飛行機は飛行するFlug機械Zeugであるから飛行機Flugzeugである。それはまた自力で飛ぶものсамолётでもある。

翼の名付け親 -Naming Rights-

 かように人間のネーミングセンスは単純明快であるが、これを美点とするか難点とするかは意見の分かれるところである。エルフはしばしばこの単簡さを、人間種の不信心や非文化的さの表れだといって軽蔑する。しかし、人間が信心と文化的さをこじらせた結果が、聖なる水撒き器Holy Water Sprinklerという名の棍棒だと考えると、芸術的ひねりも良し悪しだ。道具の名前は単簡で結構――ところが、これを大衆に流通する一般名詞ではなく、個人が有する唯一無二の品に移すと、また話は違ってくるのだった。
「でも、そんな大事なことを決めるのに、相談するのがわたしで良いのかしら。もっと言葉をよく知っている人は、ここにもたくさんいると思うのだけど……」
 エリーが困惑と共に答えたのは、その日の昼下がりのことだった。いよいよ日の目を見ることとなった新型飛行機の命名にあたり、ひとつエルフの芸術的観点から助言をもらいたいと、若い機械技師の娘に頼まれたのだ。が、エルフの芸術的観点などと言われたところで、彼女には自分が人間より優れた感性の持ち主であるという自覚は一切ない。おまけに機械に関する知識もない。世間一般に見られる飛行機や飛行船のたぐいが、どういった基準で命名されているのかについて、彼女はてんで不勉強だったのである。  そんなエリーの主張はまるきり無視して、機械技師の娘は一方的に約束を取り付けた。夕食を済ませたら、その飛行機が置かれている格納庫に集まって、ひたすらに案を練ろうというのだ。意見を出し合うにしたって何故室内のラウンジではなく、わざわざ格納庫でなければ駄目なのかと彼女は思ったが、どうも正式なお披露目までは固く秘しておきたいというのが製作者の思いらしい。こんな小規模な共同体で秘密も何もないものだが。
 ともあれ、こうして構成員二名の命名委員会は結成されてしまった。決まったからにはエリーも腹をくくって、夕食の片付けを終えると身支度をし、二人分の暖かなお茶と菓子を用意して、技師の娘が所有する格納庫へと向かったのだった。凍えるほど寒くはないが、肌に触れる空気はしっとりと冷たい秋の夜半である。

 重たい鎧戸を上げてみると、そこには黒く塗られた新造のプロペラ機が、差し込んできた月光を艶やかに照り返していた。単座で単葉、正面には二門の機関銃を備えている。横腹には「АР」と白抜きされており、これは機械技師の娘が製作した機体すべてに共通している。娘のイニシャルだ――大公国の文字で表記するところの、アンナ・ロマノヴナАнна Романовнаの頭文字である。
「きれいな飛行機ね、……これは、ええと、大きいの? 小さいの?」
「今マデニ設計シタ中デハ小型ナホウデスネ」
 素人そのものの問いかけに、技師の娘は機体を見上げながら答えた。今夜は普段と違って、飛行士がよく身に着けるような革の帽子を被っている。左手で高く掲げたランプが、燐火のような青白い灯りをゆらゆらと投げ掛けていた。
 このランプもまた娘の製作物であった。エリーが説明を求めた際には、エーテルがどうのソコロフ式霊気供給管がどうの、訳の解らない単語をずらりと並べられたため、動作原理について理解することは諦めざるをえなかった。
「トイッテモ、現在主流ノ戦闘機ト比較シテ小サスギルコトハアリマセン。実ニ平均的、ッテ所デス。個人的ニハカナリノ自信作デスノデ、是非トモ素敵ナ名前ヲ付ケテヤラナクチャアナリマセン!」
「う、うん、そうね、名前はとても大事だものね……」
 娘が拳を握って決意を新たにする傍ら、エリーは曖昧に微笑みながら頷くばかりだった。そんな大役を自分に任せたことで、後々に何か問題が起こりやしないかと、彼女は気が気でなかったのである。

「マズ前提トシテデスガ、ワタシハ基本的ニ機体ノ名前ヲ鳥類カラ取リマス。今ノ『麗しの白鳥リエーヴィチ号』ガ良イ例デスネ」
「鳥の名前ね。……でも、わたしは大公国の言葉は全然知らないわよ。その鳥をアンナちゃんから見てどう呼ぶのか解らないから、あんまり役には立てないんじゃないかしら」
「ソノヘンハ問題ナシ! 大事ナノハ発想デスカラネ、後デワタシガ訳スレバ良イコトデス」
 手近な木箱に腰掛けた娘は、やたら力強く言い切った。
「ダカラ遠慮ナク、エリー姉サマノ案ヲドンドン出シテイッテクダサイネ! 手ッ取リ早クナニカ一ツ――」
「手っ取り早くって、ええと、じゃあ真っ黒な飛行機だから、カラスはどう?」
 対するエリーは、鳥類に関する知識についても自信があるとは言えなかったため、話を振られても咄嗟に答えかねた。やっとひねり出したのが、黒い鳥として非常に一般的な名前だ。これを聞いた娘の反応は、はたしてポジティブなものではなかった。
ヴァローナハ駄目デスヨ、オ姉サマ! ダッテ鴉トイッタラ、方舟カラ放タレテ任務ヲ果タセナカッタ鳥ジャアナイデスカ!」
「えっ、ああ……そういえばそうね、確かに。カラスは陸地を見つけられなかったのよね」
 創世神話も数多あるが、帝国で主に語られている伝承では、カラスはあまり良く書かれていない。大洪水が収まった後、再び定住できる地を探すために飛ばされたカラスは、結局は水が乾くのを待って右往左往するばかりだったのだ。
「それじゃあ、無事に仕事を果たしたハト……は、戦闘機の名前にするのは駄目かしら……」
 ならばと伝承の続きに発想を求めたエリーだったが、すぐさま口ごもった。ハトといえば押しも押されもせぬ平和のシンボルである。これから敵機を撃ち落とそうという気概のものに授ける名ではないように思われる。
「イヤ、マア別ニ構イヤシナイト思ウンデスヨ? 大公国モ帝国モ軍用伝書鳩グライ使ッテルワケデスシ。タダ、ソウイウ訳デ戦闘機ヨリハ、ドッチカト言ウト偵察機ナンカニ付ケルイメージガ」
「そうよね、あんまり勇敢に戦う感じはしないわね。じゃあカラスとハトは無しで、もう少し強そうな鳥を考えてみましょうか」
 ほんの一つ二つの案で決まるとは、元より彼女たちも思っていなかった。命名会議はまだこれからだ。

 暫しの思案を経て、エリーが思い当たったのは猛禽である。
「黒っぽくて強い鳥っていったら、ワシじゃないかしら。いや、これはちょっと安直すぎて、もうあるかもしれないけど」
「アァ……ソウデスネ、既ニアルカドウカジャナク、黒イ鷲ハ大公国ノ国章デスカラ、ワタシガ勝手ニ使ッチャア問題ガアルカモシレマセンネ」
 残念そうな響きを交えて、北国の強い訛がそう答えた。帝国の北東に位置するその大国は、間違いなく娘の出身地であったが、国軍の兵士でもない一個人がその紋章を背負うのは、流石に不敬がすぎるといったところだろう。
「じゃあ、タカ……もやっぱりありそうだから、そうだ、ハヤブサ! スマートで速く飛べていいんじゃない?」
 金属のカップに注がれたお茶を一口啜ってから、彼女は続けざまに案を出す。
サブサーンモ実ハアルンデスヨ……トイウヨリ、ワタシガ前ニ作ッタ機ノ一ツデス」
「あれ、そうなの? でもわたし、一度も」
「命名直後ノエンジンテストデ事故リマシテ、ソノマンマオ蔵入リデスネ……」
「ああ……」
 結果はまたも却下。どうやら相当に縁起の悪い名であったようだ。鳥のハヤブサに罪はないのであるが、その事情では第二号を生み出すにも時期尚早と言える。機械技師の娘は惜しむような溜息をつき、釣られてエリーも肩を落とした。やはり自分では、新鋭機が冠するに相応しい名前など引き出せないのではないか。そんな思いが彼女の心に沸き起こる。だが、ここで投げ出してしまっては、眼前の娘の希望に水を差してしまうだろう。そのほうが彼女にとっては心苦しいことだった。
「ううん、強さだけを考えても駄目かもしれない。もっと遠くまで飛ぶとか、姿形がかっこいいとか、そういう面から見たほうがいいのかも」
 そう考え直し、更に頭をひねる。彼女が見たことのある鳥、直には見なくとも物語や図鑑の中で描かれた鳥を、次々に思い浮かべてゆく。飛行機であるから飛べない鳥の名はいけない、飛べるといってもあまり小さすぎるものはまた困る、そうして篩いにかけていった結果、ある名前が記憶の海できらりと光った。

「カモメ! カモメはどうかしら。遠くまで渡りをするし、鼻がよくて魚を捕るのも上手よ」
 エリーは声を上げ、技師もぽんと手を打った。
チャイカ! 良イデスネソレ、響キモ可愛クテ、デモ少シ硬クテシュットシテ……オーケイ、ソレハ名案リストノ中ニ入レテオキマショウ。他ニ何モ案ガナケレバ決定デス。タダ、モウ少シ考エル余地ハアリマスヨネ」
「もちろん。あ、ただカモメって全然黒くない、というよりほとんど白い鳥だけど、それは大丈夫かしら」
「色ハコノ際気ニシナイコトニシマショウ。プロトタイプ、ッテ奴デスカラネ、後デイクラデモ塗リ直シマスヨ」
 懸念は娘が軽く流した。どうも黒くなければならない訳ではないらしい。それはそれで勿体無いなとエリーは思ったが、製作者が言うのだから問題はないのだろう。
「でも、水辺に住む鳥は他にもいろいろいけそうよね。カモメがいるんだから……例えば、ツルとか」
「アー、ジュラーヴリクハ大公国ノ戦闘機ニアッタンジャナイカシラ……」
「あらら、残念。すらっとしてて綺麗だものね。それなら――シルエットが似てて羽根がきれいな、シラサギは?」
 これは彼女にとって個人的名案だった。単に好きな鳥だというのもあるが、大きな純白の翼とすらりとした立ち姿は、女性の乗る飛行機にはぴったりだと考えたのである。どこかの国の紋章に使われているという話も聞かない。これならカモメに続いてリスト入りも可能だろうと思われた。ところが、
「白鷺ハ何処ゾノ帝国軍人ガ自分ノポンコツに付ケタ名前ダカラ駄目デス」
 間髪を容れず、娘が低く荒んだ声で切り返してきたものだから、この案はたちまち行き場をなくしてしまった。
「そ、そうだったの、なんだかその……ごめんなさい……」
 エリーは弱々しく謝罪し、美しい水鳥の絵面を心のうちに収めた。娘のいう帝国軍人とは、この寄り合いに住む飛行機乗りの一人で、双生児ふたごの兄弟のうち兄のほうを指している。娘と同様に飛行機の製作も手がけているが、設計思想には大きく相反するところがあり、故に常日頃から口論が絶えないのだ。彼らが普段繰り広げる論争を詳しく記述すると、それだけで分厚い論説集がシリーズ刊行できてしまう。そんな相手の機体の愛称を、まさか自分の新発明に引用するわけにはいかないという訳である。

「でも、知らなかったわ。少尉殿の飛行機ってそんな名前だったのね。ええと……」
白鷺号ズィルバーライアー! 帝国人ノ命名センスノ無サノ最タルモノダト思イマセン? ナーニガ白鷺デスカ、腹ノ中身ハ真ッ黒ノ癖シテ!」
 娘の口からは息をするように悪態が飛び出し、エリーはたじたじとなって口元を引き攣らせた。
「大体、白鷺ナンテ言ウトイカニモ清楚デ綺麗ナ感ジガシマスケド、実際ハ街中ノドブ池ミタイナ所ニダッテ降リテクルンデスカラネ! 本人ハ格好ツケテルツモリナノカモ知レマセンケド!」
 乗り手の悪口に鳥そのものへの悪口も混ざり始めている気がして、聞いている側は冷や汗を流すばかりであったが、そこでふと彼女は思いついた。命名についてである。
「だから、じゃないかしら。少尉殿がシラサギを選んだ理由」
「エ?」
「アイヒェンドルフ少尉は……つまり、弟さんのほうがここに来たのはご病気の療養のためだけど、お兄さんのほうは違うでしょう。こんなこと言っちゃあ失礼だけど、帝国軍にいる間、自分の意見を誰からも聞き入れてもらえなくて、それで嫌になって出てきたんだったはずよ。わたし、それが関係してると思うの」
 エリーの言葉に、見当もつかないとばかり技師が首を傾げる。
「さっきアンナちゃんが言ったとおり、シラサギは澄んだ水のあるところじゃなくて、わりときたない川や池なんかにもいるでしょう。それと同じで、どんなに周りが汚れて濁っていたとしても、自分だけは真っ白な、気高い姿のままでいようって思いで、新しい飛行機にシラサギの名前を付けたんじゃないかしら」
「……」
「いや、直接聞いてみたわけじゃないから、本人がどう思ってらっしゃるのかは解らないけどね? でも、少尉殿ってご自分にも他人にも厳しい人だから、そう考えててもおかしくはないかな、って……」
 言葉尻はどんどん頼りなくなっていった。娘はそれらの考察を黙って聞いていたが、ややあってから大きく息を吐き、
「トニカク! オ姉サマニハ悪イデスケド、ソレダケハ御免デス! 何カ別ノヤツニシマショウ!」
 と断言した。こうまで言い切られては仕方がない。エリーも別の案をまた考え直すことに決め、頭にコウノトリだのヨタカだのといった名前を思い浮かべだ。

 その時だ。格納庫の中の空気が揺らぐのを、エリーはその耳に感じ取った。確かに鎧戸は開けたままだが、風はそう強くなかったはず――と考えたのも一瞬のこと。
「キャア!?」
 と娘の小さな悲鳴が上がり、慌ててそちらに向き直ってみれば、飛行帽の上には何かが乗っていた。エーテルか何かの原理で光るランプに、青白く照らし出されたその姿は、どうやら鳥だった。そして、エリーにはよくよく見覚えがあった。
「まあ、レイモンド卿!」
 暗がりの中に浮かび上がる、一対の金色。黒光りする嘴、よく手入れされた大きな翼は、今は娘の頭で休められている。それは狩人であった。夜の森の王者だ。人はそれをワシミミズクと呼ぶ。そう大きくはないが、間違いなく雄だ。
「アラッ、嫌ダ、レイモンド卿ッタラ! ワタシノ頭ハ止マリ木ニスルニハ居心地ガ宜シクナインジャアリマセン?」
 娘もやっと事態を飲み込んで、視線だけを真上に向けた。このワシミミズクは共同体に長く居座っており、話によれば今いる人間たちの誰よりも古参であるという。誰が「レイモンド卿」という名を与えたのかは、エリーも娘も知らないが、とにかく彼は住民たちから多大なる敬意を集め、夜ともなれば自ら高貴なる務めを果たしに出かけてゆくのだった。野ネズミやウサギにありつくために。
「今夜の戦果はいかがですか、レイモンド卿? わたしたちからは何も差し上げられないのが残念ですけれど」
「ソウデスネ、ミミズクハ肉食デ、イチジクマフィンハ食ベナイデショウカラネ……」
 臣民たちは口々に言い、供物に値するものを持ち合わせていないことを残念がったが、やがてどちらともなく顔を見合わせた。それは正に啓示めいていた。

「ミミズク!」
「エエ、木菟フィリーヌィ!」
 二人はほとんど同時に叫んだ。ああ、今まで何を悩んでいたのだろうか。光明はこんなにも身近にあったのだ。名案リストに既に載っていたカモメには悪いが、この瞬間に勝者は決まってしまった。事情を知るはずもない翼の主は、娘の頭からひょいと退いて、低く滑空しながら別の木箱に降り立つ。ほう、と大きく厚みのある鳴き声。
「デハ恐レナガラ、レイモンド卿……アナタノ種ノ名ヲワタシノ飛行機ニ頂クコト、オ許シ下サイマスカシラ?」
 娘は自らの持ち場を離れて、新たに定められた玉座の前に跪くと、丁重な言葉で伺いを立てた。猛禽は暫しの間、首を傾げるような素振りを見せていたが、やがて自らの嘴を開き、娘の鼻を軽くついばんだ。これはまことに吉兆であった。
「あらあら、祝福のキスを下さったわよ、アンナちゃん。これでもうお墨付きってところね」
「ハイ! オオ、身ニ余ル光栄デスワ、レイモンド卿――記念スベキ初飛行ノトキニハ、アナタノ名ヲ讃エテ発ツツモリデスカラ、ドウゾ見守ッテイテ下サイマシ!」
 芝居がかった身振り手振りで、娘が君主に敬意を奏する。金色の眼を持つワシミミズクは、また一声ほうと鳴いて翼を広げた。それがいかにも満足げな響きに聞こえたので、エリーは暖かな心持ちで、冷めかけたお茶をまた一口啜ったのだった。

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