その結果がこれさ。――ともかく、ブラザー・ライムント、その件は我々ライプツィヒ支部の管轄ではないのですし、大げさに取り上げることもないと思いますよ。寧ろ、スイセンによる皮膚炎の事例こそ私は知りたいところでね」
「皮膚炎だって?」
「そう。春の庭仕事に励むガーデナーたちが、原因不明の皮膚のただれや湿疹に悩まされ、調べてみれば原因がスイセンだったと」
 形の良い金色の眉を上げ、青年は己の上司――親友でもあるが、少なくともこの場では表面的に上司と部下として振る舞っている――にそう述べた。
「そういった事例は……聞いたことはないが。口にしたときだけが問題ではないのかね?」
「それが違うのですよ。汁が付着しただけでも皮膚炎は起こすことがある……考えてみれば確かに不思議な話ですね」
 色の薄い唇が、その端をゆっくりと上げて笑みの形を作る。感情のあまり篭っていない、ただ「私は今愉快な気持ちなので笑っています」と説明するような微笑だった。
「スイセンといえば、何を隠そう美少年ナルキッソスの化身の花だというのに。その花が齎す害が皮膚炎だなんて、まるでこの世に美しいものは自分以外必要ない、とでも言わんばかりではありませんか」
「迷惑な話だって、本当に」 少女が吐き捨てるように言った。
「そりゃあね、神話の美少年はゲロ吐かないかもしれないけどさ、現実には人が死ぬんだよ」

(お題:ありきたりなアレ 必須要素:ゲロ)


<日独を震撼させない程度の会話>

 デスクトップ上に現れた通知アイコンは、ドイツに留学中のいとこからの定時連絡だ。あちらは今頃昼休み。日本は夜の八時過ぎ。現代とは素晴らしいもので、わざわざ高い通話料を払わなくとも、Skypeひとつで顔を見ながら喋ることができる。
『もしもし真夜ちゃん? お疲れさまー』
「理子ちゃんもお疲れ。ってもそっちはまだ午後が残ってるのか」
『つーか午後が本番。午前中はあたし、せいぜい部屋の掃除とか事務仕事ぐらいしかしてないもん』
 Webカム越しに見えるのは、黒髪をさっぱりボブカットにした女の子の姿。今年16になる理子ちゃんは、会うたびごとにおしゃれになっていくような子だったけれど、今や立派にお化粧をして、耳にはピアスの穴なんか空けている。海外留学が絶好の機会だったらしい。

「お昼食べた? ――いや、今そこに見えてるのがお昼?」
 画面の端あたりにはみ出している、紙か発泡スチロールらしき白い深皿を見てわたしは訊く。
『うん、パスタ。近くのお店からテイクアウト』
「あ、奇遇。わたしも晩御飯パスタだったんだ、言ってもただの冷凍のカルボナーラだけど」
 何気なくわたしが言ったとたん、理子ちゃんはいかにも羨ましそうな溜息をついてカメラを覗き込んできた。
『いいなあ、日本のパスタ。ドイツにもそういうのが売ってりゃいいのに』
「でも、理子ちゃんのは冷凍じゃなくて作りたてのやつなわけでしょ」
『あのさ真夜ちゃん、言っとくけどドイツのイタリア料理屋のパスタってぜんぜん美味しくないよ。どう考えても茹ですぎだしソースの塩気ぜんぜん足りないし、そのくせ量だけはやたら多いし』
「え、マジで? なんで?」
『だってそういう店って、別にイタリア人がやってるわけじゃないもん。ドネルケバブ屋は本物のトルコ人とかがやってるから美味しいけど』
「そうなの?」
『そうなの』
「ヨーロッパなのに?」
『ヨーロッパなのに!』

 うんざりしたような理子ちゃんの顔は、日々の食事でどれほど苦労しているかを如実に物語っていた。いや、彼女はよくある「ドイツ料理は不味い」とか「日本食こそ至高」みたいな考え方の持ち主ではないけれど(この間もインスタに実に美味しそうな、なんとかいう――名前は忘れたけれど、とにかく正に本場というような豚肉の煮込み料理の写真を上げていた)、そんな彼女が言うからこそ真実味があるとも言える。
「日本から送ってあげようか? 冷凍食品……は無理でも、パスタソースとか」
『受け取る側が免許持ってないと、税関通らないんだよ、食品は』
「あー、そうなんだ……」
『EUはなんかそのへん厳しいんだって。仕方ないから、どうしても美味しいパスタってなったら自分で茹でるんだけど』
 でもこの暑い中麺茹でるなんてイヤなんだよね、と理子ちゃんは言うけれど、ドイツの夏がどれほど涼しいものか先日知ってしまったわたしには、さほどの同情心は湧いてこなかった。東京は今日も真夏日なのに、あちらはせいぜい21℃かそこらなのだ。

『そういやさ、話は全然変わるんだけど』
「なに?」
『珍しいの。今日、こっち地震があったんだよ』
「え、うそ、大丈夫だったの?」
 わたしは慌てて言う。ヨーロッパにはほとんど地震がないものだと思っていた。いや、それでもたまにニュースになっているけれど、ドイツでというのは覚えがない。
『うん、全然平気。というか、あたし気が付かなくってさ。周りの人がいま揺れた、絶対揺れた、って言うんだけど、もう全く』
「あー、震度1とか2とかそのへんだったのか」
『多分そうだと思う。それでさ、聞いてよ、前に言ってたあの、名前を呼ぶのもウザいあのあいつがさ、「君はずいぶんと物事に動じない子なのだね」とか言うんだよ! 要するにそれ「お前鈍すぎんだろ」ってことだよね!』
「いやあ……それは別にその、気にしすぎじゃ」
『絶対そういう意味だったと思う。あ、なんか思い出したら腹立ってきたからこのパスタ投げつけてやりに行こうか』
「いやいやいやいや」
『でも本当……そういや、そっちはどんな感じ? 雨とか酷いって聞くけど、地震は?』
「地震は多分ないかな――」

 わたしはそこでふと思い立ち、twitterに「地震」と打ち込み検索をかけてみる。
 結果、
「……なんかついさっき揺れたみたい、関東」
『マジで?』
「本当に」
 互いに沈黙する。気まずいようないたたまれないような空気。
『……あたしたちってさ、日本人だね』
「本当にね……」
 年がら年中どこかが揺れている島国に生まれた、この身のなんと「鈍い」ことか。
 わたしは曖昧に微笑みながら、別の話題をなんとか考えた。パスタに文句を言っているほうが、まだいくらか幸せな夜を過ごせる気はした。

(お題:鈍いガールズ 必須要素:パスタ)

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