<好事家たちの真摯な模索>

「ねえ、ライニ」 低くトーンの落とされた声が、終業間際の執務室に響いた。
「少し相談をしたいのだけれど、この後で時間はあるかい?」
 歳の離れた友の面構えが、普段の澄まし顔からあまりにかけ離れた深刻さだったので、これは何か重大な打ち明け話でもされるのか知れないと、私は一瞬身構えた。が、結局のところは何の心配も要らなかった。呼ばれて出向いた彼の自室で、差し出されたのは大きな木の標本箱だったからだ。

 それは内側に大小の仕切りが入れられ、上にはガラスの蓋がついた、古びてはいるがありふれた形のものだった。中には薄緑色をしたウニの殻や、小さなアリを封じ込めた琥珀――恐らくは人工のもの――、永久プレパラートに挟まれた蝶の翅などが収められているが、いくらか空きもある。
「相談というのは、これのことなのだよ」
 そして彼が箱の隣に置いたのは、握り拳ほどもある赤みがかった結晶の群体だった。直方体がいくつも寄り集まった、推測するに岩塩である。
「私は君の美的感覚を頼んで尋ねるのだよ。だから真剣に考えてほしいのだけれど、この標本を箱の空いたところに入れるなら、一体どこが良いと思う?」
 アイスブルーの目が真っ直ぐに私を見据えている。どうしてまたこの青年は、自らの蒐集をどう飾り付けるかということについて、同じ蒐集家でもなければ芸術家でもない私に助けを求めているのだろう? 確かに私も若い時分は、捕虫網を振り回して蝶や蛾の採集をしていたこともあったが、それは今となっては遠い過去の話である。具体的には一世紀前だ。

「……私が言わせて貰うとするなら、まず貝殻や蛾やドライフラワーの隣に岩塩が収まる標本箱、というのが既に奇妙なのだがな、マンフレート。前から思ってはいたことだが、君の蒐集と展示はいささか混沌としすぎていやしないか。本来、標本というものは種の分類などに――」
 出された紅茶を飲みながら、私は思ったままを口に出したのだが、とたん彼の金色をした眉は心外だとばかり跳ね上がった。誰に何を言われても眦ひとつ動かさない普段とは対照的だ。
「おや、君はとうにそんなこと解っていたと思ったのだけれどね。そりゃあ、危険動植物管理課で所蔵する標本なら、君の言うとおり生物学的に秩序だてて保管もするさ。だけど、今ここにあるのは学術的な資料じゃあない。私のコレクションで、私の作品なんだ。そこは譲るつもりはないよ」
「だとすると、私に助言を求めるのはそもそも間違っていたのではないか」
「いいや、そうは思わない」
 彼は火傷の痕が残る手で、標本箱の蓋をそっと撫で、空いたひとつの区画を指さした。
「この空間に一体何を入れ、それが全体の中でどのような役目を果たすか、それを考えるのがどんなに楽しいか、それは君だってよく知っているはずだろう。私と君は芸術家ではないか知れないけれど、同じように美しいものが大好きじゃあないか。新しい傑作を作り上げるために、知恵を出し合うことはできるはずだよ」
 そして、もう片方の手で岩塩の結晶を取り上げると、蓋の上から未だ定まらない空間にそっと宛てがった。
「確かに私は、私の兄さんのように絵描き、それも想像の世界を描く画家ではないよ。何もないところに一から何かを生み出すことは難しい。でも、既にある形や色を少しだけ借りくれば、彼と似たようなことはできるかもしれない――まして、そこに君の助力があれば」

 私は黙って彼の言葉を聞き、未完成の傑作に視線を落とした。かつてこの世界で生きていた、様々な美しいものたちの一部が、整然として並んでいる。彼らには既に魂はないが、人の手によって新たに意味を吹き込まれるときがあるなら、それが今なのだろう。あるいは元から魂など持たなかった結晶でさえ、生命を得ることができる――
「……そのツチハンミョウの隣はどうかね、マンフレート」
 提案を聞いた白い頬に、ぱっと赤味が差した。どうやら合格のようだ。

(お題:今度の傑作 必須要素:岩塩)


<会食する姉妹と壁の花と給仕>

 蝶番の立てる僅かな金属音で、分厚いガラスケースの戸が開かれたと知る。
「ダーリア、ゲオルギーナ」
 甘く柔らかな青年の声が鼓膜を打つ。 「さあ、お行儀よくしたまえ、食事の時間だよ」
 地上へと通じる梯子段にぴったり背中をつけたまま、少女は不承不承顔を上げた。好き好んで見たいものではないが、一度は確認しておく必要がある。昨日この危険動植物管理課に到着したばかりの、これから一ヶ月の間管理しなければならない生き物を。

 ケースの中には土と太い木の枝、大きな石などが配置され、南国の森林めいた光景が再現されていた。その枝葉の上から身体を起こしたのは、鮮やかなオレンジ色のヘビだった。一口にオレンジと言っても、赤紫や朱色に近い部分からより明るい色合いの部分まで、そのグラデーションは夕焼け空の如く見事そのもの、毛羽立つような鱗といい金色の眼といい、現実に存在する生き物というよりは、ドラゴンの幼子といった印象すら受ける。
 そして、その棲家のすぐ傍で相対しているのは、アイスブルーの瞳と金の撫で付け髪が印象的な青年――否、印象的というならその時代倒錯したフロックコートなり、襟のボタンホールに留められた赤紫色のブートニエールなり、視覚に訴える部分だけでも他に山ほどあるが、とにかく一人の若い男だった。見た目に「危険動植物管理課」などという場所で働くヘビの飼育係には思えない。たとえ肘まで覆う革手袋を嵌めていたとしても。

 青年は手に金属の棒を握っている。正確にはただの棒ではなく、先端の部分が二股に分かれ、小さなものを挟んで保持できるようになった餌やり用の器具である。そして今、そこに餌として掲げられているのは白いネズミだった――むろん生きたままの。
「ダーリア、こちらを向きたまえ。……そう、くれぐれも私の鼻を食べ物と間違えないでおくれよ。ほら、これが君の分だ」
 じたばたと手足を藻掻く生贄が、目の前に差し出された瞬間、ヘビは大きく顎を開いて飛び掛かった。色素の薄いネズミの頭をがっちりと咥え、鋭い牙を突き立てる。自前の武器である神経毒を注ぎ込んでいるのだ。最初のうち抵抗を見せていたネズミも、程なくしてぐったりと動かなくなる。生まれ持った麻酔薬の効き目は実に迅速。あとは頭から丸呑みにするばかりである。

「よろしい、実に良いマナーだ」
 青年は平穏そのものの、不自然なまでに整った微笑を唇に浮かべて頷いた。口角をほんの僅か上げただけの、「自分は今上機嫌です」と説明するような表情だった。
「君は淑女だ。よく躾がなっている。さて、君のほうはどうだろう、ゲオルギーナ?」
 あたかも貴族の子女を教育する礼儀作法の講師といった様子で――しかし実際は毒ヘビの給餌を、青年は日常動作かのようにこなす。少女はこの光景に堪え切れなくなり、やっとのことで口を開いた。
「ねえ、それ、メスなの?」
「なんだか前にもそんなことを聞かれたような気がするね、リコ。そうだよ、彼女たちはメスだ、メスのヘアリーブッシュバイパーだ……姉妹なのだよ」
 ダーリアとゲオルギーナ。一体どうしてそんな名が付いているのか知らないが、響きだけならなるほど、何処かヨーロッパの名家からしばらく預かることになった、可愛らしい姉妹であると思えなくもない。だが現実はこれだ。間違いなくヘビである。
 少女は溜息をつきながら、もう片方の「彼女」が早く食事を終えてくれるよう願った。ネズミが可哀想だともヘビが怖いとも思わないが、青年の態度は気に食わないのだ。

(お題:どこかの姉妹 必須要素:ご飯)


<生めよ殖やせよ地に満てよ(管理可能な範囲で)>

「正気!?」
 少女は叫んだ。いけ好かない金髪の同僚が、「ドクダミを栽培する」などと言い出したからだ。
「なんであんなもんわざわざ栽培するの? あんなもん管理できると思ってんの? そもそも毒じゃないじゃん!」
 世界魔術師協会ライプツィヒ支部、生物管理部危険動植物管理課。その名のとおり人間にとって危険な生物を広範囲にわたって収集し研究する部署である。彼らが管理する植物園はとりわけ悪名高く、「悪魔の花園」なる別名で呼ばれるほどだった。園内には猛毒を持つもの、鋭い棘があるもの、麻薬となるもの等、ありとあらゆる手段で人間に危害を加える植物が勢揃いしている。
 だが、そこにドクダミ。――確かにドクダミは人間にとって厄介者と言える。なにしろ連中はよく殖える。とにかく殖える。たかが根っこ一本を埋めておくだけで、たちまちのうちに地面を覆い尽くし養分を奪い取る。少女はまだ日本にいた時分、母方の祖父母の家に遊びに行くたび、庭の手入れを手伝わされた記憶を思い起こす。ドクダミの始末は大変な苦労だ。ほんの僅かに根が残っているだけでも再生する。引っこ抜いてきた葉は乾燥され、翌週にはお茶となって出されるのだが、これがまた子供の舌には耐え難い風味で、しばしば祖母とドクダミを恨んだものだった。

「おや、それを管理するのが我々の仕事じゃあないか、リコ。あの白い十字の花はとても愛らしいし、庭園のよいアクセントになると思うよ」
 対して、その同僚の青年は普段通りの穏やかな、口角を僅かに上げただけの笑みを浮かべて、日本人的感覚からは思いもよらないことを言った。「愛らしい」。――あんな雑草魂の最たるものみたいな、質の悪い植物をそう形容するとは一体どうしたことか。日本から来た留学生の少女は顔をしかめた。
「それに、君は『毒じゃない』と言うけれど、大きな間違いだ。ドクダミには毒があるよ」
「嘘でしょ?」 少女がその貴族めかした表情を睨み付ける。 「じゃあなんでお茶にするのさ」
「確かにドクダミは薬効を持つ植物だ。だが同時に光毒性といって、日光に反応して皮膚炎を起こす成分も含んでいる。過剰に摂取した後で太陽光を浴びると、肌にシミができたり爛れたりすることがあるのだよ」
「光毒性?」
 少女は復唱した。 「……なんか、あれだ、グレープフルーツとかみたいな?」
「良く知っているね。そう、柑橘類は多かれ少なかれ同様の成分を持っている。とりわけベルガモットあたりは有名かな。ほかに植物でいうとセントジョンズワートあたりもそうだ。――考えてみれば不思議だな」
 形の良い金色の眉を少しばかり上げ、青年が「不思議そうな」表情を作る。いかにも作り物じみたその所作に、少女はますます不愉快さを露わにした。「何が?」

「例えば――セントジョンズワートはその名の通り『聖ヨハネの草』だ。彼の首から滴った血が落ちたところに生えたというので、聖なるハーブとして愛用されてきた。ドクダミも花が十字架の形をしているものだから、『聖職者の草』と呼ばれたりするね。どちらも神聖なものと見なされてきたわけだよ、昔から」
「それが?」
「にも関わらず、どうだろう、それらの植物を日来から用いている人間は、時としてあの清らかな陽の光によって傷められ、苦しめられることになるわけだ。あたかも悪魔か吸血鬼のように」
 青年がアイスブルーの目を細め、小さく笑い声を漏らした。
「あたし思うんだけど」 少女は苛立たしげな声音で呟く。
「あんたってなんでいちいち、そういう昔ながらの知恵みたいなものに嫌味っぽい話を付け加えたがんの? いい話とかが嫌いなの?」
「まさか。私はごく平穏な信仰の持ち主だよ、かなり敬虔なほうだと自負しているさ」
「ああそう」
 舌打ちしながら少女は続けた。 「で? 信仰の対象が毒のある植物なんでしょ?」
 優雅な微笑と、穏やかな沈黙だけが返された。
(お題:地獄の雑草)


<網の錬金術師>

「私の知人に一人、面白い男がいてね」
 昼下がりの執務室で、金髪の青年はそう切り出した。唐突な話題だったので、場にいる他の二人――世界魔術師協会ライプツィヒ支部は危険動植物管理課の全構成員――はめいめいに怪訝な顔をした。
「彼はデュッセルドルフ支部の生物管理部に居るのだけれど、私と同じように蒐集家でね。専門は蜘蛛だ。それで、飼っている蜘蛛に様々の魔法薬を与えて、どのような巣を張るかについて研究している」
「あらゆる意味で趣味の悪い人だわ」
 食後のコーヒーを飲んでいた、黒髪の少女が呟いた。 「さすがあんたの知り合い」
「おや、それはどういう意味だいリコ。確かに私は一般的な観点に照らして、些か風変わりなところのある趣味人だけれどね。まあ、彼の研究に多少の倫理的難点があるのは頷ける。日ごとあれこれ混交物を変えては、コガネグモやらアシナガグモに網を作らせて――何を与えればより美しい、あるいは強靭な糸を吐くようになるか。蜘蛛にコーヒーを与えると、酔っ払ってまともな形の巣を作れなくなることは知られているが、彼の場合は生物学的興味というよりむしろ芸術的なそれらしい」
「それで、その彼がどうしたというのだね」
 もう一人の同席者、これは見た目にとても人の良さそうな、ゆえに個性的な同僚たちに囲まれて苦労していそうな顔立ちの中年男性で、この課の長であった。
「彼がこのほど、ウィザードへの昇進試験を受けると言い出したのですよ、ブラザー・ライムント。お前より先に出世してやるからいまに見ていろとね。私にしてみれば、彼が私より早くウィザードに上がろうが、別に何の感情を揺さぶられもしないのだけれど、とにかく彼は本気のようで」
「そうだな、君を動揺させたければ出世頭になるよりも、オーストラリアにしか棲まない獰猛な毒蛇の標本を手に入れたとでも言うほうがよほど効果的だろう。……見込みはあるのかね? ソーサラーの時と違って論文を書かなければならないはずだが」
「彼は自らの錬金術的知識を活かし、蜘蛛に思いのままの網を編ませるにはどうすればよいか、という方法論をまとめ上げるつもりだとか。体系的に整った、それこそ蜘蛛の巣のごとき精密さで、――無論、彼の言によればですがね」
「実際のところ、彼は研究者としてどれほどの成果を?」

 そこで青年はふとアイスブルーの目を細め、口角をほんの僅かに上げた。それは一見して気品のある、19世紀の貴族の肖像画めかした優雅なものだったが、中には愉悦と意地の悪さが存分に込められていた。
「ここからが肝心なのですがね、ブラザー。彼の蜘蛛たちは実に美しい巣を張る、それは確かです。写真をいくつも見せて貰ったことがあるけれども、まあ正に芸術家という姿だった、……ただし、それは断じて彼の魔法薬の力ではない」
「どういうこと?」 少女が口を挟む。
「彼の錬金術の腕前は、同僚たちによれば悲惨なものらしくてね、物質を混交するにはするが、その魔術的な特性を引き出すことはてんで出来ていないそうだ。にも関わらず、蜘蛛たちがそれほどまでに華やかな活躍を見せるということは……」
「まさか、」 男性が目を見張った。 「蜘蛛が錬金術を?」
「私はそう考えています」
 堪え切れなくなったのか、青年は人形じみた端正な笑みを僅かに歪め、くすくすと声を漏らした。
「蜘蛛というのは賢いですからね。ハエトリグモなどを見れば判るとおり、狩りのためにめぐらす策略などは天才的だ。彼らが生きるため、そしてより優れた生活を手にするために、与えられる動植物から秘めたる特性を盗み出していたとしても不思議はない」
「いや、あたしは不思議だと思うけど」
 さすがにありそうもない話だと思ったのか、少女は顔をしかめて反論した。が、彼女の態度は青年の愉快な気分を消し去るには至らなかった。
「しかし、そうなるとだな、マンフレート。仮に彼のまとめた論文が素晴らしいものになったとして、ウィザードの位階は……」
「ほぼ間違いなく、彼の蜘蛛たちに与えられることになるでしょう」
 青年は満足気に頷いた。
「そうなったら思う存分に祝福しますよ、ひとりの好事家として愛をこめて。そして思う存分悔しがってやってもいい、――錬金術を操るクモを飼っているだなんて、ああどこまでも妬ましい! とでもね」

(お題:未熟な錬金術 必須要素:受験)

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